2001年1月6日
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全学労連ニュース今号の内容

 21世紀を共に生きよう

 全学労連12.1中央行動貫徹!

 各学労これからの取り組み 21世紀への決意表明

 学校行革の現段階

21世紀を共に生きよう

危険な時代の始まりなのか

 15%の支持しかない森政権が21世紀も続くことになった。新世紀だというのに人々は将来に不安を感じ、中高年の自殺は増え続けている。人々は「不満」を口にはするが「怒り」の行動を起さない。「期待」「希望」の意味を失った「善良」な人達は、現実の不満を、どこかの「はけぐち」に求めていく危険な流れが始まるのだろうか。

 21世紀の「希望」を探ろうと思うのだが、こんなことしか浮かばない。だが、未来への兆しが皆無なわけでもなかろう。我々と同様「寡黙」ではない「不良」たちが見え隠れしてきた。21世紀の始まりは「危険な善良」と「意味ある不良」のせめぎ合いなのか。

競争の時代のサバイバル術を求めて

 666兆円の「国」の借金は構造改革を不可避的に求めるだろう。規制緩和という「競争」の強いる言葉は万能のように使われていく。人々は「競争」の中で、よりバラバラになり、「希望」を失っていく。

 そうだからこそ「教育」が新たな国民統合の道具として使われようとしている。思いつきを並べているかのような「教育改革国民会議」は、「競争の時代の新たな国民統合」を教育に求めている。

 学校や教育は変革せざるを得ないし、私たちの職場も変化するだろう。それもこどもや働くものにとって望ましいものとは思えないものだろう。規制緩和・競争の時代に「生きていくこと」の術がほんとうに必要な時代がやってくる。

競争ではなく共生を語ろう

 殆どは学校に一人勤務という体験を始めからしていたおかげで、学校事務職員は「独り」(競争には無縁だったが)をほかの人達より先んじていた。だからこそ競争をする相手ではない、「仲間」を作りつづけてきたのではないだろうか(研究会も組合もだ)。昨年の全国の学校事務職員の「共同実施」への反発の大きさはその事を物語っている。

 他の潮流が「競争の文化」に引きずられていこうとするなかで、全学労連は学校事務職員が持ってきた「競争への毛嫌い」を大切にする。「大競争」の時代だからこそ「共生」を語り、この時代を生き延びていこうと思う。今年もよろしく。

(議長 菅原)

 

全学労連12.1中央行動貫徹!

◇国庫堅持を確認−三省要請行動◇

 12月1日、全学労連は今年も国庫・学校行革の課題で中央行動を行った。

 午前中自治・文部・大蔵三省に要請行動を展開。国庫負担問題について、大蔵省は相変わらず「聖域なき見直し」を繰り返し明言は避けたが、自治・文部は事務日程からしてもまず国庫はずしはありえないと語った。文部省に対しては全学労連が集約した共同実施反対署名4000名分を手交し、共同実施反対の意志を強く伝えた。また、都道府県教育委員会連合会に対しても共同実施反対をアピールした。

◇国庫負担はずし阻止!学校行革反対!賃金削減攻撃粉砕!全国総決起集会◇

 今年は会場を社会文化会館に移して開催された。沖縄、北海道初め全国から全学労連の仲間が結集、共催の東学の仲間と合わせ130名の熱気あふれる集会となった。

 冒頭主催者挨拶で菅原全学労連議長は、5年間の第7次定数改善計画を見据えて息の長い取り組みが必要と訴えた。要田東学執行委員長は、当局から現行制度を根本から覆す提案が相次ぎ、今後厳しい闘いになると報告した。

 基調報告の「国庫情勢」では集会に先立つ三省交渉の内容、国会請願署名集約結果が報告され、国庫負担は来年度も堅持される見込みであることが確認された。

 「学校行革をめぐる情勢」では、第7次定数改善計画の「加配」申請状況を報告、文部省が国庫負担金の見直しを言い出しているとの情報を紹介して、国庫負担は維持されても規制緩和でしばりは弱くなる、今後は地方での取り組みが重要になると指摘した。

 「東京都の状況」では、人事制度の一層の改悪が進んでいる、今期賃闘の中で55歳昇給停止、成績率導入、定期昇給判定厳格化、退職手当2割削減等が提案された、厳しいが、石原都政に対ししたたかに闘っていきたいと決意表明された。

 続いて神奈川県共闘、少年写真新聞社労組から連帯の挨拶を受けた。

 「闘争報告と決意表明」では、愛学労から給与カット攻撃に裁判闘争で反撃している闘いの状況が、東学から国立日の丸処分に抗する闘いが、阪学労からは共同実施反対の取り組みがそれぞれ報告された。国立日の丸処分問題では、処分を受けた当該の組合員の淡々とした中に怒りを込めた報告に会場が静まりかえった。

 国立日の丸処分抗議の特別アピール、集会宣言を採択して集会を終え、秋晴れの下大蔵・文部省に向け各学労旗を先頭に力強くデモ行進し、日比谷公園で解散した。

◇全学労連拡大事務局会議開催◇

 中央行動翌日の2日、全学労連は拡大事務局会議を開催した。共同実施反対署名への反響の大きさを確認し、第7次定数改善計画「加配」、共同実施に対する取り組みを強化していくこと、再任用制度についての情報交換から対処方針策定を急ぐこと、全学労連運動の今後の展望をめぐる議論を深化させること等が確認された。

 

各学労これからの取り組み

21世紀への決意表明

爆音の下で…

沖縄学校事務労働組合

 労働組合は何のために在るのだろう。

 自らの労働と時間を切り売りし、その代償として賃金を得る労働者。その私たち労働者の賃金を改善するため。ひとり一人を繋ぎ力を合わせ雇用者と対峙し闘うため。あたり前の生活をあたり前に生きていくため。安心して日々を暮らすため。

 安心して暮らすとはどういうことだろう。

 金網の向こうから飛んでくる銃弾に怯える必要がないこと。日常的に爆音に晒されることのないこと。自らの土地を戦争のために使用させない自由があること。近所の文具店へのおつかいから子どもが無事帰ってくること。

 労働運動と平和で安全な生活を求める活動、けして切り離せないふたつを視野に置き、特に感慨もなく世紀の垣根をまたぎ越し歩み続ける。仲間と共に持つ普天間基地の小さな土地の強制収用手続き再開を知らせる配達証明が届いた日も。職場に大きな変動をもたらす予算案を大臣が認めた日も。

こんなはずではなかったのに…でもやっぱりこうだったんだ

愛知県学校事務労働組合

 子供のころ想像していた“21世紀”は、宇宙旅行はもちろん、自動車はビルの谷間を飛び、家事はすべてロボット任せetc…。それで、ノストラダムスの予言は外れ、オウムが夢想した最終戦争もなく、辿りついた21世紀はやはり20世紀の続きだった。吉永さゆりではないけれど、21世紀へ持っていきたいものよりも、持たされてしまったもののほうが多い。

 学校も「教育改革」という重い荷物を担いでいる。だが荷の中を覗いてみても、持っていきたいようなものはない。「放っといたら?」というのだが、後生大事に荷物を抱えている人は抱えていること自体を自らの使命だと思いこんでいる。

 もっと身軽に生きていけばいい。あるがままの自分でいい。気張る必要はない、疲れるだけだ。

 それでも21世紀の入口には厄介な話がいくつも転がっている。学校行革・共同実施、7次定数改善に再任用、おまけに愛知では旅費電算化を機に、すべての小中学校にオンライン端末を置き、給与事務などもすべて端末処理するという話が具体化しつつある。できれば避けて通りたい。私だけでもそっとしておいてほしい。

 というわけにも行かず、かといってあれこれ言い続けることもまんざらではない。頑張らないけど、したたかに闘い続けよう。

10年ひと昔  福事労よどこへ行く?

福島県学校事務労働組合

 福事労もついに結成から10年目となります。『21』『10』節目ともいえる今年、福事労は何をしていくか。

 まず手始めに運動の総点検を行います。『労働組合』という言葉が徐々に労働者から消えています。締め付けられ続ける労働者は、いつの間にか物分かりがよくなり過ぎました。労働組合は雇用を守るためといいながら、当局と対峙しなくなりました。

 そんな環境にあって、労働組合を福事労運動をどう進めていけばいいのか、結成時の理念に戻り、総点検します。

 次に組合員の求める福事労運動を組み立てて行きます。このままでいいもの、変えていくもの、新しく生み出すものを見定めて。

 生きている労働運動、化石化しない運動を展開していく今年です。

あと10年を見据えて

学校事務職員労働組合神奈川

 今年3月で全学労連は結成されて23年になる。生まれた子供が大学を卒業した位のものだ。そして都学労からということならぱ30年。思えば遠くへ来たものだ。というのが長年共にしたものの実感だろうか?(私自身は17年)

 当時の非常識が現在は常識となったものに例えば、法定外控除の廃止や事務室の設置がある。(少なくとも要求としては常識となっている。)どんな事務職員の団体も法定外控除をしようとは言わないし、事務室はつくるなとも言わない。(今や日教組の中にも事務職員の独自組合がある時代ともなった。)このように全学労連の突き出したものは、学校事務労働者の共有する財産となった。それで良いのではないか?確かに組織は伸び悩んでいる。否、団塊の世代を中心とした組合は縮小の傾向にある。あと10年もすれば組織もなくなる組合も出てくる。だから何だと言うのだ。無責任?組織の私物化?若い世代を育てられない?それらの指摘は当たっているようだが、本質的ではない。

 私らは自力で学んで来た、自力で道を切り開いてきた。学ぶということは先人の足跡を尋ね、反面教師とすることも含めているが、決して「美学」なんかで言っているのではない。ましてや自己陶酔でもない。学んで知ったら前に道がなかったのである。

 そうして歩んできた私らが若い世代に向って言えることは一言しかない。これも一つの道だ、君たちは私らから少しでも学ぶものがあったらそれを生かして下さい。

 この厳しくなるばかりの時代に、全体の労働組合の組織率が落ちている。私らが直面し更に考え、進む道はどこに見出せるのか?この課題が今一番間われている。この組合を、或いは全学労連を将来に亘って存在させるにはどうしたら良いかという課題は二義的なものである。組織の存命の為であれば、自治労へ行くのも選択肢であり、事務の課題だけに活動を絞るのも手段の一つだろう。

 全学労連、教組、自治労を間わず、組織力が落ち、組織率が低下し、若い人は結集せず、全体の労働運動の停滞と沈潜。くりかえしになるが、この状況にどのような回答を見出し、どのように自己変革していくのか、決して妥協でも迎合でもない道を、あと10年、実践とたたかい、運動の中で、仮にそれが遠い夢だとしても、見出すべく努力していきたいと思う。

うしろ姿のしぐれていくか(山頭火)

せきをしてもひとり(放哉)

地方行革=学校行革との闘い

兵庫県学校事務労働組合

 2000年度対県賃金確定交渉は、12/4〜12/6にかけて最終決着に臨みました。

 今期の賃金交渉は、県の行財政構造改革による賃金抑制(県は2000年度から9年間で900億円の削減を計画)攻撃にありました。当局は、調整手当の国並の見直し、一時金の削減、昇給停止年齢の引き下げを提示してきました。調整手当は、現行制度から国に準じた支給割合、支給地域に引き下げるもので、組合側が受け入れられない事を見越し、調整手当見直しを担保にして、その代替措置として昇給延伸で決着をはかりました。一時金は、2000年度人事委員会勧告は年間4.75月の国並の勧告をしましたが、1999年度の当局と大労組との賃金交渉で、2000年度は4.65月とする事で合意しており、2000年度人事委員会勧告は2001年4月改定にして、2000年度は4.65月となりました。昇給停止については、来年度以降に持ち越しとなりました。

 兵学労は、他組合と差別をしないという県教委との裁判和解により、この10年間、賃金確定交渉を続けてきました。既成大労組が交渉の既定力を持ち、そこでの結果を当局が提案してくるという交渉になっているのも事実です。しかし、小さい組織の少ない陣容ですが、事務職員の独自要求を毎年積み重ね、特昇枠等の賃金や教員との比較で差別的な勤務条件について、改善があったものがあります。

 兵庫県には地方分権に向けて行財政構造改革を実施し、2001年度から県庁組織の合理化再編に合わせ県教委も教育事務所を再編します。今年度から学校事務職員に研修所兼務の8級学校参事(国9級相当)を作り、職位向上を志向する職務職階制の布石が敷かれつつあります。そうした中で、第七次定数配置における事務の共同実施等の学校事務職員制度を揺るがす問題に直面します。

 兵学労は、学校に市場競争原理を持ち込むグローバル・キャピタリズムと対峙し、学校労働者の平和で安定した生活を創る立場に立ち、学校行革反対の闘いを21世紀も続けていきます。

「敵よりも一日でも長く」

青森県学校事務労働組合

 「敵よりも一日でも長く」という言葉がある。現実には組合のたたかいはほぼ負け続けである。しかし、労働者としての誇りと矜持を持つ、学校事務職員の組合が存在し続けることが最も重要なのではないだろうか。

 21世紀になるからといって、目新しいものは何もない。今まで通り、学校事務職員の諸課題解決のために淡々と取り組み、そして理不尽な今の世の中を変えていくために、ささやかな抵抗をしていくだけだ。

 当面の重要課題である学校行革反対・共同実施反対のたたかいは長いたたかいになる。文部省の力は強大である。しかし、学校現場や事務職員の反対の声は大きい。この声を無駄にしない地道な取り組みの積み重ねが大事だろう。

 組合を結成して11年目に入る。一人ひとりが主人公となる組合にするための組織改革を行ってきた。年明けに、教宣誌「熱き想いを」が出ることになった。組織改革の賜物である。

 「敵よりも一日でも長く」。何よりもたたかい続けること、そうすれば自ずと道が開けるはずだ。

21世紀 北学労のアピール

北海道学校事務労働組合

 首切り、賃金削減、リストラ・行革攻撃が吹き荒ぶなかにあって、今こそ労働組合が必要とされる時はないのに組織率は年々下がる一方の未だに労働組合は冬の季節の真っ只中にある。だが労働者が労働者である限り、資本のくびきの元にある限り労働運動は起こらざるを得ない。抑圧、矛盾の集中している部分から起こり易い傾向はあるが、安定しているとされていた公務員賃金も削減される時代になった。客観的には少数の闘いが多数にも及ばざるを得ない時代に突入したといえる。

 昨年は小渕政権下での諸々の反動法案が成立した。この一連の攻撃は日の丸・君が代強制のもとで国民統合を図り、逆らうものや抵抗する団体はもとより広汎な労働組合や民主団体をも盗聴法や組織犯罪規制法で組織壊滅を図り、自治体・企業に米軍への戦争協力をさせ、国民一人一人を総背番号で管理し、第9条を「改正」して戦争の出来る国にするという代物だ。歴史は逆行していると一方的に見えるかもしれないが、その対極では次のような兆候も見える。

 建設省が強力に押し進めて来た吉野川可動堰計画を徳島市民は十万人署名、五人の反対派市議の当選、条例制定、圧倒的多数の反対票で意義を形に表わした。盗聴法・組織犯罪対策法反対運動も公明党の裏切りで成立してしまったが、廃棄にする運動を市民団体、労組、野党が粘り強く闘い続けている。永住外国人については地方議会の選挙権を認める法案が次期国会では通りそうである。無党派層の支持を受けた田中康夫長野県知事が誕生。名刺を折った局長に抗議のメール、電話、手紙が殺到。衆議院の東京都二十一区補選で川田氏が無党派支持で当選。そして栃木県知事選ではよもやの無党派知事が誕生。

 明治維新以来、急速な近代化を官僚主導で押し進めて来た日本は、お上には逆らえない精神風土を醸成して来たが、これら一連の成功は日本にも民衆の間に真の民主主義が定着しつつある事の証しだろう。

 繰り返すが労働者が労働者である限り労働運動は噴出せざるを得ない。北学労は明日を信じて、二十一世紀も闘いを続けるのみだ。

新世紀スタート!

大阪学校事務労働組合

 21世紀を迎えるにあたって、様々な事を考えるが、私たちを取り巻く状況は厳しくなる一方である。夢と希望をもって新しい時代を切り開いていきたいとは思いつつも、現実と世間はそれほど甘くない。

 まずは、第一の目標として組織の強化・拡大を目指したいが、これも現在の労働運動の低迷した状況を考えるとそう簡単には行かないだろう。となると、これまで取り組んできた闘いを地道に継続して行くしかないと思う。私たちには、国庫闘争を闘い続けてきた蓄積がある。この力を学校行革反対=学校事務の共同実施反対、等々の闘いへと継続していくことが私たちの未来を切り開くと確信する。また組織の拡大へと繋がると確信する。そのためにも、全国の仲間や地域の仲間との支援・連帯を大切にして行きたいと思う。

 今年は、第30回全交流が大阪で開催される。21世紀のスタートとして、また全学労連が新たな第一歩を踏み出す全交流として成功させるために、

 阪学労は 明るく 元気に がんばるぞ。

 

学校行革の現段階

学校行革対策委員会

 2001年である。完全学校週5日制・新教育課程の実施まであと1年3ヶ月弱となった。1998年の教育課程審・中教審による答申を既定の方針として、施行期間や実践研究を積み重ねる中で根強い反対論を押さえようとしている。

 文部省の批判勢力としては、教育課程のスリム化や総合学習による「基礎学力低下」を危惧する教育関係者や、公教育などの金のかかる事業を削減し小さな政府を目指そうとする新自由主義政策を推進しようとするの財界や、財政再建・人員削減合理化を進め自らの権限強化を目論む大蔵省・自治省の官僚たちがいる。これらが相互に、また文部官僚の思惑とも競合し合って「改革」が進行する。

 しかし我々が問題としなければならないのは、官僚の得失や経済的な利害を追求する事ではなくて、実際の学校現場やその周辺に何をもたらすのかを厳しく検証し、問題があれば少しでも改善の方向に向かわせることである。事態はあまりいい方向へ向かってはいない。以下これまでの流れを簡単にまとめてみる。

☆第七次定数計画へ向けて

 中教審答申が出された翌月には「教職員配置のあり方に関する調査研究協力者会議」を発足させ、中教審答申の言う“定数の弾力化”の具体化に向け第七次計画策定への作業を開始する。そして約1年半を費やし若干の曲折はあったものの、県費・国庫負担制度・40人学級継続、学級編成基準・教職員配置の弾力化、非常勤・短時間勤務教員の活用と再任用制度等を柱とした報告が2000年5月に出される。これを受けて文部省は、8月末に来年度予算概算要求とともに第七次定数改善計画を発表する。その中身は、少子化による定数自然減の穴埋めとしての“改善”すなわち文部省が管轄する職員数=国庫負担金の防衛であり、「きめ細かな指導」に対する加配という曖昧な基準による地方の責任増加と文部省の査定=権限強化でしかない。

☆学校事務共同実施について

 中教審答申の出された年の11月末には“学校事務の共同実施”実現のため、研究加配を各都道府県に打診をし、省令改訂を経て1999年4月より17県19名の研究加配を実施した。この研究加配は、今年度も22県39名と規模を大きくして続けられ、さらに第七次定数計画が始まる来年度以降も定数計画とは別に継続される予定であるという。しかし、2年目の研究も終わりに近づいているというのに、文部省から初年度のまとめどころか「共同実施」の概要すら出されていない。言葉だけが振り回されてなし崩しに3年目に突入するという実態である。元々これが学校事務の合理化策であり、浮いた定数を教員のほうに回せないかと画策されたが、「学校の自律性強化に伴う事務量の増大」というもう一方の建前や事務職員を学校から離さず国庫負担金を確保したいという文部官僚の思惑との間に矛盾をきたし、頓挫しているというのはあながち間違いではあるまい。しかし文部省の当初の思惑を離れて、自治省や地方自治体による人員削減の格好の口実として動き出す危険性は今後ますます高まっていくだろう。

☆“不適格”教員の処遇問題

 1999年7月には教員養成審議会の総会で、「適正がない教員は事務へ」との発言がされた。全学労連は文部大臣宛に抗議し、文部省から「事務というのは必ずしも学校事務を意味するものではない」という苦しい弁明を引き出している。同趣旨の発言は、これに先立つ3月の東京都教員人事考課に関する研究会報告や、最近では教育改革国民会議でも出され、2000年11月には共同通信の配信で、文部省の法「改正」方針が全国各地で報道されている。繰り返されるこの手の発言は、採用段階での責任を忘れた雇用者側の関心の高さを示しているが、身分保障という事の意味を軽く考えて管理体制だけ強化されてはたまらない。

☆学校管理規則・職員会議・学校評議員…

 1999年12月に都道府県教育委員会連合会が「中教審答申の具体化に関する調査研究」を発表した。その中身は学校管理規則の改定・校長教頭の任用資格や主任制の見直し・職員会議の位置付け・学校評議員制度等である。これを受けて文部省は翌2000年1月に学校教育法施行規則の改定を行った。これにより主任制については先送りされたものの、学校におけるさらなる管理強化の土台が出来上がったと言える。今後、前年に成立した国旗・国歌法などと共に現場に重くのしかかってくるのは必至であろう。

☆教育改革国民会議

 教育改革国民会議は昨年12月22日に報告を出した。内部の反対意見を押さえつつ教育基本法の見直しや奉仕活動を18歳前後の全員が行うことの検討などが盛り込まれた。新聞報道によると奉仕活動の体験が無い委員たちがほとんどだという。そういう輩が他人に奉仕活動の大切さを説くことじたいが既に胡散臭い。ましてこの会議がタカ派文教族出身の首相の私的諮問機関であるということからして、いろいろな粉飾はしたものの、狙いが教育基本法の改悪から改憲にあることは誰の目にも明らかであろう。ここまで露骨にやられてしまうともはや笑い話では無く、「教育改革」というタテマエの議論で争っている訳にはいかなくなる。もはや学校の枠内ではすまなくなっている。

☆相手は文部省だけではない

 こうした個々の動きの背景には、この国の支配構造の転換があることを忘れてはならない。新自由主義に基づく小さな政府・規制緩和の流れは、福祉政策の見直し、1995年の日経連「新時代の『日本的経営』」やそれに続く一連の労働法制の見直しとして現実のものとなってきた。1999年4月に出された地方公務員制度調査研究会報告「地方自治・新時代の地方公務員制度」はその公務員版である。同年7月の地方分権一括法の成立もこの流れを推し進める大きな要因となっている。

 1998年1月に総務庁の行政改革推進本部に設置され規制緩和の推進をしている規制改革委員会は、昨年3ヶ年計画の第二期に入り、初等中等教育を検討課題のひとつに設定した。学区の「自由化」・職員配置の「弾力化」などが話題とされていく。その中身には当然職員を査定し辞めさせる自由も含まれる。

 学校行革のもたらすものは、学校における官僚制の強化であり、労働強化であるだけでなく、不安定な雇用の創出でもある。2001年度予算政府原案が策定され、マスコミは「20人学級も可能」などと報じているが、これも現場の労働強化と短時間勤務や非常勤の職員という不安定雇用の増加無くしてはありえない話なのだ。

 今年1月に省庁再編が完了し、自治省は総務省に、大蔵省は財務省に、文部省は文部科学技術省になる。それぞれがいよいよ本腰を入れて合理化を推進してくるのは間違いない。学校行革はまだまだ続く。

<編集後記>

 年末忙しい最中、「各学労の抱負」ありがとうございました。

 ベアも乏しく(扶養手当のみ)、一時金削減で幕を閉じた20世紀。新世紀、私たちの暮らしに明るい兆しはあるのでしょうか?

 こうなったら“LOTO6”で4億円ゲットしかないかな?段々元手が…。現実の不満をクジにはいている、こんなんでいいのかな…。


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