2008年10月5日

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全学労連ニュース今号の内容

 文部科学省の来年度予算概算要求 「教育振興基本計画」のささやかな数値化

 2008年 全学労組交流会 参加報告「学校≒格差社会 評価がなんね!働き過ぎっちゃ」

 「共同実施」で事務職員の階層化を狙う群馬の事務長会 〜「共同実施」と「給与データ一括送受信システム」

 東京都で初めて中央区の欠員校に民間派遣会社から社員が派遣される! 学校事務の民営化につながる安易な民間派遣を許すな!

 岡村達雄さんの逝去を悼む 〜 35年前のコピーは私の宝物

 
 

文部科学省の来年度予算概算要求
「教育振興基本計画」のささやかな数値化

全学労連事務局 学校行革対策部 佐野 均

 今年8月末に文部科学省の概算要求が出された。数値目標も無く具体性に乏しいと批判を受けながらやっと7月初めにまとめられた「教育振興基本計画」を、文部科学省が予算的にどう具体化するかが焦点であったが・・・。

☆昨年度のおさらい

 昨年の概算要求では、政権丸投げ前の安倍総理や教育再生会議の威勢だけはいい議論を追い風に、文部科学省は単年度で主幹教諭3,669人等合計7,121人、3年間で総数21,362人の定数改善を要求した。これにより実質的に第八次定数計画とするつもりだったのだろう。しかしその後の安倍総理辞任や、そのことによる教育再生会議の消化試合的な幕引きで、文部科学省に対する追い風は逆風となり、予算編成では主幹教諭1,000人等合計1,195人に削り込まれた。しかもこの数字の実質は定数増ではなく、定数標準法で定められた職員以外の給食調理員や用務員などの削減により行革推進法の定めをすり抜けたものでしかない。かくして「教員の子供と向き合う時間の拡充」は国庫負担法対象以外の職員を切り捨てることによって、しかもそのほとんどが「主幹教諭」という現場管理の強化・教職員の分断をもたらす「職」に使われていくことになった。

 皮肉な言い方をすれば、たとえ1,000人であっても「改善」の最大部分が確保されたのは、改悪した教育基本法の実体化に向け文部科学省が意地を見せたのか、または、むしろそれはこの国の支配層の既定の方針だったということだろうか・・・?ついでに言うと、文部科学省の勝山教育財政室長が昨年の概算要求について「養護教諭や栄養教諭よりも事務職員の改善数が圧倒的に上回る」とエラそうに豪語していたが、何の事はない結果的に今年度予算では事務職員485人だけが0となっている。(全学労連303,3頁参照)

※ さらに皮肉を言わしてもらえば、文部科学省は、今年度主幹教諭1,000人分の予算を確保して何とか969名の配置要求を各都府県から掻き集めたのだが、7月の全学労連との交渉によると、制度整備が間に合わない県がいくつもあり実際配置できたのは800人位にしかならなかったという。これでは主幹教諭3,669人の要求がそのまま通らなくて良かったと言うしかない。もし通っていればとんだ恥さらしで、今後の文部科学省の概算要求など誰にもまともに聞いても貰えなくなっていただろう。しかも来年度以降、主幹制度が各地方で整備され要求が増えてきたら、定数に限りがあるので既に配置したところから引き剥がして再配置すると言う。我々は主幹制度に賛成している訳ではないが、せっかく制度整備を間に合わせて主幹配置したのに引き剥がされる都府県の教育委員会や学校現場は、混乱してたまったものではないだろう。共同実施もそうだが、官僚の観念的な制度設計で現場を振り回すのはいい加減にしてもらいたい。

☆文部科学省の憂鬱

 昨年に比べて今年の概算要求は総じて控えめである。スローガン的な表題が昨年の「社会総がかりでの教育再生」から「未来を切り開く教育の振興」と変わったのも暗示的である。同じ「初等中等教育の充実」という項目の中でも、冒頭部分は「新学習指導要領の円滑な実施」を目指した授業時数増や道徳教材の国庫補助や補助教材の作成・配布や外国語教育や全国学力調査や中学校武道の必修化等の施策で占められている。その次に「豊かな心と健やかな体の育成」のための施策が続き、さらにその後の「教員が子供一人一人に向き合う環境づくり」の項目の中に義務教育費国庫負担金・教職員定数に関する項目がある。昨年までのほとんどはこの部分が冒頭にあったのだが、今年それは10頁ほど後に回されている。

 別に冒頭を飾れば良いという訳ではないが、「人材確保法」などという発想が示す通り文部科学省がこれまで教育における人的要素を重視してきたことは明らかだ。しかし第八次定数計画は頓挫したままで、昨年の概算要求で巻き返しの勝負に出たものの、頼みの安倍総理は職を放棄し教育再生会議は失速して予算編成でボロ負けした。さらに教育振興基本計画策定の過程で、文教族議員等から具体的な数値目標を盛り込むよう発破をかけられながらこれも叶わず、逆に財政審や財務省から教育における「投入量目標から成果目標への転換」を迫られている。これは学力向上という結果を出さなければ教育に投資はしないという成果主義の論理だ。教育の民営化は文部科学省をも包囲しつつある。こうした圧力が、教育振興基本計画具体化の予算要求に大きく影響を及ぼしている。

☆定数要求は大幅後退

 後回しになった定数要求の内容はというと、合計で1,500人の定数「改善」に留まり、内訳は主幹教諭896人、教員の事務負担軽減(事務職員)73人、特別支援教育の充実434人、外国人児童生徒への日本語指導50人、食育の充実(栄養職員)47人となっている。昨年と比べると何とささやかなものだろう。しかも昨年は以後3年間の定数計画を伴っていたのだが、今年は単年度の事だけである。

 事務職員について言えば、「教員の事務負担軽減」と名目は同じだが、昨年あった「複数校の事務を共同実施する体制の整備促進」という定数増を共同実施に限定させる表現は無くなっている。これはとりあえず良いことだと言っておこう。

 教員給与の見直しでは、「メリハリある教員給与体系の推進」として管理職手当の改善と給料の調整額の縮減が、「基本方針2006による教員給与の縮減への対応」では義務教育等教員特別手当の縮減が上げられている。

 退職教員等外部人材活用事業では、週12時間換算で7,000人を10,500人に拡充。今年度から始まった「学校マネジメント支援に関する調査研究」は11地域を64地域に拡充。同じく今年度から始まった「学校支援地域本部事業」は、全市町村を対象に1,800箇所から3,600箇所に拡充。拡充が多くて良さそうに見えるが、これらは実は正規の教職員定数が増やさない為の策であり、学校の機能を外部化して合理化を進めることであり、その既成事実化がどんどん進行しているということであり、われわれ学校事務職員もその中の一端に位置付けられているのだということを忘れてはならない。

 

2008年 全学労組交流会 参加報告
「学校≒格差社会 評価がなんね!働き過ぎっちゃ」

 8月21・22日、全学労組主催の全国学校労働者交流集会が北九州小倉で開催され、全学労連から2名が参加しました。

@ 生存をかけた闘い

 フリーター/非正規雇用労働者ユニオン福岡(fuf)の面々が参加していました。「労働/生存組合と名乗っている。生存のために団結することを目指す。生存や労働を、単に労働市場への参入や賃労働の問題に矮小化せず、労働の意味そのものを捉え返すことを目指す。組合員は労働市場から排除された人たちもいる。」としています。そして「社会の流動化、雇用の多様化で、労働者性が曖昧になり、あたかも個人事業主のように扱われたりする。」なかでの取り組みを報告しています。そのひとつが、NPO団体(野宿者支援)の専従職員が待遇改善要求したところ、解雇強行になり、交渉の末、金銭解決を勝ち取ったもの。「社会運動的側面を持つ団体で働く者の労働者性を、組合が確信することから始まった。」とありました。

 全交流2008基調の末尾

 「労働組合の存在意義はここにある。新自由主義の幻想「公平なルール(競争)」と「自己責任(責任を負わされる強い個人の想定)」を強要される労働者が、押しつぶす力に対抗できる場所が労働組合だ。圧倒的な強権と支配的な思想を前に、弱いと自覚せざるを得ない労働者が生き延びるために必要であり、その効果を発揮できるのが労働組合であることを再確認しよう。」

A 教育の民営化反対

 教育の民営化、学校の市場化も課題になっていました。特に学校の学校職員の非正規雇用も広がっています。北九州でも警備員が委託化、給食調理員はパート、市費事務職員は非常勤に、ALTは派遣会社、病気休職代替は非常勤になり、一方主幹や指導教諭など、中間管理職だけが増員されたことが報告されました。

 全学労連のレポートは、文科省の学校基本調査を分析し、全国公立小中学校における非正規雇用労働者の実態を可能な限り明らかにしようとものです。「期限付雇用教員の任用が、教諭(2級)なのか講師(1級)なのか」などの労働条件の格差が明らかになりました。また、非常勤職員(兼務職員)を含めた「公立小中学校の非正規雇用労働者率」は全国的に10lを超えている実態も明らかにしました。(全学労連のホームページを参考に)

B「評価」をぶっとばす

 東京から出発した「評価」がいっそう悪くなっています。「後出し評価」は、勤勉手当、昇給に格差をつける手段としてさらに「悪法化」しているようです。それでも評価に抗する取り組みが、続けられています。国家公務員法改正、国家化公務員評価制度導入後を睨んだ、根源的取り組みが急務です。

C連戦連勝の全学労組

 交流集会で、横浜の本多さんから「勝利報告」がありました。「退職強要」の責任を、市教委ではなく校長個人にしてしまった判決への不満は残りましたが、権力に対抗できるのが労働組合であることをまた教えてもらいました。

(その後、大阪の井澤さんの「免職処分取り消し訴訟」に勝利の報告がありました。)

 

「共同実施」で事務職員の階層化を狙う群馬の事務長会

〜「共同実施」と「給与データ一括送受信システム」

 群馬県の「共同実施」においては、「共同実施」の内容、性格、位置づけなど様々な面で問題が山積している。その多くは全国に共通する問題であるが、今回取り上げるのは事務職員を混迷させている「給与データ一括送受信システム」のことである。システム内容は追って紹介するが、群馬の特徴は、ある一部の事務職員がシステムそして「共同実施」を事務職員の階層化の手段として使おうとしている点だ。その一部というのが「事務長会」というもので、今回はその批判も加えていきたいと思う。ただ、今回のレポート自体には群馬県以外の参考になるような内容は含んでいない。「給与一括送受信システム」にしても、その非効率的な面しか見えてこないだろう。しかし、「共同実施」が学校事務の現場を如何に歪んだ形にしようとしているか、そしてどのように利用できるものなのか、その警鐘として読んでいただきたい。

1.「一括送受信システム」とはどういうシステムか

 群馬県では他県に先駆けて、県費職員の給与データの報告を県と学校とのオンラインで送信する「給与システム」というのが導入された。当初は、データ送信だけだったが、2003年度(H.16)の途中からは受信データを基に給与明細書も学校でプリントアウトする、「出力システム」が追加されて一応完成形の「送受信システム」になった。それ以降、例月の給与データに関しては、学校のパソコンと県のサーバー間だけで処理が完結する方法である「給与データシステム」で運行され、事務職員も習熟して現在に至っている。

 ところが「共同実施」を理由に「一括送受信システム」というのが2年ほど前に開発された。なぜ「一括」かといえば、共同実施グループ数校のデータを一箇所のパソコンから一度に送信するからだ。逆の見方をすれば自校のデータを自校パソコンからは直接県サーバーに送れないシステムだと言うこともできる。(下図示参照)

群馬給与システム構成図

2.「一括送受信システム方式」にメリットは何もない

 給与データを送信できるパソコンはグループ1台と指定されている、そのことに起因し様々な問題・不都合が発生している。以下その実態をごく簡略に紹介したい。

 各校の事務職員はグループで決めた入力送信日に合わせ事前にデータを整え、作成した帳票データ・各種資料を当日持ち寄ることになる。この段階で資料の紛失の危険性、移動にかかる労力の問題が発生してくる。群馬県では山間部も多く、長距離移動に伴う時間的ロスも大きい、さらにミスが生じた場合は訂正入力もしなければならず、後日再度の出張ということも当然出てきている。一方「一括」によってデータの正確性が確保されるかといえば、これは逆である。入力作業の現場を想像すればそのことは最初から想定できた。例えば5校分のデータを入力するとなると、1人が入力している間他の4人は待機していなくてはならない、1校が終わると次の学校が始める。そんな状態では時間をかけて入力しているわけにはいかないし、焦りからミスを生じやすくなるだろう。データの確認にしても関連資料を全て持参するわけにはいかない、これが自校処理なら必要な資料はすぐに参照でき、その場で解決できることになる。事実「一括方式」は「単独方式」に較べ返ってミスが多くなったという話を聞いている。中には入力担当者を一人に固定する分担制を徹底しているグループもあるらしいが、自校以外の職員情報をどこまで把握できているだろうか。また入力担当者は、パソコンが置かれている事務長校までその都度出かけて入力しなくてはならない、その労力をどう考えたらいいのだろう。そんな時間があったら学校にいて他の仕事に専念する、そのほうが余程公益に適っているというものである。

 「一括方式」とは、効率性、正確性、経済性などどんな側面を取り出しても、学校にそして事務職員にメリットのないシステムだと結論づけられる。事実これまで学校事務の改善に何か役立ったという話は全く聞こえてきていない。聞こえてくるのは一般事務職員の負担だけ増えたという不満の声であり、「単独校方式」に戻してもらいたいという声なのである。

3.「事務長会」が「一括方式」を進めている理由

 「一括システム」を開発した県教委自身は、その利用について当初から「便利だと思ったら使ってほしい」と説明しており、現在も「使う使わないは自由である、強制はしていない」と断言している。にも拘わらず導入を推し進めようとしているのが「事務長会」という自主グループである。(事務長は109名いるが、加入していない事務長も一部いる。)そのグループがなぜ「一括方式」導入拡大を画策しているのか?それを知るために「共同実施」における「職務分担制」ということを見ておきたい。

 群馬県の「共同実施」では「職務分担制」の導入が柱とされている。1人の事務職員が旅費なら旅費でグループ全校分を担当するというのが「分担制」であるが、県教委では「分担制」=「効率化」という図式を勝手に作ってしまい、「分担制」の採用を強要しているのである。ところが効率化になると言っているが、その実証的・科学的論拠は何も示していない。せいぜい一般論としての分担=効率化という図式を信奉しているだけのようだ。つまり学校実態から乖離した机上の論としか言いようがないのが県教委版「職務分担制」なのである。

 学校を知っている者にとっては、「分担制を柱とした共同実施」の方向が袋小路かあるいは学校事務の崩壊に向かうであろうことは、自明の理だろう。ところがそんな「分担制」に飛びついたのが事務長会であった。「分担制」は事務職員の「階層化」に利用できると踏んだのであろう。

 どう利用するかといえば、「分担制」を理由に事務長の権限拡大、事務職員の階層化、その中での事務長の上位化が図れるのではないかということである。事務職員を担当者に位置づけ、自分はその統括者として上位に立つ、そのため必要なのが「分担制」であり、「共同実施」なのだ。事務長会自身の追求するテーマは、グループ事務職員への年休・出張・超勤命令などの服務監督要求、グループ員人事評価要求、管理職手当要求、認定権・専決権の拡大要求などであり、それを見れば事務長会の意図は明らかだろう。「分担制」は事務長会にとって「悲願(?)」達成の絶好の手段、利用価値のあるものとして出現したのだった。

 そして「分担制」を押し進める手段、固定化する手段として持ってきたのが「一括方式」だった。だからシステム自体の利便性、学校・地域の実情、事務職員の仕事スタイル、ソンナノ関係ナイということになる。県教委でさえ一応「効率化の手段として分担制がある」と説明しているのだが、事務長会ではすでに「分担制」自体が目的となっている。ここにきて中教審に「共同実施」を入れさせた人達の本当の狙いが群馬の地で堂々と頭をもたげてきたといえるだろう。

4.自分の立場をはきちがえている「事務長」がいる!

 「一括方式」の拡大を図る事務長会とそれに悩まされる大多数の事務職員、それが現在の群馬県の構図である。これほど問題があるシステムがまだ少数とはいえ何故導入されてしまったか?その要因で一番大きいのは事務長の姿勢だろう。事務長会の方針を無批判に受け入れる事務長、自分に導入の決定権があると誤解している事務長、ある地区では事務長だけが集まり導入を決めてしまったということもあるとまで聞いている。

 

そもそも事務長の役割はといえば、群馬県の規定では「共同実施の総括と運営」であり「事務職員への指導と助言」となっている。ところが意図的にか、無自覚にかは知らないが、その規定を逸脱して事務長があたかも他の事務職員の上司であるかのような認識、あるいは前述したようにそのことへの願望が事務長の一部あるようだ。しかもその願望実現のため、「事務長会」で私的にはではなく公的に自らの活動を行おうとしてしている。「事務長会」の論理からすれば、それもこれも学校のためと言うのだろうが、事務長の管理職化がどうして学校のためになるのか、どうにも理解できない部分である。

 一方、一般事務職員側の事情はどうかといえば、「事務長の言うことだから従わないわけにはいかない」と思い込んでいる事務職員もいるということだ。そうした思い込みが出てくる背景には、情報不足ということがあるだろう。「共同実施」に関しては、教育事務所主催の事務長だけを対象とした研修会で説明されるだけで、事務長以外の事務職員に直接県の話しを聞く機会は設けられていない。(県事務研全体研修会で県教委の説明もあったが、推進しろというだけで現場で直面している問題に向き合う話とはなっていなかった。)「共同実施」情報は研修を受けた事務長からグループ員に伝達(あるいは不伝達?)されるだけでなのである。その過程で研修内容がどう解釈され、グループ員にどう説明されているのだろうか?加えて、事務長会からの情報・連絡が、事務長に入ってきているはずであり、結局一般事務職員にはどこまで行っても事務長というフィルターを通した情報しか入ってこないのである。これもある地区の話だが、県下どこでも「一括方式」が導入されるので自分たちの地区でも導入しましょう、という説明が事務長からなされ、検討する機会もなく導入してしまったということもあったらしい。これなどは情報不足の端的な例だろう。もう一つ例をあげれば事務長の位置づけをめぐっても誤った認識が流布しているらしい。規定にある「指導と助言」、「総括と運営」の部分を拡大解釈し、あたかも一般事務職員を事務長の部下であるかのごとき考えをしている事務長もいるやの風説、リーダーであることを理由に事務長は指示するだけで実務には従事していないという話しなども聞こえてくる。事務長と一般事務職員の関係は、上司−部下の関係では決してないし、いわんや職務を命ずる権限などどこにもない。にも拘わらずそういう実態があるとしたら、それこそ「共同実施」を利用した情報操作の果実であるということができるだろう。

 群馬県では「共同実施」そのものが学校事務に多くの混迷を引き起こしている。そしてこれに「事務長会」の思惑が重なり、今事務職員は呻吟している。いたずらに労力だけが消費される「共同実施」の推進、そのことを納税者にどう説明できるのだろうか?

 

東京都で初めて中央区の欠員校に民間派遣会社から社員が派遣される!

学校事務の民営化につながる安易な民間派遣を許すな!

学校事務ユニオン東京 宮崎俊郎

 欠員校への民間会社からの社員派遣は残念ながら他組合のニュースを見て知った。また組合として再任用事務職員の配置実態に関する全都調査を実施しているが、中央区の再任用事務職員の配置されている小学校に電話して対応したのがたままた当該派遣社員だった。

 それで事情がわかったのだが、本来は今年4月から再任用職員が配置される予定だったが、直前でキャンセルし欠員状態になっていたようだ。東京の場合、今年度再任用事務職員は174名、そのうち短時間再任用(週32時間)は161名、フルタイム再任用(週40時間)は13名で圧倒的に短時間再任用が多いが、近年市区町村費事務職員を引上げてしまっているために、都費再任用事務職員1名校がいくつも出てしまっている。私たちは「学校事務の再任用職場化」に反対するとともに、「再任用職員の1名校化」にも反対している。

 ちょうど中央区の当該小学校は都費再任用1名校の予定だったが、その方がキャンセルしたために、事務職員が不在=欠員状態となったのだ。通常こういう欠員に対する都の対応は臨時職員賃金の配当となる。私たちは臨時職員対応ではなく、正規職員の年度途中発令、ないしは少なくとも臨時的任用職員を配置することを都教委に対して要求しているが、まともに応じようとはしていないのが現状だ。

 中央区教委は「臨時職員賃金措置では支障が出るため、区費による人材派遣会社からの派遣職員を充てることとし、必要経費を流用する」と言っているようだ。確かに現行の臨時職員対応では厳しいが、かといって一足飛びに派遣社員というのも飛躍も甚だしい。

 私は電話で当該派遣社員(20代後半、男性)に事情を聞いてみた。すべて文字にできないのが残念だが、以下にその内容を紹介する。

宮崎: 仕事内容は?

派遣社員: これまで事務室で担当していた業務すべて

宮崎: 勤務時間は?

派遣社員: 8:15〜16:15 実働7時間

宮崎: 賃金は?

派遣社員: 1時間あたり1,400円

宮崎: 業務上の決裁は?

派遣社員: ほとんどが副校長の印で対応している。支出命令書には自分の印を押している。

宮崎: 所定の時間で仕事は終わるのか?

派遣社員: 終わらないものは翌日に回すが、どうしてもその日にやらなければならないものは残業する。

宮崎: 超過勤務手当はつくのか?

派遣社員: 5分単位で勤務時間はつけるので、残業代は出る。

宮崎: 仕事における悩みは?

派遣社員: 福利厚生など多岐にわたっており、制度の理解がないまま仕事をしなければならないのが辛い。施設の修繕なども民間であれば、修繕を依頼して業務終了だが、区の施設担当を通してやりとりをせざるをえず、大変面倒だ。

宮崎: これまで派遣されたところと比べてどうか?

派遣社員: 1人で何でもやらねばならず、分からないことを教育委員会や他の学校事務の方に聞かねば仕事ができず、厳しい。

 以上がその概要だが、派遣社員が突然欠員校に派遣されて困惑している姿は想像に難くない。しかし、現行の都教委の欠員対策が貧困であるため、中央区教委ばかりを責めることも一概にできない。1人職場は本来経験者を過員として学校に配置し、欠員が発生した場合に備えるべきである。定数削減が至上命題となっているため、そうした必要なゆとりまで放棄したために、派遣社員まで行き着いてしまった。

 しかし、欠員対策としても派遣社員が認められれば、それが広がっていく危険性は高いだろう。特に派遣社員との直接の契約関係がないため、当局は面倒な労務対応や福利厚生を省略できる。ところが、この発想は学校事務そのものの民間への丸投げにつながっていくものであり、容認できるものではない。

 共同実施を突き抜けて、今や定数削減と安上がりを求めて学校事務の民間委託が現れてきている。それはこれまで私たちが長年積み上げてきた学校事務という領域と職の解体を意味するものであると同時に、学校そのものの民営化への道程でもある。教育への市場原理の導入のもたらす均等待遇の破壊、競争主義・能力主義の激化は、私たちの求める学校のあり方とは相容れない。今回の派遣社員導入は欠員対策であったが、学校事務の民営化・教育の民営化反対として取り組み、その拡大を許さない闘いを展開していきたい。

   

前号に引き続き、岡村達雄さんへの追悼メッセージを記します。

岡村達雄さんの逝去を悼む 〜 35年前のコピーは私の宝物

阪学労 宗宮惠司

 学校事務職員になりたての頃、反主任制闘争、運短剥奪阻止闘争や超勤カット阻止闘争等、教組事務職員部や青年部で忙しくしていた。だが、いつもこのまま学校事務職員を続けていくのかな?とか、学校事務職員って何なんだという澱のようなものを抱えていた。

 ある日、先輩事務職員のM氏から「学校事務労働試論−学校事務と教育労働・専門職」という当時東京教育大学にいた岡村達雄さんが、学校事務誌の73年3・4・6月号に連載された論文のコピーをもらった。何度も何度も読み返し、今も大事に持っている。大げさだが、難しい論文を読み解くまでしばらく学校事務でいようと思い今にいたっている。

 都学労を知り、国民教育論批判といわれた持田栄一さん岡村達雄さんの本を書店で見れば買い込んでいた。

 岡村達雄さんの現代公教育論は、誰の側の視点に立ち、誰と共に創っていくのかが明確に示されていた。そして、教組青年部でもっとも近くのKさんが長崎大学卒で、今でも親しくされていることを知った。そのKさんを通して岡村さんと連絡を取り、講演をお願いできないかと走り回ったことは今でも鮮明に覚えている。

 79年1月に「学校事務労働とは何か」と題した講演会を市教組事務職員部で開催し、あふれんばかりの事務職員が熱心に聴き入った会場の熱気を忘れることは出来ない。宿泊されていたなにわ会館(当時)に押しかけ、お疲れだった先生をなかなか解放しなかったことも覚えている。あのときのお姿も黒のセーターにジャケット、黒いズボン姿だった。

 その後、岡村さんは、関西大学に来られ、85年11月には、「行革・臨教審と学校事務職員―国庫負担制度をめぐって」を事務職員部で開催し、講演していただいた。打ち合わせに関西大学のお部屋を訪ねたとき、話に夢中になり長居してしまったが学校現場の事情を的確に把握されていることに驚いた。

 阪学労結成後も01年の「学校事務の共同実施を考える集い」に来ていただき、教育基本法改悪の動きを中教審−臨教審−大学再編を通して分析し、教育主体としての国家の登場という今日の危機に警鐘を鳴らしておられた。

 そして、Kさんが原告となった鯰江中学「日の丸・君が代」処分撤回裁判闘争では最初から最後まで力強い支援をいただいた。こうした現場に身を置きながら、「日本近代公教育の支配装置−教員処分体制の形成と展開をめぐって」を出版された。処分する側の意図を通して教育史を読み解くという視点は新鮮であり、年表や資料も多く、辞書のように使える大書だ。

 ある時、学校事務職員になりたがっている学生がいるから相談にのってやってほしいとお電話をいただいたときは、とても嬉しかった。

 教育基本法が改悪され、学テ公開をファシスト知事が煽り、教育の市場化が席捲する中、学校現場は成果主義・評価育成システムで徹底的に分断され、内心の支配管理が進められている今日、心の拠り所としてきた私にとって、岡村達雄さんのご逝去は、100万の味方を失った気がする。

 
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