2008年11月11日

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全学労連ニュース今号の内容

 10.7 全学労連 中央行動報告

 追悼 岡村達雄さん

3 おまけ 文科省への賃金要求書

 

10.7 全学労連 中央行動報告

 全学労連は10月7日、文部科学省に賃金改善等に関する交渉を行なった。また、総務省、全国都道府県教育委員会連合会にも、文科省の概算要求を受けての折衝と、学校を取り巻く現状について訴えた。特に中央区の都費事務職員が人材派遣されている現状は文科省にとっても“寝耳に水”だったらしく、その話をこちらが切り出すと、皆一斉にメモを取り始めた。

文部科学省

@ 学校事務職員賃金水準の引き上げ

《全学労連》 教職員給与等の国庫負担額の最高限度額を定める政令施行規則別表7(以下「別表7」)で想定されている学校事務職員賃金水準と全国の現実の学校事務職員賃金の乖離状況を解消し「別表7」の水準まで賃金を改善せよ。

《文科省》 「別表7」は国家公務員の俸給表行(一)と人事院勧告を勘案し、特昇などを考慮したものとなっている。この表をあてはめて給料表を作れという指導はしていない。全学労連が作成した「別表7」と国家公務員俸給表行(一)との対応表(資料(1))については、考え方はわかる。事務職員が実際に何級までいけるかという点については、7級はないと考えている。(ということは、各県は6級までの負担金をもらっているということか?)

A 総額裁量制停止

《文》 総額裁量制は、地方の自由度を高めるという観点から都道府県の裁量を認めたものであり、各県から評価を受けている。制度停止はできない。

《全》 (資料(2)を示しながら反論)大阪などは23名の欠員を批判されて「標準法にペナルティはないでしょう」と居直っている。東京にいたっては2800人の定員に対して2000人しか満たしていない。これは標準定数法の定める定員の許容範囲と言えるのか。配置されても32時間/週の再任用者1名で40時間勤務の定数1とカウントしている。今春はついに中央区で再任用予定の人がキャンセルした後を派遣社員で埋めるというとんでもないことがまかり通っている。総額裁量制と加配方式が結びついて、標準法の空洞化は加速している。標準法が守られるよう各都道府県に対して働きかけることは文科省の責任ではないか。

B 事務長制新設反対

《文》 ‘07年度の中教審答申「今後の教員給与の在り方について」の提案を踏まえて事務長制の設置について検討している。事務長の状況、事務の共同実施について各県の実状を調査している。

《全》 共同実施と連動した事務長制の制度化に強く反対する。

C 臨時職員の労働条件改善

《全》 学校における非正規雇用労働者の実態を早急に調査し、学校労働者の最低賃金制度の創設等、非正規雇用労働者の労働条件を抜本的に改善せよ(資料(3)(4)を示し非正規教員の位置付けが各県で大きくバラついていて、格差が放置されていることを指摘)。また、‘09年度概算要求で「11500人の非常勤講師の新設」を要求しているが撤回せよ。

《文》 調査、最賃制ともに考えていない。概算要求の撤回はできない。

D 給特法の廃止及び学校事務職員のサービス残業解消

《文》 「学校の組織運営の在り方を踏まえた教職調整額の見直し等に関する検討会議」の「審議のまとめ」が出ている。現段階の検討状況はそれを見てほしい。中教審の初中分科会作業部会が引き続き検討していく。

《全》 「審議のまとめ」を読む限り、給特法の見直し、「時間外勤務手当」への転換が打ち出されているように思うがどうか。

《文》 いや、まだはっきりその方向に踏み出すかどうかわからない状況だ。

《全》給特法を見直す前提として、定数の抜本的改善を基本に据え、その上でサービス残業を余儀なくされている状況を解消していくことが必要だ。沖縄などで事務職員の時間外労働への割増賃金を支給できる予算が確保されていない状況があることはこれまでも指摘してきた。現状を把握し各県への働きかけをしてほしい。

 

 全学労連が作成した資料を援用しつつ行なわれた交渉は、文科省に対して様々な問題の具体的解決を迫るものとして説得力をもった。文科省の反応は依然として、鈍いものではあったが、東京の欠員、派遣事務職員の問題など現場からの鋭い問題提起に対して、文科省は誠実に応えていくことを突きつけられたことは確かだ。安易に臨時労働者導入を拡大することによって深まる、正規−非正規労働者構造の矛盾をどう解決していくのかをトータルに問いかける交渉となり得たと思う。11月末に全学労組の仲間とともに展開される中央行動を闘いの一集約点とすべく取り組みを進めていこう。

総務省

 全学労連からはまず、文科省が行っている加配での定数改善への問題点を指摘した。「教員の加配が現状として改善につながっていない。なぜならば、加配ではいつはぎ取られるのかがわからないので、各県とも臨時教員で対応している。これでは定着しない。また、その臨時的任用職員も、各県扱いがまちまちで、講師(1級)に格付けする県もあれば教諭(2級)で対応する県もあり、すでに格差が生じている。事務職の臨任も同じだ。東京など非常勤職員の割合が非常に多い。」など現場の実態を訴えた。また、 “主幹加配”について文科省の「次年度は加配を振り直し、今年度加配していたところであっても予算がなければ加配しない(現状の加配人員を引きはがす)。」(本紙No.310参照)という見解を説明した。

 本年度文科省概算要求については、総務省の担当者は「詳しくは見ていないが、昨年と比べて要求の規模が全く違う(少ない)という印象だ。昨年、文科省が財務省に負けた額だ。これから精査し議論を進めていくことになるだろう」という。

 また、「文科省は定数増を、全学労連さんも定数増をとおっしゃるが、公務員総人件費削減(骨太2006)の10,000人削減は守っていただくつもりです。法律で決まりましたから・・・その間本当に必要な人員はどのくらいなのかという事を考えていってもらいたい、財政の工夫や、今何ができるのかということも含めて・・・」と三代前の首相の内閣の呪縛が未だに利いていることを実感した。文科省が一昨年、昨年、今年の概算で何を求めているのかを丁寧に探り、その問題点を明確にし、その一つ一つをつぶしていく取組が重要であろう。また、総務省も「人員削減のため正規職員を減らせ」といっている割には、パートや非常勤職員の管理ができていない。あらためて、不安定雇用者の待遇について、取り組んでいかなければならないことを実感した。

全国都道府県教育委員会連合会

 先に行った総務省交渉、文科省交渉でも指摘した中央区の派遣事務職員問題、学校基本調査にも表れる学校現場で臨時職員が増えている実態、都市部と地方の格差を説明しつつ、総額裁量制と加配方式が定数をずたずたにしている現況に対する見解を求めた。

《連合会》 平成5年にTTが研究校で試行され始め、平成6年から第6次定数計画でそれが加配方式で行われるようになり、また7次に引き継がれている。これは少子化で教員採用できなかったことに対応して一定数を守るための過員対策として導入されたものだ。しかし、子供の数が増えつつある中で、このやり方が妥当なのかどうかという問題はある。臨時職員にひきつければ、教員養成から採用まで子供の数(需要数)を見込んでやるべきところだが、それを目一杯やってしまうと子供の数が少なくなったときに過員となったり、職員の年齢構成がいびつになったりする。そのことから、需要数のうちの一定数だけを正規採用とし、残りを講師として採用するという県は多い。

《全》 そういうのは問題だよ、ということを各県に言ってほしい。

《連》 連合会は国の施策として教職員の必要な分を配置しろと言っていくのがその立場だ。各県はそれぞれ国の制度を補完する形でやっている。定数は子供の数に応じて決められるということだから、子供の数が減ったときにはそのルールに従って定数を減らしてきた。増えるときにはルールに従って定数を増やせという話をする。

《全》 実際にどう配置するかは各県の問題かもしれないが、ここ数年の間に講師や非常勤職員が劇的に増加している。これは総額裁量制がもたらしたものだ。文科省はそうした実態の調査さえしない。各県に責任を押し付けている。

《連》 国のほうで国庫負担率を元に戻さないと、結局は財政を圧迫させてしまうことになるわけで、そこが厳しいところだ。今年の概算要求の説明で文科省は「定数はつけられないけどお金はつける」と話していた。お金はついても残る三分の二は地方負担で財政がどう言うかという問題がある。また、この間の財務省と文科省は同じ資料を使いつつ議論の前提となる解釈が異なっている。それは勘弁してくれ、それではまったく議論にならない。

   

前号に引き続き、岡村達雄さんへの追悼メッセージを記します。

追悼 岡村達雄さん

がくろう神奈川 羽成 純

 2008年7月8日、午前3時、岡村達雄さん逝く。1年ほどの闘病生活の末の無念の死。7月10日9:30、職場に同じ組合のKさんより電話あり、少し話す。・・・自分の手帳にこう書きつけてからもう3ヶ月余りが過ぎた。私の岡村さんとの出会いについて少し書きとめさせてもらおうと思う。

 

 1977年4月、私は横浜で学校事務職員として採用された。「学校事務職員って何なんだという澱のようなもの」と宗宮さんが語っているが(本紙前号)、私も又それと似たような感情をかかえていた。採用以来横学労(当時、1976年結成)に加入し、学校事務労働者の独自組合運動の一端に連なりながらほどなく岡村さんの書くものに初めて接した。『学校事務』誌('78/12)に掲載された巻頭のインタビュー「創造的継承のために−持田“学校事務論の提起したもの−」がそれであった。その当時の私にとってこの文章は極めて印象深いものであった。以来岡村さんの書くものに接する度に自分の中の何かを揺り動かされ、深く響いてくるものを感じながら、学校という場所で働き生きてきたように思う。今にして思えば、それは1960年代末、大学闘争の提起した学問とは何かという問いの衝撃を受けながら展開されていた高校生運動の周辺で考え続けていたこととつながっていたように思う。目の前の教師たちを批判し受験のための教育を追及しながら、一方的に与え−与えられる関係ではなく、時代や社会への批判精神を持って共に学ぶ主体として彼らと出会いたいと夢想していた。宮崎さんが「大学問題を引きずっていた」(本紙前々号)とすれば私は「高校生運動」を引きずっていた。高校生の頃に教師たちに感じていたものと、学校で働くようになってから職場の同僚としての教師たちに感じてきたものとは、その教育(実践)主義においてどこかで結びついていたのではないかと思う。前掲のインタビューの中で岡村さんは持田栄一が展開した「自己教育」論を、教育をする者とされる者という関係を基軸とする近代公教育のいわば「与えられる」教育をひっくり返す概念として高く評価している。岡村さんはこの「自己教育」論をベースとして持田の「教育としての学校事務」論が提起されたと整理した上で、持田に対して二つの異議を提出していた。一つは「教育の概念をすべての人間を労働力にしていくという見方で捉えるだけでは十分ではない」ということ、その意味で「“教育としての学校事務”という場合の教育の概念が一体何なのかについて問いつめてみる必要があった」という指摘だ。1979年の養護学校義務化に反対する闘いが高揚しつつあった頃だ。私は同じ組合の仲間たちとともに就学時健診に反対する取組みを開始していた。障害児を排除していくことで成り立っている学校の存在自身を教育体制全体の問題として考えるという視点を「教育としての学校事務」論という時の「教育」は欠落させていたのではないかというのだ。今一つの岡村さんの異議は、持田が「教育としての学校事務」論に依拠して職種間の連帯の可能性を語っていることにかかわる。岡村さんは持田理論に多く学ぶべきものがあるが、同時に安易な連帯はすべきでない、教員も事務職員も現実の連帯が不在であることを問いつめるべきだと主張していた。1971年の都学労結成を起点として1978年には全学労連が形成されるという運動主体の状況を岡村さんは明確に視野に入れて語っていた。

 民主国民教育論が教育(教員)の専門職論(或いは教育主義)と不可分のものとしてあったことは教員以外の職種との間の差別分断を原理的に越えられないということであった。1970年代の給特法−人確法を受け入れていった日教組運動はそのことを露呈したのだ。教育の善性イデオロギー=教育幻想によって支えられている差別的な公教育の現実を根本的に問うていく視点抜きには学校事務労働者の自立的運動もまたあり得なかった。岡村さんはそのことを的確に指摘していたのだと思う。

 「教壇に立たない職員の給料まで国が面倒を見る必要はない」という理屈をつけて開始された国庫負担外し攻撃との闘い。その経験を総括しつつ、今進行している「教員の子どもと向き合う時間」のために事務職員はもっと働け、という「共同実施」−教育の「民営化」との闘いを展開していこうとした時、私(たち)自身が確認を迫られるのは、公教育は人々をその生活や権利を保障していく(今はそれ自体が危い!)と同時に国民国家のもとに支配していくという公教育の孕む矛盾=二重性である(言うまでもなくこの認識は岡村さんが持田栄一から批判的に継承し発展させていったものだ)。この二重性こそが学校事務労働者に差別を強いてくる教育幻想の元凶であり、同時に「公教育労働者としては(教員も教員以外の労働者も)同じ位置に立たされている」(岡村「90年代教育改革の中の学校事務(上)『学校事務』‘97.1」という自らの労働の社会的位置を自覚し、公教育批判を媒介として他者とつながっていく論理を構築していく源でもある

 1993年頃に始まった靖国・天皇制問題情報センター主催の「日の丸・君が代」反対!学校と地域を結ぶ交流会で何度かお会いしたこと、この交流会をきっかけに組合主催の学習会に岡村さんをはじめてお呼びしたことなどを今、懐かしく思い出す。晩年、岡村さんが取り組もうとしていたことの一つは、近代もしくは近代公教育における能力−能力観の問い直しに真正面から向かっていくことだったと思う。岡村さんは言う「1789年のフランス人権宣言において、社会的に承認できる差別として能力は根っこに位置付けられているんです。この点に対する論議は、必ずしも明解にできあがっている訳じゃないんですね・・・。」(「進展する国家危機と公教育−<戦後教育>を葬送できるか」『インパクション』No.155 '06/12)それはコンドルセの「公教育を必要としなくなるために公教育が必要なのだ」という主張へのこだわり(『教育基本法「改正」とは何か−自由と国家をめぐって』'04)と深く結びついているような気がする。岡村さんにそのことを是非聞いてみたいと思っていたが、今となってはそれもかなわない。差別から解き放たれていこうとする関係の中にこそ自由があるのだという確信に支えられた若い世代の「自由と生存」を求める新たな運動に学びつつ、岡村さんの亡きあとに残された者の一人として歩んでいきたいと思う。

('08.10.29記)

 
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