2007年10月3日
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全学労連ニュース今号の内容

 「一将(事務長)功成り万骨枯る」どころではない、最悪のシナリオ  全事研 副会長氏の“飽くなき野望”を嗤う

 第36回全国学校事務労働者交流集会

 シリーズ共同実施 事務長昇任は転任つきです!

「一将(事務長)功成り万骨枯る」どころではない、最悪のシナリオ

全事研 副会長氏の“飽くなき野望”を嗤う

全学労連事務局 学校行革対策部 佐野 均

☆“飽くなき野望”の思い込み

 本年7月10日付の全事研会報に副会長檜山幸子の名で「事務職員を取り巻く情勢とその課題」と題する文章が載っている。それによると、新しい教育基本法に則り、学校教育法等教育関連三法案が「改正」され、本年度中に教育振興基本計画が策定されるなどの動きから、新たな教育改革の具体的な取り組みが始まろうとしていると現状を捉える。具体的には、昨年の「教員勤務実態調査」等により教員が教育活動に専念する環境整備の為に学校事務の見直しが進められるということから、学校事務の組織化と責任体制の明確化、さらには「学校事務組織の責任者として事務長が配置され、事務職員が一体となって学校経営を担っていくことが求められていると言えます」と現状を自らの“野望”の方向に解釈する。そして中教審等の動きを引き合いに出して、「長年の懸案である“事務長制”は検討の段階から実現に向かって動き出しています」と断言し盛り上がる。

 盛り上がるのは自由だが、それに続いて述べているように、国会審議の中で何度も総理はじめの「前向き」発言があり、学校教育法改定という絶好の機会があった情勢にも拘らず、「残念ながら“事務長制”を教育基本法そのものにおいて法制化されることには至りませんでした」という事実はどう見るのか。それを「法案審議の場である国会で、事務職員制度について幾度となく質問事項として取り上げられ、文部科学大臣・内閣総理大臣による前向きな答弁があったことの意義は大きいと思います」と言い、「国民が、小中学校の事務処理体制の強化と事務長制の設置を望んでいるということの証」とまで言い切って良いのか?

 そうかなるほど、「事務長制」が法制化されなかった事もあって、安倍政権は国民の支持を失い参院選でボロ負けしたのか…?だけどヘンだな、あれほど強行採決を乱発して法案を通した強気の総理も文科大臣も「事務長制」に前向きなのに、しかも全事研はひたすら文科省に追従しているのに、「事務長制」は法制化されなかった…ということは、結局全事研が政府から見放されたあげく政府と共に国民の支持を失ったということではないか。でもまさか「事務長制」が参議院選挙の争点だったなどとは、誰も言うまい。

 普通なら法制化が無かった時点で、世間は冷ややかだという事に気付かないほど自分達の思い込みが強すぎたと反省するのが妥当と思うのだが、選挙前に書かれた文章という点を割り引いてもあまりに能天気ではないか。飽くなき野望を捨てられず文科省追従体質であるが故に現実が見えていないということだろう。国会で話題になるだけで実現するものなら、義務教育費国庫負担金などは何百回切られていたことだろう。

☆“飽くなき野望”と問題のスリカエ

 そうした現実を尻目に能天気かつ悪質な議論はまだ続く。文科省が進める「学校の組織運営に関する調査研究事業」や「教職員配置に関する調査研究事業」を引き合いに出し、事務の「共同実施」や「新たな学校事務の領域を切り開くフロンティア事業としての実践を重ね、研究成果をあげています」と持ち上げている。そして今年全事研がやった調査で、共同実施は総数1,478ブロックで行われており、これは「事務職員の加配総数533名を大幅に越えて、共同実施は確実に拡大し、学校事務の組織化が進んでいると言えます…中略…共同実施組織は着実に教育行政組織の一形態となってきています」と分析する。分母が明らかでないので「1,478ブロック」が多いのか少ないのかわからないが、定数でいうなら学校事務職員はまだ3万4千人位いる。この点で全事研が頼みとする文科省の認識は少し違うようだ。学校事務誌9月号で文科省の財務課定数企画係長の尾川氏は「文部科学省としても事務の共同実施の推進が必要と考えていますが、その取り組みは十分に進んでいないのが実情です」と正直に述べている。言い出しっぺの文科省が「共同実施の推進」を言うのは当然としても、その進捗状況の認識は全事研よりはるかに冷静である。

 話は少し違うが、「加配総数533名」というのは第七次定数計画の726名が実現されなかった結果であり、しかも全学労連の調査によると、総額裁量制のもとで年々進行する学校事務職員の定数割れが昨年5月で全国で957人に達している(「WEB全学労連」参照)。事務の組織化が進んでいるかどうか知らないが、定数割れで学校事務職員制度が空洞化していくほうがよっぽど深刻な問題だと思うのだが、全事研にはそれは見えない。または見ようとしない。何故か…?彼らの目的は他にあるからだ。

 ここでまた例の「事務長制」が登場する。「共同実施」とほとんどセットでその組織リーダーの職名を問題とし、「“事務長”という名称は、地域のリーダーとしての役割にある事務職員の職名として広まってきていると言えます」と結論付ける。良し悪しは別にして、学校システムの一つのあり方としての「学校事務の共同実施」の問題と、学校職員組織の一部門である学校事務職員の職名(職階)の問題は、無関係とは言わないがそれぞれ独立した次元の違う問題である。それを「共同実施=組織化=職階制=事務長制」とあからさまに結びつけているのは、全事研が本当に欲しているのは「事務長制」であって「共同実施」はそのための手段であるからに違いない。そういえば全事研は「共同実施」が言われる1998年の中教審答申の遥か以前から「事務長制」の「必要性」ついては語っていたが、事務の「共同実施」という発想は無かった。

 こう考えると昨年文科省が出した「教職員配置に関する調査研究事業」における「新たな学校事務の業務内容の具体的例示」という、高校の事務室でもあり得ない教授活動以外の仕事を全て小中学校事務職員に押し付けようという馬鹿にした案に対し、「新たな学校事務の領域を切り開くフロンティア事業」などと全く無批判に持ち上げるのも頷ける。全事研が長年取り組んできた職務明確化運動の「成果」たる「職務標準表」はどこへ行ってしまうのだろうか、というような余計な心配はしないが、全事研にとって大切なのは、自らの活動や研究成果の整合性や「共同実施」ではなく「」の付く職名であって、あるべき学校の姿とは「事務長」がいる学校ということに尽きるというわけだ。

☆“飽くなき野望”と「事務職員の課題」?

 全事研の主張は、「新たな学校事務の展開の課題」を述べる時さらにエスカレートする。「学校全体を見渡し、学校事務を見直し、プライオリティをつけ、スクラップビルドしながら効率化を図っていくことが大切」で「組織化・システム化・協働ネットワーク化・ICT化により効率化を進めていく必要があります」だそうだ。「図っていく」と「進めていく」の違いのみならず意味不明な文章だ。そして「学校事務・業務のアウトソーシング」にふれ、「学校事務の領域においても、必ずしも学校で行わなくてもよい作業的な業務等については、アウトソーシングを活用し、本来、学校で行わなければ成らないコアとなる業務に専念していくことが求められていると思います」と言う。何が「作業的な業務」で、何が「コアとなる業務」かというと、前後の脈絡から前者は「旅費支給事務や福利厚生事務等をはじめとする」「作業中心の従来の学校事務」で、後者は「学校支援組織・団体等と学校の連携を図っていくコーディネーターの役割」も含む「学校事務を組織化し、事務を総括し掌理する職務」であるらしい。

 そしてまたまた「事務長」だ。「現在、長年の懸案であった小中学校における事務長の設置の制度実現に向けて動き出しており、事務職員制度も新たな展開を迎えようとしています…中略…今回の法改正にあわせて、小中学校における事務長の設置が学校教育法施行規則において規定されることを願っています」と、法制化出来なかったから規則でという。まだそんなことを言っているのか、というよりこれはもう“事務長教の狂信者”の弁かと思う。さらに「学校事務の一部をアウトソーシングしていくことと、事務職員がアウトソーシングされることは同一ではないこと、まったく異なることを明確に示していくことが、私たちの喫緊の課題だと思います」と“狂信者”らしく、自らに的外れな使命を課す。

 どういうことかというと、「事務職員の職務は、作業中心の従来の学校事務に従事するだけなのか、あるいは、学校事務を組織化し、事務を総括し掌理する職務として規定されていくのか、このことは今後の学校事務ならびに事務職員像を大きく左右していくと思います。小中学校に事務長は不要であるということは、言い換えれば小中学校における学校事務は責任の軽い仕事であるということを意味しているのではないでしょうか。作業のみにとどまっている責任の軽い仕事は、基幹職員の職務ではなく、時代の趨勢の中で、アウトソーシングの対象となってしまうと思います。また、そのような仕事にとどまっていれば、定数削減の対象になってしまうのではないかと思います。逆に、小中学校に事務長を配置するということは、それだけ、学校事務は重責ある仕事であるということであり、アウトソーシングの歯止めになると考えています」と力説し、そして「コアとなる業務にシフトしていくことが重要」と述べている(下線は引用者。引用が長くなって恐縮かつ苦痛ではあるが、「語るに落ちる」とはまさにこういうことで、それはそれで面白いからあえて引用した)。

 なるほど、事務長のいない小中学校事務職員の仕事は「作業のみにとどまっている責任の軽い仕事」だったのか。きっとこの人は、学校事務の仕事が嫌いで何の誇りも持てず、自分のすべき事ではないと不満を抱えながら、それゆえに今まで無責任に仕事をやってきたのだろう。世間からも批判されている通り、全体の奉仕者であるべき公務員が無責任に仕事をすべきではない。そんなに嫌いだったら「不適格事務職員」としてサッサと公務員を辞めるか教員に転職して、校長なり教頭にでもなったほうがいい。現に過去そうした輩もいたことだし、最近では民間人校長や前全事研会長の例があるように更になりやすくなっているらしいよ。そこまで悪し様に自分の仕事を卑下する勇気は私には無いし、「アウトソーシングの対象」とされることから逃げずに闘うべきだと思うのだが、さすが全事研の“副会長"ともなるとどうも感性が違うようだ。それほど「事務長制」が好きなら、いっそのこと初任者から「事務長」にして、年齢に応じて「主任事務長」「主査事務長」「主幹事務長」「偉い事務長」「偉大なる事務長」…とでもするよう提案してみたらどうだろうか。そうすればメデタク皆「事務長」と呼ばれハッピーかも…?

 もう一つ、この“副会長"氏が決定的に間違っているのは、「作業のみにとどまっている責任の軽い仕事」をアウトソーシングの対象として認めて、かつ事務職員の「コアとなる業務」が「事務を総括し掌理する職務」だと規定する発想は、新任の事務職員はアウトソーシングの対象と容認するか、最初から“超エリート"でなければならないということを意味するということだ。自分の出世願望を満たすのは勝手としても、その場合の自分の「部下」や「後継者」は何処にいることになるのか。「事務長制」を夢見る人はこの点をよく考えてみたほうがいい。その場合の「学校事務職員」とやらは、委託会社の現場担当者となるか、天下りキャリァ官僚の腰掛け職になる(どう考えても前者の可能性が高い)しかないだろう。国庫負担問題どころか、そのときは既に学校事務職員制度は崩壊しているというべきだろう。「一将(事務長)功も成らず万骨も枯る」ということだ。

 本当の「事務職員の課題」とは、「事務長制」への“飽くなき野望"実現ではなく、その発想を変え、先に述べた総額裁量性による定数割れ拡大による学校事務職員制度空洞化阻止に全力で取り組むことではないだろうか。

(2007年9月9日記)

第36回全国学校事務労働者交流集会

全大会の全景

 今夏の全交流は7月28〜29日の2日間、埼玉県さいたま市で開催された。「教育基本法改正」、教育の民営化や行政合理化の進行、公務員給与の構造改革など、学校で働く者に対する逆風が吹き募る状況を受けて、これにどう立ち向かうのか、真剣な議論が繰り広げられた。

1日目 全体会

 全学労連からの情勢報告・基調報告と、連帯挨拶。さらに4本のレポートによる報告・問題提起があった。

<情勢報告>―学校労働者を取り巻く状況―

 2006年12月教育基本法が改悪され、国家のための教育へ。さらに、学校教育法・地教行法・教員免許法の改悪が強行された。

 定数問題では第八次定数計画は頓挫したまま、総額裁量制のもとで年々進行する事務職員の定数割れがある。2006年5月1日現在全国で757人の欠員で、最悪の東京では事務職員414人の欠員を生じている。一方、教員は充足率全国トップとなっている。義務教育費国庫負担制度は残ったものの、標準定数法はないがしろにされ、文科省はこれを放置している。

 学校事務の共同実施については、文科省は学校事務職員の専門性を高めるために有効であり、今後も推進していくとしているが、特に標準化や全体化がないまま、各地域ごとに独自のパターンで実施されている。一方で、学校経営支援センター(東京都立高校)や総務事務センター(大阪・神奈川)等の動きがあり、総務庶務事務の集中化・民間委託化が具体化しつつある。また、教育事務所再編・本庁の整理合理化の受け皿として学校現場への業務の丸投げがみられ、その結果として学校事務の部分的共同処理化が行われているケースも出てきている。

 義務教育費国庫負担金を巡る新たな動きとしては、全国知事会が義務教育費国庫負担金を含む廃止すべき国庫負担金2兆8千億円を提案。「補助率の引き下げ等ではなく」総件数の半減を求めている。

 財政制度等審議会は、教員給与の引き下げと効率化、学校の統廃合の推進等による義務教育のコスト縮減を謳っている。

 これらの問題がどう収斂していくのかは、今後の政治展開にも大きく関わってくるが、我々の今後の取り組みが重要になってくる。

基調報告

―学校事務廃職攻撃―

 日教組事務職員部は2007年4月に出した「小中学校への『長の配置』に関する常任委員会見解」で「学校事務の共同実施の『長』になろう」との方針を公然化した。驚くべきことに「主幹や指導教諭」の登場を絶好の機会ととらえ、権力がねらう学校管理秩序の流れに棹さす提案をしている。

 2006年の「給与構造改革」において、多くの県では単純に、新給料表に切り変えられたが、鹿児島県では3級に格付けを落とされ。また13県の「ワタリ」改悪が総務省から公表された。これから始まる大幅賃下げの先駆けと見るべきだろう。

 第7次定数改善計画による共同実施加配は、研究加配を含めても予算定数枠を200人近く割ったまま05年度で完結した。共同実施は群馬県など9県で全県実施されているが、学校事務の「改善」に役立った実践例はあるのだろうか。全事研は、「学校事務職員の社会的地位獲得」、日教組事務職員部は「学校事務職員の労働条件抜本的解決は教員並み待遇」を最大課題としている。そのためには何が何でも「共同実施で出世」という「物語」に望みをかける。

基調報告をする議長

―学校事務廃職攻撃に学労的行動を対置しよう―

 絶望を希望に―今でも、かなりの若者が「辛く悲しい現実」の学校から脱出を目指し、「羽ばたきたい症候群」の中にある。学校事務廃職攻撃はその願望をさらに高めるだろう。しかし、外は時給700円の世界、学校事務で残っても、行(一)の3級止まりが近づく。もちろん私たちの最低の要求は「5級に早期(30歳代後半)に到達」であり、各県の「ワタリ改悪」に反対し、「新公務員任用制度」による賃金切り下げに抵抗し、あくまでも学校事務労働者の賃金改善を求める。その上で「『長』を捨てる覚悟」を議論する必要がでてくるだろう。

 居心地のいい職場に―学校という職場は結構居心地のよい職場であった、と思う。広い事務室に少ない人数、仕事は自己完結型、時間配分も自主的判断。いまこの居心地が悪くなっている。賃金は悪くなる一方、仕事量は増え、財務や文書システムで仕事に縛り付けられている。今一度学校を居心地のよい場所にしていこう。先ず現在の仕事を再検討しよう。文科省の「教員の仕事を請け負う事務職員の仕事拡大研究」ではなく、自らの仕事をコントロールする手法を開拓しよう。どうせ学校で事務職員の仕事は事務職員にしかできないのだから。

 もう一つは臨時職員の労働条件改善が課題である。賃金上限規定、連続雇用制限、格付級問題など労働条件が悪化し、また格差が拡大している中、取り組みは急を要している。文科省等中央省庁への要求行動、各雇用主責任の追及などを強化しよう。

 教員労働組合との関係強化も必要になる。学校を少しでも居心地のよい職場にするためにどういった共同の取り組みが作れるのかを考えよう。

 情報発信を―全学労連の長い歴史でもっともきちんとやってきたことは、情報を収集し、分析し、発信してきたことだ。今後も、特に学校事務労働者をめぐる情勢、労働条件の実態、闘いの紹介を中心にし、情報伝達媒体も紙のニュース、電子媒体、雑誌への投稿など、あらゆる手法を駆使していこう。

 活動場所の拡大を―すでに多くの学労の活動場所は学校を越えた空間に広がっている。教育基本法改悪反対の闘いではこれまで以上の広がりの中、共同闘争に参加した。全国的展開、地域の取り組み等の蓄積を生かして、今後の憲法改悪反対、戦争をする国家反対、愛国心教育反対などのたたかいに参加していこう。

<連帯挨拶>全国学校労働者組合連絡会

連帯する全学労組の仲間

 千葉県八街市の教員が「指導力不足教員」ということで県の研修センターに送られていた問題で、全国の闘う仲間の支援で職場完全復帰を勝ち取ることが出来た。いちばん虐げられ、組織もない孤立無援の状況下で、不満や怒りがあってもなかなか闘えないという中で勇気を持って立ち上がったことで、ぽつぽつとではあるが、横のつながりも出来つつある。私たちはともに仲間の労働者として闘える労働運動を作っていきたいと思う。各地の運動や全学労連の仲間の提起にも学びながら厳しい労働運動の中にあっても、日教組や全教ではやっていけない私達の運動が役に立つと思うので共に頑張っていきたい。

レポート1『学校で働く労働者の結びつきを求めて』学校ユニオン埼玉

 このレポートでは埼玉での学校労働運動形態から、様々な職種が結集する新たな組織づくりの経過・過程を中心に提起された。

 1960年頃は埼教組(埼玉県教職員組合)の組織率はほぼ100%だった。その後、首都圏人口ドーナッツ化現象により、学校・教職員数が急増したが、それに対応しきれず組織率は30%へ落ち込んでいった。

 70年代に、日教組の出した賃金・時短方針、給特法・人確法受け入れの影響で、日教組運動への反発や不信が高まり、全国的な事務職員独立組合運動の影響も受けて埼学労(埼玉県学校事務労働者組合)が結成された。

 その頃、勤評審理請求者会議(県央の埼教組内の社会党系組合員が中心)と、埼葛地域の解放研、入間地区の埼教組内部反対派が主体となって、埼玉教育労働者連絡会議が作られ、独立組合を志向し、80年に埼教労(埼玉教育労働者組合)が結成された。

 労働戦線統一の波の影響を受けて、日教組が分裂。それに伴い埼教組も分裂し、社会党系の組合員による埼玉教組(埼玉県教職員組合)、埼玉高教組が結成された。分裂を機に組合をやめた教職員も多く、県内の学校労働運動がますます低調になった。そして、埼学労は、自治労に加盟した。

 その後、埼玉教組の連合埼玉への加入などの過程を経て、以下の組合が結成されていった。

越谷地区教職員組合  日教組の分裂を機に埼教組内部反対派から独立し、87年に越谷地区の事務職員、教員、現業職で結成した。
朝霞学校ユニオン  日教組分裂の際に、埼教組をやめた人たちの中で埼玉教組に行かなかった人と、志木の人たちを含めて交流会を持っていた。その人たちで市教委交渉をするために94年に結成した。所属する組合の上部組織は問わない。
埼玉学労協  埼学労が自治労に加盟したことを受けて、93年に連絡協議会を結成した。そして、ここを全学労連との窓口にした。
志木学校労働者組合  埼学労の自治労加盟に反発した志木市の埼学労組合員が、92年に結成した。組合には日教組の組合員(教員)もいた。

 朝霞・越谷・志木の三組合は合同で、統一機関紙「薫風」を発行して運動の連携を続けた。時には、三組合に、飯能、戸田の日教組系組合も加わって合同で県に申し入れをしたこともあった。

 以降、県内のさまざまな集会や、日比谷メーデー、その他の東京での集会、さらには全学労組の夏の交流集会等を通して各組合のメンバーの交流が続いていた。そんな中で、それぞれの思惑の中から、新たな職員団体結成の機運が高まってきた。それぞれの思惑は「職員団体から混合組合を求めて(越谷)」「県との交渉窓口を求めて(朝霞)」「組合員の自然減の見通しから、新たな運動の広がりを求めて(埼教労)」といったものであった。

 04年3月6日に埼教労、朝霞学校ユニオン、越谷地区教職員組合、埼玉学労協の4組合で「学校ユニオン埼玉」の結成大会を開いた。06年に職場で「校長交渉拒否の問題」を県レベルで圧力をかけるということを契機として、志木学校労働者組合が加入した。これまで、交渉のほかに、互いに地教委に乗り込んだり、教育基本法改悪反対運動などの政治課題にも取り組んだりしている。

レポート2『全国賃金等実態調査報告』全学労連事務局

 2006年4月に給与構造改革が強行された。当初から、主事の級が旧4級から2級に切下げられる府県が数多くあり、事務職員の格付け引き下げ傾向が明らかになっていた。しかし、その多くは旧級から新級への単純な切り替えであったが、総務省調査による公表されたデータによれば06年4月に西日本の数県で降格切り替えが行われたという実態が明らかになっている。「国準拠の『職務給』の徹底、ワタリ剥奪」が給与構造改革の基調だ。

 こうした傾向は各県の生涯賃金カーブに如実に現れている。給与構造改革前の05年に行った調査では、早い遅いはあってもどの県も旧6級(4級)へは昇格しており、同じようなカーブを描いていた。しかし、今回調査では、4級ワタリが確保されているところ(40万円職員)と、「昇任」というハードルを越えない限り3級止まり(35万円職員)、2級止まり(30万円職員)になってしまっているところとの差がはっきり分かれた。公務員制度改革の中で、級別職員構成の是正がメニューとしてあげられているが、これはワタリ抑制として現れ、学校事務職員=「30万円、35万円職員」化が現実のものになろうとしている。学校事務職員の賃金を考えるとき、「長」の路線にのってハードルの先を目指すのか、それとも「30万円、35万円職員」化と如何に対決し底上げを図るか、その立場性が問わざるを得ない。

 給与への成績反映の動きも進行している。これまで査定昇給が行われたのは東京・大阪の二つに止まっていたが、今回調査では数自治体に増えた。また勤勉手当への成績反映も大阪・兵庫では一般職員にまで拡大した。

 この他、臨時職員の労働条件、今後焦点化される教員給与のあり方(主幹教諭問題)等についてもその状況を調査した。

 臨時職員の配置の根拠は地公法22条2項(臨時的任用)か3条(非常勤)かであるが、この間欠員補充に臨時的任用を当てるという脱法行為が横行している。また、これまで県採用の非常勤としていたものを市町村採用非常勤にしたり、学生ボランティアに切替える例も出てきている。2・3年前と比べても一段と臨時職員の割合が増えてきているが、その労働条件はほとんど本人に明示されず、「ルーズ」な職場環境の中で管理職も職場の「仲間」も、「一人前」の働きを期待してしまっている。また、正規職員では撤廃された初任給頭打ちも臨時職員にはまだ残されている。喧しい教育再生談義の中で、タダ働きや使い捨て、劣悪な労働環境によってそれを支えるというのが現場の実態だ。

 「主幹教諭」について給与上の位置づけも含めて職としておいているのは、東京・神奈川・大阪・兵庫の4都府県だ。神奈川は教(二)と教(三)が合体された。2級(教諭)と3級(教頭)の間に新たな級を独自に設けるという手法をとっている。2級と3級は非常に近接した級でその隙間を縫うように主幹の級が設定されているが、それはかなりの無理を給料表に持ち込んでいる。このことは「人材確保法に基づく優遇措置の縮減」の動きとあいまって、教育職給料表の大幅な組み換えを予感させる。

全体会の様子

レポート3『大阪の人事評価』大阪学校事務労働組合

 大阪では02年に試験的に人事評価が導入され、04年度から本格実施、当初は「給与に反映しない」と言っていたが、07年度から給与に反映された。評価はS・A・B・C・Dの5段階で、07年6月の勤勉手当に成績率が導入された。報告者S氏は自己申告書を提出していない。そのため評価のない者としてCに区分され、Sと比して8万3千円、Aと比して5万3千円、Bと比して2万3千円もの較差がつけられた。これに加えて06年の給与構造改革で給料月額が5%引き下げられ、現在支給されている給料は06年3月現在の支給額が暫定措置として保障されているものの、官民格差の算出に管理職手当を算入した06年のマイナス人勧で、現給保障もされていない。ちなみに給料明細書はいやみにも二段書きで、現給保障の給料月額と本当のあなたの給料はこの金額ですと条例上の給料月額が打ち出されている(この話には一同唖然とした)。大阪学校事務労働組合(阪学労)は、大阪教育合同と共同して07年夏季一時金交渉を3度にわたり府教委と行っている。成績率の適用中止を求めながら、評価区分毎の人数、原資、勤勉率の算定基礎などを追及する中で、格差の拡大が顕わになった。Sは800人(1.6%)で5300万円加算、Aが20300人(41.6%)で6億3300万円加算となり、B(26400人、54.2%)は当初マイナス反映ではないとされたが加算額を算出するために全員から0.015月分剥ぎ取ったのでマイナスとなった。C(1300人、2.6%)のうち自己申告書未提出者は800人、実際のC評価者は500人。Dは0%、10人。改悪後の勤勉手当の率は、Sは0.838、Aは0.774、Bは0.71、Cは0.66、Dは0.61とされた(金額の差は前述)。評価区分の男女別、職種別、職階別の分布データの提示を求め拒否されたが、給料の高い者により多く、安い給料の者、子育てに大変な者から奪い取っていることがわかった。6月の支給実態は、人事評価を年齢によってA・B区分した校長あり、主査・主幹がAで主事はBとした校長あり、全員をAにした退職校長ありで、到底公平なものとは言えない。

 07年4月、教育合同労組高校支部が「自己申告票の不提出によって昇給・勤勉手当に不当な取扱を受けない地位確認訴訟」への参加を呼びかけた。阪学労から9名が参加し、阪学労も裁判費用の組合負担を含めた全面支援体制を決定した。報告者S氏は言う―「私は、人事査定の中に引きずり込まれて、こんなに立派に仕事をしたのだから給料が安いのは許せないとういう立て方はこの裁判ではやりたくない。」「自己申告票不提出訴訟でスッキリ〜当たり前に働いているのに紙切れ1枚で給料を奪うな!」と。しかし、自己申告票を連続して不提出にするとD評価にされる。府教委は7月2日の第1回口頭審理で、「門前払いせよ」という答弁書を提出してきた。今後の裁判闘争に注目しよう!

レポート4『「共同実施」を批判し学校事務の大合理化と対決しよう』学校事務職員労働組合神奈川

 「総務事務の集中化・IT化」と「共同実施」とを軸として進行する、新自由主義的教育改革の下での学校行革―学校事務の徹底した合理化について報告された。

 国庫負担問題においては利害対立のあった文部科学・総務・財務省だが、文科省は「統治としての教育」を担う教員を管理支配するため「雑務」の受け皿として「共同実施」を推進し、総務省は自治体行革の一つとして総務・庶務事務の集中化・民間委託化を推進し、学校事務もその対象となる。財務省は「学校の効率化のために適性規模化」を主張し、市町村合併や「指導・教育効果」の圧力と併せ学校統廃合の動きが強まっており、やはり学校事務の集中化―合理化が画策されている。

 神奈川県では、知事部局で出先機関を含め各課に置かれていた庶務係が廃止―統合され(一部民間委託)、県立高校においても事務室の「統合」が行なわれた。県内10ヶ所に「学校事務センター」を設置して事務職員を集中、各学校には事務長と非常勤職員1名を配置というもの。当初計画では、事務室の「民間委託」が考えられており、将来的にはセンターそのものの「民営化」も予想される。

 川崎では、教職員給与の「政令市費化に伴う執行体制等調査検討」が民間業者に委託して行なわれ、教育委員会事務局業務や学校事務の精査・効率化の調査・検討が行われている。横浜では「分権型教育行政組織」と称して、市内数箇所設置される「学校教育センター」への事務職員の配置も検討されているという。

 新自由主義的教育改革の下、教育分野にも市場主義や競争主義が導入され、民間委託の波が押し寄せている。いまや学校現場は多種多様な雇用形態が入り交じり、雇用や労働条件の不安定化も進んでいる。こうした中、学校事務や教育行政は市場化の標的となっており、「共同実施」は、「教員は教育活動に専念し、学校の全ゆる事務を事務職員に担わせる」ための組織であることが見えてきている。「共同実施」は、いくつかの類型に分類できるが、いずれも地方教育行政再編の中、学校事務の集中化・組織化として合理化の受け皿となっている。まず人員や業務を集中し、それを効率化・システム化した上で民間委託していくのである。更に、「共同実施」は学校事務版「生産性向上運動」の役割を果たし、学校事務職員の相互監視体制を作り上げようとしている。

 今、我々は「廃職」すら想定される重大な危機に直面している。職場管理が強まり、業務が過密化し、新たな「雑務排除論」が台頭しつつある中、不安や閉塞感などの解消先として「共同実施」を求めてはならない。それはより一層の合理化の道でしかなく、この合理化と正面から闘うしか道はない。我々は、このメッセージを全国の学校事務労働者に発する。同時に、合理化の「お先棒担ぎ」となって「共同実施」を推進する勢力を厳しく批判する。

2日目 分科会

 午前中は三つの分科会に分かれて、討論を深めた。

第一分科会『職場・仕事を考える』

○ 2分の1から3分の1へ、割合を変えつつも、義務教育費国庫負担制度は残った。教育への縛りを国が手放すわけもなく、新たに始まる教員免許更新制度は益々学校を息苦しくしていくに違いない。学校が息苦しいということはそこで学ぶ者・働く者には、『いることが辛い場所』ということになる。

○ 学校に居続けることを選ぶ私たちには、働きやすい職場環境は何より大事なこと。これは古くて新しい永遠の課題と言えるだろう。

 分科会冒頭、司会者からF県立高校PTA解散の顛末について説明があった。これは、17年間PTAが継続雇用していた職員に約40%の減給を強要、否であれば雇用打ち切りという一方的な通告に端を発したものである。解決の話し合いも持たれず、職員は地位保全の訴えを起こした。それに対しPTAを解散したというものである。

○ 学校には、様々な職種の労働者がいる。『学校労働者』と一括りにできず、相反する利害が存在し、それが結束を阻む遠因にもなっている。

○ 働きやすい職場を求めながらも共に闘うことができず解決が遠いという現実。同じ職場にあって、教員との距離を感じる事務職員も少なくはないと思われる。

○ そんな中『職種を超えた労働運動が今こそ必要ではないか』という意見が出された。また『国庫負担はずし攻撃を広く一般に訴えるまで昇華できず自己完結型で終わらせてしまった』という反省も聞かれた。

○ 最後に司会者から『労働組合が合理化を止めてきた。労組が弱くなってきたために合理化が進んだ。学校外の市民との連携を進め、ネットワーク化を図っていく必要がある』との提言があった。

第2分科会『賃金・給与構造改革を見る』

分科会の様子

 全体会で行われた「全国賃金等実態調査報告」をもとに各地の現状報告や意見交流を行った。

○ 大阪では06年4月に旧4級からの切り替えが標準職務の変更ということから3級ではなく2級に行われた。当初はこの救済のために新たな職を作るということだったが、全ての年齢層を輪切りに一定比率で選考する形になり、若い人を圧迫している。選考はペーパーテストと面接がある。

○ 東京では07年度でワタリが完全に廃止される。かつては論文を書けば主任に昇任できたが、業績評価が入って以降は昇任されない人が出てきている。

○ 沖縄では主査昇任がないと3級止まりという状況だが、その昇任はブラックボックスの中で決められている。内申があっても結果を見ると組合差別としか思えないようなこともある。

○ そういう例を見ると、人事評価や試験の方が公平という面も出てきてしまう。そう思わせることが当局の思う壷なのだろうが。

○ しかし、職場は荒んでいる。東京では試験に受からない人、昇任すると部局間異動となるため試験に受かって早く学校を離れたい人と二極化し、仲間意識はなくなっている。

○ 昇給調書や履歴・人事記録業務からの撤退を、という議論を始めている。業績評価が入って以降、給与(昇給・勤勉手当)に評価が反映され、業績評価にタッチしない事務室で評価結果が見えてしまうようになった。評価という成績主義の一環を不本意にも担わざるを得なくなっている。

○ 勤勉手当に評価が反映されるようになると本当にその支給額が正しいのかどうか、事務室では分からなくなる。大阪では入力の段階でそのチェックを管理職がやるように、という文書を出させた。

○ 「長」の獲得を主張する団体もあるが、それどころではない。2・3級止まりで生活できないという状況をどうするのかという問題だ。また、人事評価が導入されて、その業務に事務室が関わっていくのかどうか、事務職員がどちら側にたつのかという問題としてもある。我々の立ち位置を見極めていかなければならない。

第3分科会『人事評価の現状』

 各地の人事評価を給与への反映について報告してもらった。

(兵庫)人事評価は06年に試行として導入。07年も試行のままだ。校長以外は目標管理制度による評価は行わない。面接と面談を行う。評価は5段階。従来の勤評で07年1月から昇給に従来の特昇分をプラス、勤勉手当の成績率は07年6月から45歳以上に10%加算がなされた。現在のところ評価は給与へ反映されていない。

(愛知)評価制度はなく、従来の勤評で昇給に特昇30%に枠で、勤務成績良好なものに1号、特に良好なものに1号以上付与される。3年連続して新採用を指導したものとか他校の模範となったものとかが対象とされている。

(東京)評価は4段階。04年に苦情相談制度が出来たが当局側の機関で評価が覆った例はない。06年から査定昇給、本人開示がされた。勤勉手当の成績率は入っていない。07年3月に個別勧奨制度がつくられ、介護・育児・障害者の育児などを理由に校長による退職強要が起こりかねない事態となった。行きすぎた成績主義の蛮行に、組合は強く廃止を要求した。

(神奈川)自己観察書には氏名・所属のみ記入するか、無記入提出で対応している。5段階の真ん中のB評価を求める方針。組合委員にC評価を行った校長に対し、一定の取り組みを行い、繰り返させなかった。09年1月から査定昇給が始まる。勤勉手当は半年毎に人事評価で成績率が決まる。優秀者(25%の者)に5%増、特に優秀者(10%の者)に10%増となっている。

(埼玉)06年度から本格実施。自己申告書非提出者に対し職務命令文書が出され、4人が戒告処分(05年分)、不服申し立てをした。自己評価の記入を拒否している者もいる。4月からこれを理由に担任から外された教員もいる。現在の所給与には反映されていない。

(沖縄)04年度に人事評価が入る。自己申告書非提出者は県立高校で3人、服務違反としているが、今のところ処分はない。形式的に同一内容を記入して提出する者もいる。現在のところ給与とはリンクしていない。

(司会)人事評価は86年に東京で始まり、成績主義が強調される中で次第に他県にも波及しつつある。各県により様々だが、埼玉の自己申告書非提出での処分や、大阪での勤勉手当の格差支給には酷いものがある。しかし、様々な方法でしたたかにこれらに抗した闘いが構築されてもいる。粘り強く闘っていくことが必要だ。また、具体的に各県の報告を検討してみると、同じ格差導入でも、県によってバラツキがある。導入そのものを阻止することは難しい現状だが、できる限り格差が少なくなるよう交渉で追及することの大事だ。

まとめの会

特別決議を提起する沖縄の仲間

 初めに、沖縄の仲間から“集団自決”への軍隊による命令の関与を否定する動きに対しての特別決議が提起され採択された。またこの件に関して参加者へのカンパ協力要請があった。続いて分科会討議の様子が紹介されさらに共通理解が深められた。

 主催者の全学労連から、終始集中した討論が交わされとても充実した集会だったとのまとめがあり、さらに、総務省・文科省・財務省が、新たにそれぞれの立場から学校事務職員の整理合理化に乗り出している情勢を受け、年末の予算編成時期にあわせて反撃の取り組みをしよう、との行動提起がなされた。

講師の高橋さん

 来年の全交流は福島県で行うことも発表された。

 最後に、集会宣言を採択し、一層の奮闘を誓いあって会を終えた。

 会終了後は、学校ユニオン埼玉企画による高橋哲哉氏の講演会が開催され、多くの仲間が参加した。

                    

●紙上レポート●

 ・「人事評価に関する現状」(各県)

 ・「学校事務の共同実施の現状」(各県)

 ・「組合ニュースこの1年」(各県)ほか

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シリーズ共同実施

事務長昇任は転任つきです!

 3月の人事異動内示で、それまでの主幹事務長代理から、主幹事務長に昇任させるという内示を受けました。事務長発令ということは、共同実施の責任者になれということで、嫌も応もありません。給料が増えるわけでもなく、仕事=形式的な事務ばかりは確実に増え、グループの運営にも神経を使い、いいことは何もないのです。(こんなことを書くと、そんなことを言っているようでは事務長の意味がわかっていないなどと、どこからかすぐに指導されそうです。) 共同実施によって少しでも学校の状況が改善されるのなら、たとえ仕事が増えようとも自分なりに納得もいき、グループのリーダーとしてやりがいにも通じるのでしょうが、何の見通しもない中でともかく共同実施を推進せよ、それが事務長の立場だと言われるのだからつらいものがあります。こんな感想は私だけではなく、きっと大半の事務長が持っていると思います。

 さらに転任が待っています。 昇任者は転任させるというのが県の人事方針らしく、事務長になると原則市外に出されます。これもストレスをもたらします。通勤一つとっても、距離は今までの倍で30kmを越えることになりました。若いときならまだしも、老体に片道1時間の車の運転はつらいものです。この遠距離通勤には市町村合併も影響しています。市町村の数が半減するとともに、異動できる市の数が限られ、しかも市そのものが広域化した結果、遠距離通勤が生じるというわけです。私の場合、住所としている市には共同実施リーダーの空きポストがなく、同じ事務所管内で空きポストある所ということで今の市になりました。話は別ですが行政状況の変化を考慮しない人事方針とは何なんでしょうね。(つづく)

全学労連秋期中央行動・・・予告

 現在、学校事務職員を取り巻く状況は厳しいものがあります。共同実施・評価制度・・・etc。また、学校を巡る状況も、教育の民営化や格差拡大など大きな問題・課題が押しよせています。全学労連は今年も中央行動・決起集会を行います。皆で東京に結集し、全国各地の様々な問題をぶちまけよう。

(予定)

期日:2007年12月7日(金) 午後〜

場所:日比谷公園 その他―パレードあり―


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