2003年12月20日
top> ニュース> 263号

全学労連ニュース今号の内容

 闘いはこれから・・・・12/12 全国総決起集会

 2003.12.12 全国総決起集会 基調報告

 速報 とりあえず事務職員分は残ったが…義務教育費国庫負担制度の行方

闘いはこれから・・・・

12/12 全国総決起集会

緊迫した事態の中で

 10日の政府与党政策協議会で福田官房長官から改めて学校事務職員人件費の一般財源化が求められ、額賀自民党政調会長がこれに応じなかったことで、今年の国庫問題は一応の決着をみた。土壇場まできて辛うじて学校事務職員の国庫負担は維持されたかたちだ。

 12日、会場の交通ビルに全国から続々全学労連の仲間がかけつける。国庫維持はなったものの、厳しい展開に集まった仲間たちの顔にも安堵の表情はない。

 冒頭、主催者挨拶に立った菅原全学労連議長は、国庫問題は先送りされたにすぎない、この集会でこれからの展望を見出すための議論を深めようとよびかけた。学校事務ユニオン東京の山田隆一委員長は、全学労連との共催は今回が最後、明日からは全学労連の一員として共に闘いを担っていくと決意表明した。(翌日の全学労連全国代表者会議で学校事務ユニオン東京の全学労連加盟が正式に決定された)

当日の3省要請行動を含む情勢・経過報告

 次いで事務局から情勢と取り組みの経過が報告された。11月21日の、経済財政諮問会議で、麻生総務相から「義務教育費国庫負担制度の改革について」、具体的には加配教員・事務職員分の人件費3100億円の一般財源化が提案されたことで、国庫情勢はにわかに緊迫した。全学労連は総務相宛緊急抗議打電を全国から集中する一方、12月3日、3省と全国都道府県教育委員会連合会に緊急要請行動を行なった。

 12日、集会前段の3省要請行動で、財務省は、あくまで義教金全体の見直しが課題、総務省の事務職員部分についての提案は唐突で検討する余裕もない、全体の定額交付金化が財務省の方針、子どもが減少しているのに義教金が増えているのは問題だ、とした。総務省は、退職手当・児童手当について「税源移譲予定交付金」としたのはあくまで過渡的な措置・仮登録にすぎない、来年度は単純に考えれば1.6兆円削減のノルマになるが、文科省がどのような削減案を出してくるか、おかしなものが出てくれば今回のように「例示」(加配教職員・事務職員分の人件費削減提案を指す)を示さざるを得ないとした。このように国庫問題は先送りされたに過ぎず、今後も益々厳しいせめぎあいが続くことを覚悟しなくてはならない。

 全国で取り組んだ国会請願署名は、危機感を抱いた仲間からのこれまでにない協力も得て、昨年を上回る数を集約し、衆参両院の紹介議員に委託したことが報告された。

基調報告をめぐり活発な議論

 続いて新自由主義に抗し「競争ではなく共生を」と提起する基調報告が菅原議長から行なわれ(別掲)、これをめぐって時間一杯活発な議論が交わされた。

 06年までの向こう3年間、学労運動の存在が問われる正念場だ、総額裁量制、一般財源化、交付金化いずれにしても定数が危ない、各県当局との闘いが重要になる、という意見。

 職場での闘いを作れるかどうかが問われている。運動を統一的に作れてこれなかったことが現在の状況を招いたと反省すべき、の声。

 学労運動の源は教職員の差別分断にあったが、今は、教員内部にも成績主義等分断が持ち込まれようとしている、原点に帰って学校労動者として共に闘う条件が出てきているのではないか、という提起。

 支援にかけつけた全学労組のメンバーからは、「研修」取り上げ等の締め付け強化、現職の死亡者が相次いでいる状況が報告され、諸悪の根源給特法の廃止を求めていくとの発言があった。

 続いて来賓挨拶に移り、全学労組、神奈川県共闘、電通労組、大塚製薬労組、少年写真新聞新聞社分会、国立二小不当処分の撤回闘争を支える会から力強い連帯アピールが送られた。

意気盛んにデモンストレーション

 集会宣言を採択して閉会し、デモ行進に出発。小雨混じりの天候だったが、「自衛隊のイラク派兵反対!」のスローガンも交え元気一杯シュプレヒコールを行い、財務省、文科省、総務省前では満腔の怒りを込めて抗議行動を行なった。日比谷公園で総括集会を行い、明日からの互いの奮闘を誓いあって全国に散っていった。

 

原点で生きていこう

2003.12.12 全国総決起集会 基調報告

1 文科省の「国庫負担制度堅持」とは違う立場で。

 明日にも自衛隊がイラクに派兵される。日本の軍隊が他国で人を殺し、また殺される事態が迫っているのに、派兵への反対意見は多数であろうに、街をデモンストレーションの人波が埋めているわけではない。いつの間にか人々は怒りを表現しなくなっている。今までの日本の「学校・教育」が生み出したのは「人々の怒り削減」だったのか。

 「教育」は国民を制御し統制する道具としてその役割を十二分に果たしてしまったということだ。そして義務教育費国庫負担制度が、その教育の国家統制の重要な柱だったことは認めざるを得ない。今権力側の国庫負担制度の見直し議論は、彼ら側に教育統制の達成感があるからなのか。

 今年の国庫負担問題では地方の「補助金削減」の声が大きかったことに注目する必要がある。県・市首長会が相次いで「義務教育費国庫負担金の廃止」を発言し、歩調を合わせている。巨額の財源移譲、人事権限、教育施策への思惑がからみ、これからますます「地方の声」は高まるだろう。

 もちろん文科省は最大の利権は「教育の統制」であるから、その手段としての国庫負担制度の維持を狙っている。大学から幼稚園までの学校を支配し、教育内容を統制し、教員を支配下に置くことが彼らの権力の源である。それを手放すことはしない。義務教育の支配のために「国庫負担制度」を維持したい文科省は、教員統制ができる形での存続を図ろうとするだろう。すでに文科省は「総額裁量制」と言いはじめているが、「評価制度」や「教職員の非常勤化」を一方で提案しているのだから、それは「合理化しやすい国庫負担制度」という代物でしかない。文科省は「教員統制」を堅守するためには、総務省の「事務職員はずし」に乗ることもありうるだろう。

 私たちは、権限喪失への不安をかき立てられた文科省のいう「義務教育費国庫負担制度の堅持」とは違う立場で「国庫制度を守れ」と言わねばならない。私たちにとっての「義務教育費国庫負担制度」は、学校事務労働への意味を付与しているわけではなく、単にそれは「雇用・賃金」を保障している重要な労働条件だからである。

2 職場が気持ち良く、安心して、働き続けられればいい。

 義務教育費国庫負担制度のもとで、学校で働く労働者の労働条件は責任全体が曖昧なまま放置され、県教委も地教委も、それぞれの首長も責任を押し付あっている。一方で、その無責任体制が、私たちに「学校の牧歌性」をもたらした。

 しかし、今や学校は本当に変わってきてしまった。かつての「学校の牧歌性」はもはや無い。「自宅研修」が消滅したにもかかわらず、無制限超勤体制の長時間労働に黙々と従う教員の群れ。職場での居心地の悪さから教育行政との一体感を求め、自ら合理化に邁進する事務職員たち。「業績評価」の導入は労働者間に自ら進んでの労働条件切下げ競争を激化させ、メールで配信される給料袋を同僚と比較できない。

 いま必要なことは切り捨てられる労働条件の歯止めをかけること。学校事務職員も教員も「学校牧歌性」の幻想を捨て、労働の「物語」を捨て、私たちはささやかな願い「職場が気持ち良く、安心して、働き続けられればいい。」の実現まで進むしかない。

 事務職員にとって仇の「給特法」は、無制限超勤体制をもたらすものとして教員にとっても粉砕の対象になってきた。学校を「給特法体制」から「労働者の働く場所」に作り替える取り組みを早急に組み立てよう。

 労働基準法、労働安全衛生法もなんでも使えるものはなんでも使って、学校で働く全ての労働者の労働条件の責任を、「管理職」に「地教委」に「県教委」に「首長」に「国」にきっちり取ってもらおう。

3 職場で教育基本法改悪反対の声を。

 高校では、すでに「日の丸を揚げる校長・教頭・事務長」という構図が登場している。「学校事務の共同実施」が、文科省の学校管理(教育管理)の手法として、役目を果たそうとするからこそ文科省は「共同実施」を進めるだろう。「共同実施」推進に躍起になっている全事研・日教組事務職員部は「教育の統制支配」のお先棒としての事務職員を目指している。

 権力はもちろん国民統合に有効な手法の教育を手放そうとはしない。むしろ逆の動きが強くなっている。教育の地方分権、自主性をいいながら「国家のための教育」が声高になっている。「国家」を全面に押し立てた教育基本法の改定がはじまろうとしている。

 そういう意味では「旗、歌」に近づかなくて済む事務職員ですまされぬ時代がはじまろうとしており、「お先棒」ではない事務職員として生き抜くことがが求められている。

 国庫負担制度後、学校への「君が代日の丸」圧力は減るのだろうか。文科省の直接の圧力から、むしろ東京のように自治体や「市民」の圧力が強まるだろう。すでに無責任な教育委員会に変わって、教育へ直接介入、支配の魅力にそそられた首長がその野望をあからさまにし始めている。

 「教育基本法」の改悪はそのような、文科省と地方の権力争いのなか、無責任教育委員会をつくり出した文科省が最重要任務の仕上げとして登場させてきた。

 私たちは、労働条件を守るために「国庫負担制度を守れ」と言うとともに、しかしそれ以上の声で「教育基本法改悪反対」と発言し続けなければならない。日本軍が今まさに海外出兵をするとき、「国益」という言葉が当たり前のように飛び交う今だからこそ「国家のための教育」を止める活動を強力に進めよう。

4 競争ではなく共生を

 「国庫負担はずし」策動の始まりは、1984年である。新自由主義の旗を掲げた中曾根が戦後統治機構再編を狙い、様々な分野での合理化を進めた時代であった。「全ての人は個人の欲望達成に向けて努力する」を玉条にした新自由主義は「欲望達成の障害は取除け」と徹底的規制緩和で競争の激化を進め、「欲望にたどりつけない人は努力不足であり、個人で責任を取れ」と切り捨て、「努力した者は報われる」と金持ちは優遇する。そして混乱する社会のトラブルの増加には司法の力を増強させていく。

 ばらばらになった個人はすがるもの、「物語」を求める。「ナショナリズム」がソフトに、ハードに浸透し、右翼政治家は確信的排外主義を大声で口にしている。

 しかし、ようやく新自由主義の醜さが露になってきた。小泉「構造改革」は、「痛み」だけを増やし続けており、「平安な生活」からはもっとも遠いことがあからさまになっている。

 私たちの「ささやかな願い」は、新自由主義と真っ正面からぶつかる。新自由主義の醜さに立ち向かい、「競争」の時代に「共生」で生き延びていきたい。私たちは、自らの問題解決への取り組みを他人まかせにはせず、「〜のため」の労働の物語から遠れ、「自らのことは自らの手で」を合言葉に、ささやかな願いを自らの手で実現させるため、地道に当たり前の労働運動を進めてきた。この原点でのたたかいをもう一度始めよう。

(議長菅原)

速報 とりあえず事務職員分は残ったが…、

義務教育費国庫負担制度の行方について

全学労連事務局学校行革対策部 佐野 均

☆総務省の抵抗

 11月21日の経済財政諮問会議で麻生総務大臣は、義務教育費国庫負担制度に関して全額一般財源化を図るという前提ながら、当面来年度予算では地方の自由度を高めるために対象範囲を「学級編成の基本」と「教員に係る部分」に限定するという案を提示した。つまり、定数計画の加配部分の1900億円と事務職員分1200億円の国庫負担はやめろというわけだ。28日には朝日新聞の1面記事にもこのことが報じられ、同日の経済財政諮問会議でも総務省はさらにこの主張を強化した。

 そこから来年度予算の義務教育費国庫負担金削減をめぐって文部科学省・財務省・総務省の三つ巴の攻防が続いた。文部科学省は総額裁量制と退職手当と児童手当の国庫負担金2300億円の削減を主張し、財務省は教員の優遇措置を無くし、現行の定数加配方式を児童数の減少を反映する制度に改めることを主張しつつ、来年度の削減項目としては文部科学省の削減案に同調する。

 昨年の予算編成をめぐる攻防の結果取り交わされた「三大臣合意」では、(1) 2004年度に義務教育費国庫負担制度の改革(例えば定額化・交付金化)のための具体的措置を講ずるべく所用の検討を進める。(2) 2006年度末までに義務教育費国庫負担金全額の一般財源化について所用の検討を行う。(3) 退職手当・児童手当の取り扱いについては関係省庁間における継続検討課題とし、2004年度予算編成までに結論を得る。という3点が確認された。“検討”とか“結論を得る”とか確定的な表現でないあたりに3省間の妥協の産物であることがうかがえる。この中で具体的に出ているのは退職手当・児童手当だけであり、このことによってその後の議論の流れはその削減が主流となる。

 これに反対する総務省は対抗上別な案を出さなくてはならなかった。そこで出されたのが冒頭に述べた定数の加配部分と事務職員分の合計3100億円の削減案である。総務省はもっともらしく理屈をつけているが、要するに今後負担増が明らかで地方自治体が反対している退職手当の削減を簡単に認めてしまっては総務省の面子が立たない、どうせ削るなら、文科省お手盛りの定数加配部分や電算化・外部委託などで合理化できる事務職員の削減のほうが、地方は喜び総務省の株も上がる。おまけに削減額も多く、総理が勝手に決めた来年度補助金削減1兆円のノルマにより近づくぞという訳だ。

☆自業自得?

 この総務省の抵抗は自らの省益から発していることは明らかであるが、文科省のやってきた施策の弱点をうまく突いているといわざるを得ない。

 全学労連が今まで繰り返し主張してきた事だが、現行の定数計画の加配方式は、児童生徒数や学級数のような客観的な基準を反映するものではなく、“お手盛り”を正当化し文科省の地方に対する権限を強化するだけで、「改善」とは呼べないものである。総務省が加配部分の国庫負担をやめろというのは、確かにこの意味で地方の自由度を増すことにつながる。ただし前提として単に国庫負担をやめろというのではなく、加配方式ではない定数改善を保障する財源措置がされる(国庫負担もその手段のひとつ)とするならばだが。

 また、事務職員分の削減については、電子自治体化や外部委託による事務部門の合理化の流れが背景にあり、それを学校事務に実現させる展望を与えてしまったのが他ならぬ文科省の推進している「学校事務の共同実施」という施策であろう。文科省は自らの省益にそった定数「改善」のための方便と思っているかもしれないが、財務省・総務省や「地方の自由」とやらで総務省に支配される地方自治体の側はそうではない。文科省のいう「総額裁量制」で定数標準法の規制が緩和され、その上国庫負担制度からも外されれば、人員や経費の削減に奔走する行政当局にとって何も事務職員を各校に配置しておく必要は無くなる。その際「学校事務の共同実施」は合理化の有効な手法として活用されることだろう。このこともまた全学労連が繰り返し主張していることである。

 すなわちどちらも文科省の蒔いた種であり、それを総務省に利用されて三省三つ巴の抗争が繰り広げられたわけだ。12月9日には福田官房長官が、(1)財源措置の上退職手当と児童手当の2300億円削減、(2)学校事務職員分1200億円は2005年度予算編成までに一般財源化の結論を出すという調停案を出して決着を図ったが、(2)については河村文部科学大臣と額賀自民党政調会長に反対された。文科省と自民党文教族の抵抗が意外に強かったということだろう。

 結局退職手当と児童手当が削減され、「税源移譲予定交付金」というとって付けたような名前の財源で措置されることになった。事務職員分の削減は見送りとなったが、最後まで削減の候補に残るという危険な展開であった。しかも例年より1週間以上遅い10日午後になっての決着であり、総務省も並々ならぬ決意で臨んできたことを示している。以後財務省は予算編成で、総務省は地方財政計画の策定で、それぞれ徹夜作業の日々が続くことになった。

☆今後の展開はどうなる?

 今回は結果的に総務省の提案は退けられたことになる。しかし財務省は、来年度の削減項目に関しては文科省案に同調したが、もともと事務・栄養職分の削減を主張しているし、児童・生徒数の減少を反映しない現行の定数加配方式にも批判的だ。12月14日付の朝日新聞は、財務省が児童・生徒数の減少を理由に来年度の教職員の増員980人を認めず国庫負担金約50億円を減らし、さらに次年度以降の定数計画の見直しや教員優遇措置の撤廃を求めていく方針を明らかにした事を報じている。今後の総務・財務両省の共闘を予感させる。

 昨年の「三大臣合意」で具体的に名のあがったものが今回切られている。今年最後まで名前をあげられた事務職員分が狙われると考えるのはそれほど無理なことではない。まだ4兆円削減のノルマのうち1兆円分が達成されただけなのだ。それだけでも各省庁を巻き込んでの予算編成作業は大荒れだった。文科省としては義務教育費国庫負担金のこれ以上の削減メニューを持っていない。文科省以外の省庁から素直に差し出されるものがあるとも思えない。来年はさらに荒れる予算編成が予想される。

 ただし来年度以降の動きがどうなるかは不透明な部分も多いことも確かだ。というのは、4兆円削減の目標達成年である2006年度は、「三大臣合意」により義務教育費国庫負担金の全額一般財源化の検討期限ともなっている。検討するということだから全部なくなるとは限らないが、少なくとも総務省はそのつもりだし、財務省も同調しそうである。そうした圧力により仮に全額一般財源化されるとしても、今年度約2兆8千億円の義務教育費国庫負担金のうち2300億円が来年度削減されるわけだから、残りは2兆5700億円。そのうち事務・栄養職員分は約1500億円で、残りは教員分である。補助金削減目標の残り3兆円に対して、義務教育費国庫負担金の残り2兆5700億円全体では確かに収まりはいいが、事務・栄養職員分だけではあまりに少ない。このやり方では残りの教員部分のどこをどう切るかが問題になる。費目や職種毎に切る今までの言わば「縦切り」のやり方はもう限界ではないだろうか。となると負担率を引き下げていく「横切り」のやり方が出てきそうである。それが事務職員分を切った後になるか先になるか、いずれにしても仮定の話なので、事務職員分の国庫負担制度を守る戦いを全力でやるしかない。

☆「三位一体改革」のマヤカシ

 今回の決着で小泉内閣の進める「三位一体の改革」は一歩進んだように見える。何しろ4兆円の目標のうち初年度に1兆円の削減に成功したのだから…。しかしだまされてはならない。そもそも改革の目的は、国と地方の関係を見直し地方に権限と財源を移すことによって、国の歳出を削減し財政再建をすることにあったはずである。

 普通に考えれば、補助負担金が1兆円削減されたなら同じ額が地方に税源移譲すると思うのだが、日経新聞の伝えるところによると、1兆円のうち公共事業関連の4000億円が事業の廃止や縮減で財源の必要が無くなる。残りの6000億円のうち先に述べた「税源移譲予定交付金」で措置されるのが4000億円、残りの2000億円が来年度分の税源移譲される額(今年度に遡る分も含めると4000億円)であるという。「三位一体の改革」といいながら税源移譲分はわずか2割だけである。

 「税源移譲予定交付金」というのも名前からすればたぶん将来税源移譲されるのだろうが、その時期については決められておらず、空手形に終わる可能性を否定できない。「税源移譲予定…」という枕詞付きであっても、当面は国税を財源とする総務省が所管する交付金であることに変わりは無い。要するに義務教育費国庫負担金でいえば、文科省が所管していた2300億円の負担金が総務省所管の枕詞付き交付金に変わっただけで、どちらも財源は国税で国の歳出削減にはなっていないという事である。言い換えれば文科省の権益が総務省に移ったということだ。地方ではなく総務省への「権限委譲」である。今後「自由」度を増した退職手当は、総務省に指導された地方の行政当局による大削減の攻撃を受けることになるだろう。事務職員分が残ったからといって喜んでばかりもいられない。

 全体でいえば1兆円のうち6000億円が財政再建という本来の目的につながらず、「1兆円削減」という数字だけが「改革」のアリバイ作りに使われているだけなのだ。そんな事のために連日のように新聞紙上をにぎわして翻弄された学校事務職員は大いに怒るべきではないだろうか。

☆自らの手で反撃しよう

 職の存亡に関わる事態に対して全国の学校事務労働者はよく戦っている。全学労連も全力で取り組みを行った。それは良しとしても、全事研のこの間の迷走ぶりには一言ふれざるを得ない。

 全事研の神谷会長は6月にも全国の全事研支部に向けて「義務教育費国庫負担制度堅持」とし「再び来年も今回のような厳しいバトルが予想されます」などと来年に先送りするような能天気な認識をもっともらしく吹聴していた。

 今回はそれとは正反対に11月28日に翌週の3大臣折衝で総務省の削減案で決定されるかのような情報を流し、各支部に対して土曜・日曜日を使った要請活動を要請している。この時期危機感を大いに持つ事は良いとしても、要請項目に「教員に優秀な人材を確保し、義務教育の水準を維持するため、人材確保法を堅持すること。」とあるのはどういうことか。教員と他職種との格差を固定させ、学校職員間の差別構造を作った人格法の堅持を事務職員の団体がわざわざ求めることは無いだろう。

 文科省のお先棒担ぎで、何も考えずに文科省の利益を守るために働かされているから、こんな要請内容が無批判に出てくるのだ。文科省は自らの省益として学校事務職員の国庫負担を守ろうとしているのであって、我々の職や労働条件を守りたいわけではない。場合によっては生贄の羊として切り捨てられることもあるということを忘れてはならない。文科省と協力することがあったとしても、この立場の違いは明らかにしておくべきだろう。全学労連は、自らのことは自らの手でやるべきと考える。


top> ニュース> 263号


無料 WEB-page スペースを利用しているため、広告が表示されますが、全学労連とは無関係です。



inserted by FC2 system