2003年9月20日
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全学労連ニュース今号の内容

2003.7.30/31 第32回全国学校事務労働者交流集会特集

 基調報告

 第1分科会『どうなっているの共同実施 その実態』

 第2分科会『電子自治体化で学校はどうなる』

 第3分科会『各地の人事考課制度を巡る状況と学校の現在』

 第4分科会「『管理強化』・『勤務時間の改悪』等労働環境・職場実態全般」』

 全体会

 文科省の来年度予算概算要求 義務教育費国庫負担金と定数計画を読む

基調報告

全学労連議長 菅原孝

1 戦争の時代

(1) 戦費増額と賃下げ

 とうとう日本の軍隊が外国で戦争する法律が成立した。

 経済の危機、政治の危機はますます深刻さを増して、出口の見えない閉塞感が社会を覆っている。そんな時代でだからなのか、日本軍が海外で人を殺すことを認めることが、たいした議論もなく成立していった。

 小泉のいう「三位一体」の財政構造改革は戦争の時代に備え、政府の軍事費を延ばすための方便になるかもしれない。地方への財源移譲で日本政府の中では、予算・政策面で軍事部門の割合は増加し、実質的増額をねらっていくだろう。

 それを考えていたら、「退職金の削滅」を自治体が提案してきたという。そして人事院勧告もまた引下げになるであろう。私達の賃金を削って、軍事費にすることは絶対に許せない。

(2) 競争原理とナショナリズム

 「構造改革」は政治家小泉の宣伝文句としての役割を果してきた。その空虚さは暴露されはじめたが、今後も「新自由主義」が政治の基本的流れを作るだろう。敗者になれば「痛み」があることを予め示し競争を煽る。痛みは努カ不足と個人に責任を取らせる。

 ばらばらになった個人はすがるものを求める。「ナショナリズム」がソフトに、ハードに浸透してきている。「プロジェクトX」は不安な人々の「物語」になり、右翼政治家は確信的排外主義を大声で口にしている。

 一方で、国民統合に有効な手法の教育をやはり標的にし、「分権」「自主性」をいいながら「国家のための教育」が声高になっている。「国家」を全面に押し立てられた教育基本法の改定がはじまろうとしている。

2 全交流の課題

 「国庫負担6月危機」は何とか昨年12月の水準で通り過ぎた。しかし、06年までには国庫負担制度のなにかしらの決着が迫ってくる。これからの総選挙次第では早まることさえありうる。その時の私たちの根本的な労働条件はこれからの私達の取り組みにかかっている。

(1) 合理化お先棒の「共同実施」

 文科省の第7次定数計画は3年目を迎え、事務職員配置が変化してきている。最近の文科省は地方の定数要求への査定を厳しくする傾向にあり、今後は一定の「形」を押しつけることが考えられる。

 高校では、「日の丸を揚げる校長・教頭・事務長」という構図が登場している。「学校事務の共同実施」が、文科省の学校管理(教育管理)の手法として、役目を果たそうとするからこそ文科省は「共同実施」を進めるだろう。全事研はすでに自民党文教族議員の応援団であることを公言しているし、日教組事務職員部は、文科省官僚(K課長補佐など)への拝跪を隠さないでいる。「共同実施」推進を隠さない全事研・日教組事務部は「教育の統制支配」のお先棒としての事務職員を目指している。

 そういう意味では「旗、歌」に近づかなくて済む事務職員ですまされぬ時代がはじまろうとしており、「お先棒」ではない事務職員として生き抜く場所作りが求められている。

(2) 電手自治体の端末係

 全国の自治体では「電子自治体構想」が提起され、実行に移されている。そこでは学校事務職員に「電子自治体の端末係」への変身も強要されている。「権限委譲」「庶務分野の整理」が進行し、学校で働く事務職員は「出先端末係」、「共同実施」では「単純端末操作係」へと、変わりかねない時代になっている。今、あらためて私たちは職場を確保すること、そしてそこでどう働くかを提起をしていきたい。

(3) 給特法粉砕

 教員に与えられていた優遇措置が相次いで剥奪されている。いわゆる「自宅研修」は消滅しつつあり、勤務時聞は本格的に無制限超勤体制になっている。そして「業績評価」はこれまでの「教員」を根底から解体するだろう。

 事務職員にとって仇の「給特法」は、いまや教員にとっても粉砕すべき対象になってきた。学校を「給特法体制・学校文化」から「労働者の働くところ」へと作り変える取り組みが急がれている。

(4) 生き延びる

 私たちは多数派を組織してはいない。しかし、学労はそれぞれの地で重要な存在であるし、全学労連には全国にともにたたかう仲間がいる。この財産を基礎に、これからの数年間の正念場の取り組みを通して、学校事務職員の生き延びる術を明らかにしていきたい。

 いまや要求の実現というより、労働条件の切下げにどう抗するかが問われる時代にあって、私たちのたたかいにも新たな工夫が必要であり、交渉、措置要求、訴訟など取りうるあらゆる様々な戦術を駆使していく。

 組織の課題にも一歩踏み出していきたい。まず全国の仲間との共闘関係を一層強化し、数年後を見据えた新たな時代に応じた組織作りに着手したい。

 

分科会報告

第1分科会『どうなっているの共同実施 その実態』

 第1分科会は全国仲間の最大の関心事である「共同実施」の報告を受けた。行政よりのこの制度に「甘い夢」を語ることなく、その危険性があらためて明らかにされた。

■レポート1 「共同実施の実態」宮崎県の事例を中心に―全学労連事務局

 宮崎県は03年度7次加配296名中30名と全国の1割以上を占めている。宮崎県教委によれば、98年の中教審答申以前から事務の共同実施を研究していたという。日教組事務職員部や全事研の構想がただ事務長欲しさ、8級格付けのためのいわばタメにする議論に陥っているのに対し、宮崎事務研は「共同実施」について一定独自の理論的・実践的背景を持っている。

 その背景もあっての、加配の突出ぶりだが、実態の伴わない他県では加配の申請が全く認められないところもあり、文科省も加配には選別・選考の段階に入ってきたといえる。

 もう一つは共同実施により、教員・教頭の仕事を事務組織で請け負って、よりそれぞれが仕事に専念できるようにするといわれている。しかし、今の教育改革といわれている中身こそ問題にしないで、事務職員が踏ん張って教員から事務的な仕事をとってやって、それがどういう結果になるのか。宮崎県でも他の県でもそこが問題にされていない。

■ レポート2 青森の共同実施―青学労

 全国的に注目を浴びている八戸市の「学校事務支援室」。ここでは、5名の事務職員加配を受け、市内小・中学校65校を対象にした共同実施を開始している。また、今年8月、三八教育事務所管内全校を対象に実施予定されている「加配を受けない共同実施(グループ制)」でも、主導的役割を担う。

 現状では、「学校事務支援室」には権限・指導が与えられていないが必ず出てくるだろう。そうなると教委と学校の間に新しい組織が入り、指導的な役割を担って事務職員は新たな教育行政の事務職員になる。室長・サブリーダーを作っていき、その中で競争が始まり、差別・分断が始まっていく。八戸市では市町村合併も予定されていて教育事務所の統廃合もすすんでいき、さらに市職員の合理化にもつながる。自分たちが生き残っていくために他の職を奪っていく、合理化に手を貸すことははいやだ。

■ レポート3 福島県の第7次定数改善の手法―福事労

 福島県では、いわゆる「共同実施のための研究加配」は行われていない。一方、第7次定数改善の配置は受けており、03年度は6名となっているが、内容的には文科省に報告されたような活用ではなかった。

 しかし、今年度はやや趣が異なっている。一つは今年度より、学校事務職員を対象に独自で行なってきた研修が、知事部局の職員の研修に置換されたことである。二つ目は、近隣小中学校との連携を積極的に実践しようとする配置校の事務職員が地教委に働きかけ、月一回の会合を持つようになってきたことである。地教委や他校との連絡調整等、共同実施に向けた既成事実化が徐々に積み上げられることを危惧している。

 

分科会報告

第2分科会『電子自治体化で学校はどうなる』

 第2分科会は、進行するIT化の状況の中で、学校事務に係わる領域ではどのようになっているのか、どのようになっていくのかについて、批判的に検証しようとの目的で設定され、4本のレポートを基に交流と意見交換が行なわれた。

 最後に司会からの「コンピュータ労働の課題も把糧する、また、IT化の進行に歯止めをかける、との視点も踏まえつつ今後も交流を深めましょう。」とのまとめで終了した。

■レポート1 「電子市役所構想」に対する闘い―川崎市

 川崎市では4月から、国と結ぶLG−WANにあたる行政情報システムが本格稼動し、学校ではパソコンでの財務事務が開始された。

 それまで、組合側からは市教委に対して、妊娠者や障害のある人などの使えない人、希望しない人は従前の事務処理で行なえるよう要求し取り組んだ。その結果、約160校中6人が適用除外になった。教委には専門の非常勤職員がいて代行入力を行なっている。これを実現したことは意義があったと思う。

 一方、導入前に行なわれた研修は実務に関わる内容ではなく、「手引き」もなく、またパソコンの稼動時間に回線が混み合っているなどで、今、混乱と労働加重を招いている。学校が市長部局と状況が異なるのに、同じシステムを導入したことは教委の無責任さと能力の無さを表わしている。また、導入の理由が、事前には「経費節減」「労働時間削減」といっていたが、本当は「職員の削滅」であることを認めた。

■レポート2 端末機業務を開始して―神奈川県・平塚市

 幸い、市教委と学校事務職員との間で、導入前の一定期間、調整作業が実現できた。このことが導入後のトラフルを少なくさせたと思う。最大の事例は、電話回線ではなく光ファイバーにしたこと。操作のスピードが格段に速い。

 問題もいくつか感じる。試行期問中に管制、自主を問わず研修を何度も行ない大変な思いをした。導入を前にして3名の仲間が退職した。理由は直接ではないが、少なくともこのことが引き金であったことは想像に難くない。また、今後追加導入されると思われる文書メール化に組み込まれるようなことがいやだ。

■レポート3 「電子府庁」アクション・プラン―大阪府

 IT化推進計画の一環として高校で導入される「総務サービス」は小中学校ついて検討される。内容は入札や人事給与事務処理などである。導入の理由は「経費の削減―人員削減」である。

 具体的事例としては、教職員に手当や休暇で届け出事由が発生した場合に、自分でパソコンから申請に必要な情報を入力する(発生源入力と言う)と共に、申請に必要な添付書類も自分で「総務サービスセンター」に送付するというものである。

■レポート4 「学校と防犯カメラ」―神奈川県・個人

 大阪池田小学校事件以来、学校施設に防犯カメラが取り付けられてきている。監視目的ということが最優先されて設置されているが疑間を感じる。

 IT社会化の進行と軌を一にした管理強化や監視社会化を下から招くものとして批判的に捉えたい。

 

分科会報告

第3分科会『各地の人事考課制度を巡る状況と学校の現在』

 人事評価制度を切り口として、学校の現在をどう捉えていくか。各地の制度導入との闘いの報告を受けることによって、学校をめぐる全体的状況及びこれに対する私たちの闘いの方向が次第に明らかにされていったように思う。

■ レポート1 大阪―阪学労:池田さん

 ’00年に知事部局で新たな人事制度が先行導入された。以後学校においても試行期間を経て来年度から本格実施されようとしている。目下阪学労としては「自己申告書を提出しない」「面接に応じない」という方針で望んできている。しかし、今後もこの方針を貫いていけるかどうか。状況は厳しいと思っている。

■ レポート2 東京―アイム’89:向井さん・江藤さん 学校事務ユニオン東京:山田さん

 教員に対する人事考課制度(’00年導入)に関して向井さんから制度批判と職場での取り組みの基本的な観点がまず提起された(全体会)。これを受ける形で東京の教育状況を含めた現場報告が江藤さんからなされた。

 教員に先行して開始された事務系職員への人事考課制度(’86年〜)の経過と現状については山田さんが報告した。評価が賃金差別に結びつけられつつある東京の厳しい状況(業績評価が特昇制度に使用されたのは’93〜’94年)が語られた。山田さんからは又、都教委が教員給与について教職調整額(4%)の一律支給を廃止し、徹底した能力給の導入を図ろうとしていることが紹介された。(注1)

注1
  •  2004.4.1施行される「改正」給特法第3条を根拠とした動きである。
    「俸給月額の4/100に相当する額の教職調整額を支給する」(旧)→「給料月額の4/100に相当する額を基準として、条例で定めるところにより教職調整額を支給する(新)(  :筆者)
  •  教員給与制度検討委員会(第1次2003.5〜)では、教職調整額について「都議会において、勤務時間終了後すぐ帰宅する教員や指導力不足等教員など学校に勤務していない教員にも支給されている等について議論があった」(第3会委員会)

■ レポート3 神奈川―がくろう神奈川:大宮さん 横校労:針谷さん 神奈川教労研:大友さん

 今年4月に新たな人事評価制度が導入された神奈川県の学校状況を巡って3人の仲間から報告をもらった。

 神奈川においては職員自らが「勤評」用紙に記入する神奈川方式という従来からの労使協調の構造が、労働者側のより衰退した状況において再編されたといえるだろう。「自ら記入するという自主性と峻別できない『自己目標』記入の強制」(大宮さん)が労使合作によって行なわれていく中で、がくろう神奈川は自己観察書への自己目標記入拒否を最低限の取り組みとした(同)。

 一方、横校労は、人事評価制度の矛盾を追及するために「具体的な内容の記入」という戦術も組合員の選択肢の1つとする方針をとった。「自己観察書に『反戦平和と反差別』の目標を設定」し、校長とやり合うという試みも行なってきた(針谷さん)。

 大友さんは、神奈川の公立高校のすさまじい状況に言及した。「日の丸・君が代」の強制や学区拡大・廃止に象徴される「人権無視、弱者切り捨ての場と化しつつある」学校状況にふれながら、「国家主義と自由主義という2つの相互補完的世界観/価値観が公開・評価という手法で学校現場に押しつけられて来ている」ことを指摘した。

■ 討論及び討論へのメモ

 学校事務ユニオン東京の山田さんが報告した東京都の教員給与制度検討委員会の動きは、或る意味で時代を象徴するものだろう。

 1970年代に押し進められた教員賃金政策、すなわち給特法―人確法による教員への二重の分断(他の労働者からの、そして他の公務員労働者からの)の枠組みは維持しつつ、今度は教員同士を徹底的な競争の磁場に置いていくという攻撃が開始された。この攻撃は学校事務労働者等少数職種労働者の切り捨てを突破口とした義教金制度の改編の一環としてもあることは言うまでもない。「地方分権」の時代の最先頭に東京都が躍り出て、文科省をはるかに飛び越し、能力主義、成績主義に基づく教員政策―公教育再編の先鞭がつけられようとしている。(注2)

注2
 ここ数年の都教委の暴走は異様だ。「東京から国を変える」と呼号し、「日の丸・君が代」については「強制しないという政府の国会答弁が間違っている!」等と言ってはばからない。国家以上に権力的な自治体―教育委員会が学校や社会の閉塞状況を著しく加速していく事態になんとしても歯止めを打っていかねばならないと思う。

 学校現場で圧倒的多数を占める教員が囲い込まれている労働状況(休憩・休息をほとんど取れないまま際限のない時間外労働を強いられていく日常)は、教員以外の労働者のみならず子どもたちにも大きく影響を与えていくものだ。既に東京の一部で始まっている「学級別の子どもたちの学力公表」を見るまでもなく、障害をもった子どもたちを排除しなければクラスの「学力」は「低下」し、そのことが担任教員の「評価」―「不適格教員」の排除に直結していく構造が作り出されつつある。「我が子」しか見えない親たちによって思いもよらない攻撃にさらされた江藤さんの経験談はそのことを如実に物語っているだろう。(注3)

注3
 文科省の「21世紀の特殊教育の在り方について(最終報告)」と連動した横浜市の「障害児教育プラン」策定の動きは驚くべきものだ。現在ある個別支援学級をなくし、臨時労働者の導入(答申)を前提とした「特別支援教室」を設けるという構想は、「障害」をもった子どもたちの地域の学校からの追い出しにつながっていく危険性が大きい。何よりも普通学級の教師たち自身が「障害」をもった子どもたちの受け入れを拒否していく(ことを強いられていく)状況が十分予想される。

 1971年の都学労結成以来積み重ねられてきた学校事務労働者の運動は、今、限りない学校労働者の分断、子どもたち、親たち(という名の労働者、市民)の分断をいかに乗り越えていくのかという問いに向かい合うことを迫られている(1977年横校労の結成以後形成され今日全学労組に集う教員(等)独立組合の運動においてもしかり)。問題を解いていく一つの鍵は、日教組の「教育主義」的運動を批判してきた自らの運動の蓄積の上に、戦争体制作りに向かう現下の公教育が孕む差別性を真正面から見据えていくことではないだろうか。

 人事評価制度との関連で言えば、差別を生み出していく評価という名の支配の様式を根本から批判していくということになるだろう。制度の矛盾を追及しようとする横校労の戦術(自己観察書に具体的内容を記入し、評価の公開や校長に対する評価を職場で実践する)を巡る討論において、「公開・評価」に対置すべきは、労働者の相互批判の流儀と、公共性の形成なのではないかという発言(大友さん)があったが、傾聴に値する。

 教育労働の「専門性」なるものが、容易に支配の側に絡め取られていくのは、その閉鎖性故である。故尾崎ムゲンの言葉を借りれば「教員の仕事の特殊性を普遍化」(尾崎「1930年代新興教育運動の労働理解―教師の労働の規定をめぐって」、『口笛と軍靴』1985所収)してしまうが故に、教員以外の労働者との、そして又、子どもたちを含む多様な人々との協働によってこそ発見されていくべき公共性に至る道筋を見失ってしまうのだと思う。分科会に参加してくれた少年写真新聞社労組の見機さんが民間企業における成果主義のいきづまり等について言及していたが、その意味では民間労働者の置かれた状況も視野に入れつつ、閉ざされた専門性への批判を共有した学校労働者の新たな運動こそが求められていると考える。

 

分科会報告

第4分科会「『管理強化』・『勤務時間の改悪』等労働環境・職場実態全般」』

 第4分科会は、主に参加者の交流を目的とし、服務やパソコンを利用した仕事などを気軽に話ができるように設定をした。

 レポートは全学労連調査部が勤務時間や長期休業中の研修などについてアンケートを基にまとめたものと、群馬からパソコンを利用した仕事の現状についての2つと、パソコンでの事務処理の今をあらわしている他の分科会のレポートをいくつか利用させてもらい、1粒で2度おいしい(!?)分科会となった。

 ここ最近、会計検査院の方々が各都道府県を行脚し組合関係の調査をしていたことをご存じの方は多いと思う。参加者の中に自分の職場に来て帳簿を見られていった参加者がいたので、その貴重な体験談をじっくり聞かせてもらうことができた。

 調査の結果から勤務時間中の組合活動の制限が進んでいる状況が浮き彫りになった。これは、明らかに会計検査院の行脚の影響であろう。

 パソコンを利用した各県の学校事務がどの程度まで進んでいるのかは、群馬のレポートをきっかけに話を進めていった。学校事務職員がいなくても学校事務ができるソフトを学校事務職員が作成しているというちょっとブラックな楽しい話を聞かせてもらえ、大阪の総務サービス概要を見て数年先の自分たちの逝くところを想像しちょっと寒気を感じたりと有意義な時間であった。

 さて、毎年思うことだが各都道府県によって休暇等はもちろん仕事の内容、用語の意味などけっこう違いがあるものである。他の話を聞いてこれからの運動の参考になることも多々ある。年に1度、他の都道府県の仲間たちとゆっくり話をするのは、良い癒やしとなるのではないかと実感した。

 

全 体 会

特別報告

 8月25日からの「住民基本台帳ネットワーク」本格稼働を前に、「電子政府・自治体の現状と課題」の報告をJCA−NETの西邑亨さんから受けた。住基台帳システムの詳しい説明と課題、市町村合併やシステムの問題点など実例とともに紹介された。

来賓挨拶

 教員独立組合「全国学校労働者組合連絡会」から、新学習指導要領の現状と、教育再編により時間外勤務を余儀なくされた学校現場の実態が報告された。

 また、東京からは、人事考課制度や主幹制度によるに管理強化と、人事異動の改悪などが報告された。

コンサート

 「職場のいじめ・差別は許さない」をテーマに、20数年前、沖電気を不当解雇された田中哲朗さんの歌とトークによるコンサート。管理社会の中での、仲間の葛藤や自分自身の訴えを曲に乗せ、参加者の心へ染み入るものとなった。

 

文科省の来年度予算概算要求

義務教育費国庫負担金と定数計画を読む

全学労連学校行革対策部 佐野 均

 6月の「骨太の方針第3弾」で2006年度までに補助負担金削減4兆円という数値目標が提示され、その中で一番大口として標的に掲げられている義務教育費国庫負担金。特に「標準法を通じた国の関与の見直しと国庫負担制度の見直しの中で、地域や学校の実情に応じた配置が可能となる方向で検討」と名指しで検討対象にされた学校事務・栄養職員の扱いはどうなるのか、8月末の文科省の来年度予算概算要求が注目された。7月の全学労連との交渉では「制度は堅持する」と回答した文科省だが・・・

☆攻防は年末の予算編成へ

 第7次定数計画の第4年次分で、義務教育諸学校教職員5,380人の「改善」を図るとして、義務教育庫国庫負担金約2兆8210億円が要求されている。この中には学校事務・栄養職員分も含まれるので、国庫問題の最初のハードルである概算要求はとりあえずクリアしたと言えよう。しかしこの要求額は、前年度予算より約132億円増えている。これに限らず概算要求全体では前年度予算額5.7%増の約86兆円の要求が各省庁から出されており、懸案の歳出削減は先送りされたと新聞は報じている。

 補助負担金4兆円削減の初年度でもあり、このままで済むわけがない。財務省は、昨年文科省が削減の対象として差し出した退職手当分の義務教育庫国庫負担金2300億円をカットする方針を既に打ち出している。こうした税源移譲の無いままの義務的経費の削減に、総務省は当然反発する。「改革派」6知事は、都道府県分の補助金9兆900億円の廃止を提案するなど、国の方針を超えた地方の動きもある。解散・総選挙も必至であり、当面は厳しい内容は表面化せずに事態は進む。今後さらに年末の予算編成をめぐる虚虚実実の駆け引きと厳しい攻防が続くだろう。

☆事務職員の“生贄の羊”化?

 とりあえず学校事務職員も盛り込まれた来年度の定数計画であるが、相変わらず判で押したように事務職員145名が要求されている。あくまでも計画だからと言ってしまえばそれまでだが、計画初年度の加配133名はまあ良いとして、2年目96名増、3年目67名増で年々伸びが少なくなっている。計画通りなら3年目の今年は435名の加配があるはずなのだが、実際には296名である。学校栄養職員などは1年当り192名が要求されているにも拘らず、計画2年目昨年度での加配合計が1年分にも満たない64名という有様である。文部科学省の説明資料によると、教職員全体では計画通り1年ごとに5,380人を「改善」していることになっているから、少ない分は他職種に食われてしまっているということだ。果たしてこれは、事務・栄養職員のような少数職種にとって、「改善計画」と言えるのだろうか。

 そもそも児童生徒数や学級数という客観基準によらない加配方式というやり方自体に無理があると思うのだが、文部官僚はこうしたことへの反省は一切しないで、ひたすら省益である義務教育費国庫負担金の「根幹」部分の防衛に専念する。そのためには第7次定数計画は数字の上では計画通りに遂行するし、額の減少を伴わなければ定額化・総額裁量制も許容範囲なのだろう。こう考えると、「栄養教諭」構想が浮上する中で、事務職員の“生贄の羊”化はあながち的外れではないかもしれない。


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