WEB 全学労連 |
229号 |
2000年11月3日 |
全学労連ニュース今号の内容
「学校事務の共同実施に反対し、学校事務職員の増員を求める署名」を一刻も早く!
昨年、18県20校で始まった「学校事務の共同実施」研究加配は、全国の学校事務職員から不安の声が挙がり、文部官僚の脅しすかしの効果もあまりなく、今年は22県39校で行われています。
しかし、来年から実施予定の「第7次教職員定数改善計画」では事務職員の改善計画は「きめ細かな学習指導や教育の情報化への支援等のため事務部門の強化対応を行う加配」とされており、「共同実施」の文言は消えてはいますが、文部官僚の弁によれば、やはり“加配”の中心は「共同実施」になりそうです。それが実現すれば「共同実施」は本格実施になっていきます。
今、各自治体の財政状況は最悪です。職員の削減、賃金カット、業務の民間委託など、合理化は進んでいます。そんな中、文部省の言う「定数の弾力化」政策の柱の一つ「学校事務の共同実施」は文部官僚が何を言おうが、一人歩きし、人員削減につながっていきます。
今まさに、「共同実施」本格実施を目前にし、全国の学校事務職員の「学校事務の共同実施」反対の声を文部省につきつけることが重要です。
全学労連は、「共同実施」本格実施をあきらめさせるため、全国の仲間に「学校事務の共同実施に反対し学校事務職員の増員を求める署名」を呼びかけます。
一刻も早く署名を集め、送ってください。
全学労連は、12月1日(金)の全国総決起集会(予定)にあわせて、文部省に全国の仲間の声をつきつけます。
署名の送付先: | 神奈川県横浜市西区平沼1−4−8椎野ビル 全国学校事務労働組合連絡会議 宛 |
送付の期限: | 11月24日(金)必着 |
「学校行革」攻撃へのトータルな反撃を!
全学労連事務局 羽成 純
全学労連は10月16日、第7次教職員定数改善(とりわけ「共同実施」問題)、事務職員賃金に関わる要求と、法制化以後の「日の丸・君が代」強制に反対する緊急申し入れを軸に文部省と交渉を持った。以下、全学労連の要求(申し入れ)とこれに対する文部省回答をかいつまんで報告し、若干の批判的コメントをしておきたい。
以上が全学労連の要求に対する文部省の大まかな回答である。相変わらず無責任かつ曖昧な回答である。「地方分権」という言葉を極めて巧妙に使い分け、学校労働者への支配・統合を強めつつ、公教育の権力的再編を狙う文部省の姿がそこに浮かび上がってくる。若干の問題点を指摘しておきたい。
学級定員(従って又、学級数)という客観的な基準によらず、恣意的な基準による加配方式による「改善」の方向が明確になった。学校−自治体を貫く「行革」攻撃がいよいよ激しさを増している中で、「自治省との調整」などに心を砕きつつ、定数削減をさせなかったことを自画自賛する文部省は、しかし、学校状況をまともに見ようとはしていないと言わざるを得ない。1979年の別学体制の完成(養護学校の義務化)以後、障害をもった子どもたちを排除し続ける中で強化されてきた能力主義教育が大きく綻びつつあることは、誰の目にも明らかになっている。不登校や学級崩壊、学校労働者(とりわけ教員)の疲弊状況等が生み出されている中で、いったいどうのような改革が求められているかは明らかではないか。少なくとも差別的な分離教育の体制に手をつけず、大量の臨時労働者を導入することによって「きめ細かな」教育を実現するなどということが、現実の矛盾を克服することにつながっていくとは考えられない。そのことは「学区の自由化−学校選択の自由」が決して障害をもった子どもたちには認められないことを想起すればあまりにも明らかだと言わねばならない。
「学校で働く大人たちが、ゆとりをもって子どもたちと接することのできる方向」(要求書)と結びついた、抜本的な改善を引き続き求めていく必要がある。
’99−’00年度の2年間にわたる「共同実施」の実践研究は、いよいよ’01年度から実行されようとしている。「きめ細かな学習指導や教育の情報化支援等のための事務部門の強化」を行う学校への加配は「共同実施」を大きな柱の一つとして考えられている。しかもそれは、職階制の強化と不可分のものとして検討されている(文部省流の「賃金改善」と結びつけられている)のだ。全事研−日教組(事)を付き従えた文部省の唱える「教育改革」を支える事務職員像とは、実は職種−雇用形態の多様化と、細分化され強化された専門性(スクールカウンセラーの本格導入を見よ!)による学校労働者全体に及ぶ分断支配に組み込まれたものだ。全学労連は、排他的な専門性論への批判的観点を深めつつ、学校労働者間の連帯を志向しながら、改めて「共同実施」を推進しようとする文部省と対決していく。
法制化以後、更に各都道府県への「指導」を強めてきた文部省は、この間の国立市における17人の教職員に対する処分にも深く関与してきた(文相自らが国会で処分について言及している)。にもかかわらず、まるで自分たちに関係ないかのように「処分の対象となり得るケース」と言ってのけるのである。
私たちは「教育の地方分権」などという言葉に惑わされてはなるまい。学習指導要領の法的拘束力、職員会議の補助機関化等の省令改定等の枠から逸脱することを決して許さない体制の中で「特色ある教育」が語られの準則廃止を受けたによる学校管理規則制定が進められているのだ。
公教育再編−国家再編の全体的構造(※注)を視野に繰り込みつつ、改めて「学校行革」に対抗する私たちの運動を構想していくことが切実に求められていると考える。共に闘おう。
(※注)アメリカ合州国を中心とした政治経済的・軍事的なグローバリゼーション、これに規定されたナショナリズムの突出という世界的な動きが、この国においては「日の丸・君が代」や「自由主義史観」による侵略の歴史の正当化と不可分のものとして出現している。それは、戦後の平和思想−運動の最終的精算の動き(憲法−教育基本法体制の改編)、あるいは労働者の首切りをリストラといい替えて、それが正当化されていく現実と切り離して考えることはできない。
共同実施は終わっていない
全学労連学校行革対策委員会 佐野 均
第七次定数改善計画が出されたが、学校事務職員に関する部分は「きめ細かな学習指導や教育の情報化の支援等のため事務部門の強化対応を行う学校への加配」と表現された。この2年ばかり賛成にしても反対にしても学校事務職員を揺り動かしてきた「学校事務の共同実施」の表現は見当たらない。8月の全事研などで文部官僚が「嘘も方便」とか共同処理での定数改善の難しさを繰り返し述べていることから、一部の学校事務職員の間には「共同実施は終わった」との楽観(もしくは落胆)があったようである。
しかしそうではない。文部官僚がどういう表現をとろうと「事務部門の強化対応」の中身として提示されているものは今のところ共同実施しかないのだ。文部省の概算要求の説明によると、昨年度から行われている「共同実施のための研究加配」は第七次計画が開始される来年度も継続するという。また、事務職員の過剰反応に対応したのか、同じ文部官僚は8月30日の石川県事務研での講演では、軌道修正のためか「共同実施」について多くを語っている。
それらの言説から文部省の考える「共同実施」の中身を探ってみると、おおむね次のようなことが見えてくる。
これが文部官僚の考える「共同実施」像である。我々が勝手に考えているわけではない。全て文部官僚の言葉から、それ以外の解釈できないという部分を抜き出したものだ。
まさに合理化そのもの。このようになって良いと考える学校関係者、とりわけ学校事務職員がどれだけいるというのか。
しかもここまで言いながら、文部省は共同実施のモデルは示したことは無く、地方でどうやろうと自由と言い切ってしまう。
今回「定数改善」と呼ばれる加配の根拠は、「弾力化」される以前の定数基準のように明確なものではなく、抽象的な「事務部門の強化対応」というものでしかない。しかもそれを「方便」などと言ってしまっては、要するに文部省の意に沿ったところにだけ「加配」しますよと言っているようなものだ。これのどこが自由だというのか。文部省の“お手盛り”構造を作っただけではないか。
10月16日に行われた交渉では、加配の基準を問い質す全学労連に最後まで文部省は明確な答えを出せず、一般論・抽象論に終始した。確かに、“お手盛り”ならば明確な基準など出せるわけが無い。
文部省は自らの「省益」を守るために第七次計画を考えている。極力地方の教育に対する権限を保持しようというわけだ。しかし学校現場で働く我々が自己保身に走る文部省よりももっと警戒しなければならないのは、この数年の定数法・国庫負担法の関係の変化により、各県事情による人員削減圧力が入り込む余地が広がっていることである。それを主導しているのは自治省であり、だからこそ件の文部官僚の一連の講演では「某J省」への露骨な敵意として現れている。それを招いたのは文部省の「定数の弾力化」政策であるにしても、である。
今後どんな形であれ、「共同実施」の実績が進めば進むほど、地方財政悪化にあえぐ各県の人員削減合理化の手法として活用される危険性が増していく。各県が半額の国庫負担金以上の合理化メリットを見出したら…。また、各県の裁量に任された部分まで、大蔵がいつまでも人件費半額の負担をしていくか。定数法のしばりは単なる目安以上のものではなくなっている。今のところ文部省に「方便」以上の政策は無い。「共同実施」は一人歩きを始める。
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