2007年3月2日

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全学労連ニュース今号の内容

 教育再生会議の第一次報告を読む 文科省権限強化の為の「井戸端会議」

 連載 給与構造改革2 学校事務職員の旧7級昇格は真っ当な制度だった!

 問題だらけの群馬の共同実施試行

 

教育再生会議の第一次報告を読む

文科省権限強化の為の「井戸端会議」

全学労連事務局 学校行革対策部 佐野 均

☆手段としての「教育再生」

 教育再生会議の第一次報告(以下「報告」と略記)が1月24日に発表された。わずか3ヶ月の論議で、しかも昨年末に出された骨子案への各委員からの猛反発を考えると、よくぞまとめられたものだと思う(褒めている訳ではない、念の為…)。同時に、安倍首相とその背後にいる自民党文教族及び文部官僚たちの「教育再生」に向けた並々ならぬ執念みたいなものを感じる。

 学力低下・いじめ・不登校・校内暴力・指導力不足教員等々、マスコミを動員したキャンペーンで世論が煽られている中で、これまでの自民党政策の責任を棚にあげ「教育再生」を政策の目玉として発足した安倍内閣はマッチポンプ内閣と呼ぶに相応しい。にもかかわらず昨年12月に教育基本法は、個人の尊厳や価値よりも国家や公共性を優先する方向に変えられてしまった。自民党文教族及び文部官僚たちにとってみれば長年の「悲願」の実現だっただろう。その余勢を駆って、前の小泉政権で強いられてきた義務教育費国庫負担制度や定数計画等後退から巻き返しに転じ、ひいては国家主義的な教育制度の復権の絶好の手段として、安倍首相の「教育再生」政策に期待をかけていることだろう。その思いが正直に出過ぎ、結論をコントロールしようとして委員たちから反発されるような事はあったが、教育再生会議を盾としてやっていく他無い以上、好きなだけやらしておいて、その中から使えるものだけをつまみ食い的に取り上げていくように方針転換したようにも見える。

 「報告」は「教育再生の為の当面の取組」として「7つの提言」を掲げる。

  1. 「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する
  2. 学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする
  3. 全ての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する
  4. あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる
  5. 保護者や地域の信頼に真に応える学校にする
  6. 教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す
  7. 「社会総がかり」で子供の教育にあたる

 一瞥して感じるのは、「規律」「規範」「魅力的」「尊敬」「信頼」等の個人の内面に関わる言葉が目立ち、それが「徹底」「総動員」「総がかり」等の画一化・全体化のベクトルを示す言葉で方向付けられているということだ。その意味で教育基本法の改悪とこの提言は深く関わっている。

☆責任逃れの「美しい国、日本」

 「報告」は冒頭で「基本的な考え方」を述べている。それを要約すると、多くの公立学校が保護者の切実な願いに応えておらず、「『公教育の機能不全』と言っても過言ではありません。」とまで言い切り、だから「教育界」の「悪平等」「形式主義」「閉鎖性、隠蔽主義」「説明責任のなさ」「危機管理体制の欠如」を「真剣に」議論し「真に国民の期待に応える学校教育を構築していくことが必要」だという。そして「子供の健全な成育に背を向ける身勝手」は許されず、「社会総がかり」で「教育を再生」しなければならず、「美しい国、日本」の実現を目指すのだという。

 これを見て安倍首相の言う「美しい国、日本」とは「全体主義」の言い換えだと納得するにしても、学校現場の実態への検証も無しに、思い込みで随分な決め付けをしてくれるものだ。仮にその通りだとしても、今のように上意下達の管理が徹底した学校に置いては、何よりも先ずそれをもたらした政策上の責任が問われなければなるまい。しかし「報告」はその部分に言及しない。強いてしているとすれば、1の「ゆとり教育」の見直しくらいか。しかしそれも政策転換には違いないが、責任の所在は曖昧であるし、その転換によって学校現場はまた振り回され混乱するだけだ。それどころか、現場教職員への締め付けや教育委員会の在り方をいじくりまわす事に解決策を見出そうとしているようで、暗に「公教育の機能不全」の全ての原因がそこにあるとでも言いたげだ。

☆国家の決める「愛」

 「7つの提言」の中身を細かく見ていくと、国家=文部科学省を頂点として学校現場の内部にまで至る階層構造を強化していく方向、すなわち教育行政権力の強化をもたらす事を意図していると思われるものがあまりに多い。

 第3項目の「すべての子供に規範を教え…」では「道徳教育」の強調や「高校での奉仕活動を必修化する」とか、さすがに「修身教育」の言葉こそ無いが、それに通じかねない内容になっている。挙句は「父母を愛し、兄弟を愛し、友を愛そう」とまで言い出す。これは第7項目で家庭や親子関係を強調する「社会総がかり」という発想にも通じる。教育基本法改悪反対運動の中で改悪案批判の論点のひとつに、誰を(何を)愛するかは国家に決めてもらうのではなく自分で決めることだというのがあったが、まさにそれが現実のものとして現れようとしている。

☆罰則と格差による支配

 第2項目の「学校の再生」で、「深夜・休日を含めた24時間対応のより利用しやすい電話相談システムを整備」するのは良いが、続けて「教育委員会は、予算・人事・教員定数の面で学校を支援し、荒れている学校や困難校をなくす」ということと合わせて、具体性がどれほどあるのか。進行中の現実とあまりにかけ離れてはいないだろうか。結局行き着く先は「いじめや暴力行為を繰り返すような反社会的な行動を取る子供に対しては、学校教育法に基づく市町村教育委員会による出席停止制度を活用する」というような罰則強化でしかない。

 この発想は第4項目の教職員への対応にも共通している。「あらゆる手だてを総動員し…」とまで言うなら、進行中の総人件費削減策による定数や給与の削減は止まりそうなものだが、彼らの育てるべき「魅力的で尊敬できる先生」とは一部の「スーパーティーチャー」であって、そこには給与面で優遇するが、それ以外、特に日の丸・君が代や管理強化に反対する等従順でない者は、処遇の引き下げや「指導力不足」のレッテル張りや教員免許の剥奪で締め上げ排除する。その代りに採用を幅広く行うための「特別免許状授与数を今後5年間で採用数の2割以上」としている。教職員全体の底上げでレベルを上げるという発想は全く無いらしい。要するに子供も大人も罰則強化と格差拡大で支配しようということだ。

☆管理強化の為の「システム改革」

 第5項目では学校について「副校長、主幹等の新設」で「学校の適正な管理・運営体制を確立」と同時に「管理職としての不適格者は降格できる仕組みも作る」とか、さらに「優れた民間人を校長などの管理職に、外部から登用」などという。管理職も優遇どころか追い立てられて大変だなと思う一方で、しかし本当に「優れた民間人」だったら、学校に登用されてしまっては本人も民間も迷惑だろうと思うのだが…。とにかくそれで「保護者や地域の信頼」に応える学校になるらしい。

 第6項目で、「特に義務教育に関して国は明確な基準を示した上で、極力市町村教育委員会、学校に権限を委譲し、分権を進める…」とあるから少しは学校現場や地域の自由度が増すのかと思うと、すぐ続けて「…と共に、国は教育の成果や履行状況をきちんと検証する」としっかりヒモが付けられている。そして第5・6項目共に、学校と教育委員会のそれぞれに「第三者機関」による「外部評価」を制度化するよう求めている。外部からの監視と内部の職階制強化で結局管理強化に向かう道しかなく、「権限を委譲」だとか「分権を進める」という言葉が空しく響いている。

☆現場の負担増と、教員の事務や業務の見直し

 第1項目で「学力向上」のために提言されている「土曜スクール」や「夏休みや放課後を活用」した補修などは、「教員経験者、学生ボランティア、地域の協力も得て」とは言っても、学校側が丸投げして済むはずも無く、今以上に学校現場の負担を増やすことに違いない。「文部科学省・教育委員会は、単に制度を改めるだけでなく、制度やその趣旨の現場への周知徹底、実行状況のチェックを徹底し…」としっかり監視体制を強化するようにしておいて、その一方で「教育内容についての学校の裁量を拡大し、学校の創意工夫を可能とし、特色ある教育を推進する」などと言われても、奇麗事過ぎて現場は苦笑するしかないだろう。

 もうひとつ見落とせないのは、第4項目で「教員が児童・生徒と向き合うことに専念できる時間を確保するため、学校は教育委員会と一体となって教員の事務や業務を見直し、教員の事務的負担を効率化・削減する」とあることだ。教員の負担を軽減するのは良いとして、その仕事を誰がやるかが問題になる。

☆文部科学省の研究と調査

 文部科学省は今年度申請のあった青森・大阪・鳥取・宮崎・沖縄で「教職員配置に関する調査研究委託事業」の一環で「事務の共同実施を活用した教職員配置の工夫に関する実践的な研究」を実施している。その留意事項の参考資料として示された「新たな学校事務の業務内容の具体的例示」によると、「教員から移行する業務」・「今後求められる業務」・「比重が大きくなる業務」と大きく三つに分けてそれぞれを例示している。

 「教員から移行する業務」として、年間授業時数の算出等の「教育課程進行管理」や、保護者負担経費・就学支援費・募金・学校収益金・寄付・関係教育団体費・等の「総会計管理」、学籍・教育指導・家庭状況・転学進路等の「児童生徒情報管理」、その他教育実習支援・研修企画・研究事業支援等、が並べられている。

 また「今後求められる業務」として外部評価・学校評議委員会事務局・学校だより・学校間連携事業・学校施設開放等の「地域情報管理」、そして「比重が大きくなる業務」として災害や不審者情報・危険箇所等の「危機管理」、学校支援ボランティアや嘱託員・非常勤講師・兼務発令等の「職員情報管理」、学校評価企画などの「学校経営情報」等等…。

 従来公務外か若しくは事務職員の職務の範疇ではないとされていたものも含めて、何でもかんでも並べたという印象を受ける。全事研あたりの推奨している「職務標準」など霞んでしまうほどの内容である。ほとんどが単数配置の学校事務職員が、「共同実施」であれ何であれ、これを真に受けて研究しようとする現実離れした「勇気」には感服するしかない。

 この研究と同じく昨年文部科学省は全国2,160校を対象に「教員勤務実態調査」を行っている。これは給特法の下では想定されていない教員の超過勤務が、あまりに一般化しているという指摘に、文部科学省がやっと重い腰をあげたものであるが、この調査がたとえ教員の超過勤務の実態を示すことになったとしても、違法な超過勤務の解消に向かうよりは、教員業務の肩代りを他職種、とりわけ事務職員に押し付ける口実とする方向に使われるのではないだろうか。

☆対立構造が再び・・・

 そもそも「報告」が出る前に、その内容の先取り的な調査や研究がされるのもおかしな話なのだが、出された「報告」の中身を見ていくと、一時的な委員からの反発があったにも拘らず、その内容は、「ゆとり教育」の見直しを除いて、従来の文教政策の枠から全く外れていないことに気付く。むしろ「三味一体改革」で失われた失地を挽回する手段として文部科学省が利用しているようにすら思える。「7つの提言」と共に出された「4つの緊急対応」では、教育職員免許法・地教行法・学校教育法の「改正」案を今の通常国会に提出するとされて、中教審では直ちに突貫工事的に法案が検討されているという。何をそんなに急ぐのかというのと同時に、個々の委員の「真面目さ」にもかかわらず、文部科学省・中教審の意図を実現していく口実としての教育再生会議の姿がそこに見えてくる。

 既に教育再生会議の議論には、規制改革会議や地方団体から、国の権限強化になるとの批判が出されており、「三味一体改革」の時の対立が再燃しつつある。「教育再生」を基本政策に掲げる安倍内閣の命運と共にこの先の展開に注目する必要がある。

 全学労連はこれまで、義務教育費国庫負担制度を維持しようとする勢力の中にある教育への国家主義的な介入の志向を指摘して、それとは別の立場を主張してきた。我々は学校事務労働者として、国の権限強化や学校現場への管理強化や合理化をもたらすものには断固反対していく。

   

連載 給与構造改革2

学校事務職員の旧7級昇格は真っ当な制度だった!

 前回の記事で「32年通達」を根拠に旧四等級格付けが全国的に定着していたところ、給与構造改革を契機に「ワタリ廃止、厳格な昇任」を標榜する県当局の方針により新2級とまり(30万円職員)を余儀なくされることを書いた。

 「32年通達」とは、教育公務員特例法をめぐる闘争が収束していく中で、当時の文部省は給与等の処遇の適正化に勤めることになり、そのために出した三本の通知をさしている。

 事務職員の格付けについて語っているところを抜粋すると・・・。

「一人配置の場合であっても、その職員の学歴、経験年数等を考慮して、役付き職員と同等の格付けがなされるように措置すること」('57/5/21付)。「事務職員の職務の等級は、その職務内容に応じ・・・おおむね5等級から8等級までに相当する等級に格付けされるように措置することが適当」('57/7/26付)。「・・・格付けの一般的な標準を示したものであって、学校における事務組織の規模、個々の事務職員の学歴、経験年数等を考慮して、・・・4等級に相当する等級に格付けることを否認するものではない」('57/8/16付)。

 事務組織の規模、事務職員の学歴、経験年数等を考慮して、旧4等級(旧6・7級、現4・5級)に格付けてもいいことを明らかにしている。学校事務職員の旧7級昇格は「32年通達」に従った真っ当な制度だ。

 給与構造改革を契機とする30万円職員化攻撃に際して、組合が「32年通達」を根拠に抗議すると、当局は「『32年通達』など関係ない=そういうワタリ的運用がだめだから給与構造改革は行われている」と発言し、通達を死んだものにするか、闇に葬り去ろうとする。

 しかし、通達は義務教育費国庫負担制度の中に現在も生きている。

 総額裁量制が導入されて以降、国庫負担金は職種ごとの年齢別単価表を基にして算出することになっているが、事務職員の単価表の最高年齢の金額(約44万円)は旧8級の最高号給の金額に相当している。また、時間外手当は国庫負担金の中で6%が措置されている。これらはいずれも「32年通達」が根拠になっている。

 このことについては、次回にもう少し詳しく見てみたい。

義教金・行(1)年齢別単価表    

問題だらけの群馬の共同実施試行

 厳しい財政状況を理由に、県単独配置の事務職員が削減され全校配置が崩されていく中で、人員削減への対応策ということで2006年4月急遽導入されたのが群馬の共同実施である。

 県教委として何らの検証を行うこともなく、他県の事例をそのまま取り入れたものであり、試行から一年がたとうとしているが問題が続出している。我々は、この問題だらけの共同実施に対して、事務職員が学校にいることにこだわり、学校で働くことの意味を考え、また働きたいという強い気持ちをもって取り組んできた。

群馬県教委は

 我々は折衝で、具体的に共同実施で学校を空けることへの抵抗感、移動のための時間や経費のロス、非現実的な職務分担制による混乱とムダ等を指摘してきた。さすがに県教委も「事務職員の出張が増え、所属校や本人への負担が増えている」「集まって行う共同実施と集まらなくてもできる共同実施の内容を検討したい」「施設設備の予算措置がない」「職務分担制への取り組みが地区によりまちまちである」等の問題点をあげ、自らも共同実施の内容を検討することの必要性を認めた。制度は導入したものの、現実問題としてどうしたものか手をこまねいている状況である。しかし、マニュアルを作成して共同実施を画一的に推し進めようと動きもあるので警戒している。

市町村教委に要望

 共同実施の回数及び内容や予算等を具体的に決定する実施主体者として、市町村教委の動向が重要と考え、県内38市町村教委に要望書を提出した。内容は、今日様々な問題を抱えている学校において、全ての学校職員の活動拠点は学校現場であり、そのことを基本に「実施回数及び時間は所属校勤務を最重視し慎重に対処すること」「教育予算の有効活用という面から共同実施事務室の整備より学校教育の充実を優先すること」などであった。今までの運動からすると組合員の中に戸惑いのある部分もあったが、学校にいることにこだわるからこそ、現場の声を最大限あげていった。

ある市の場合

 共同実施は事務職員だけの問題ではなく、多忙化がますます加速している学校職員全体の問題であると捉え、その市においては他の2教職員団体にも共闘を呼びかけた。一致できる課題については共闘した方が効果的であるとの結論から、3組合合同で市教委への申し入れを行った。前述した市町村教委への要望と共通する部分もあるが、「共同実施の実施回数は最大限週1回半日とすること」「共同事務室の整備予算より児童生徒に直結する施設備品費を優先すること」「学校の業務見直しを図るため継続した協議の場を確保すること」など、より具体的な内容となった。その後合同で市教委と協議の場をもち、より幅広い教職員の視点から共同実施の問題点について現場の声を伝えることができた。

 共同実施が導入され、その対応に群馬県の学校事務職員は戸惑いや不安を感じているのが現状であるが、共同実施を事務職員のみの視点で考えるのでなく、学校全職員及び学校全体の問題として捉えていくことを出発点とし共同実施に対する取り組みを広げていきたい。


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