2008年11月28日

top> ニュース> 313号


全学労連ニュース今号の内容

 青森県の共同実施、全県化へ

 東京都中央区の派遣社員問題のその後 更なる民間派遣の拡大を許すな!

 議長 菅原 かみぶろぐ

※ おまけ 文部科学省の来年度予算概算要求・「教育振興基本計画」のささやかな数値化(PDF_384kb)

 

青森県の共同実施、全県化へ

青森県学校事務労働組合

 青森県の学校事務の共同実施は、2000年4月八戸市で研究加配1名を受け入れて以降、段階的に拡大され2008年度は41名の加配で実施されている。こうした中、青森県教育委員会は2006年12月27日の青学労との交渉で「来年度はそろそろ個性を出したい」として、現行の学校事務の共同実施を改革していく意向を示していた。

 2007年2月23日に青森県学校事務共同実施研究会(研究会)が、また2007年12月27日には学校事務共同実施検討委員会(検討委員会)が相次いで組織され、新たな学校事務の共同実施の方向性として、全県での学校事務のグループ制を掲げた議論が開始された。この研究会、検討委員会には反対派で唯一青学労組合員が選出され、学校事務の共同実施やグループ制での問題点を指摘しつづけた。

 しかし2008年10月28日の第4回検討委員会では、グループ制に向けた最終報告書が承認され、県教委へ提出された。県教委は「2009年4月から実施できるよう関係書類を市町村に送付する準備を行なう」と早期実施に向けて強い意欲を示した。

 最終報告書は、グループ制推進ばかりを強調する反面、グループ制実施により発生する様々な問題点を先送りするものであった。このグループ制は加配を前提としてない。しかし、研究会、検討委員会では八戸市学校事務支援室、小規模校の学校間連携等、加配が前提の事例のみの検討に終始し、実際に加配のないグループ制での議論は一際行われていない。その結果、最終報告書は具体性に乏しく、問題点の羅列ばかりで改善策が示されていないため、実施にかかる多くの部分が市町村教育委員会に丸投げされる可能性が高いものである。

 また最終報告書の検討のまとめでは、「加配のない場合共同実施処理ができない、効果が少ない場合がある」「加配のない場合の共同実施のあり方の検討が必要」とグループ制のデメリットをあげている。約2年間、グループ制実施を目指した議論を重ね、グループ制推進との結論を導き出しながら、加配のない場合の不備を克服する方向性が全く示されていない点に、この間の議論の経緯が真に正しいものだったのか、大きな疑問を抱かざるを得ない。

 さらに、グループ制実施にあたって市町村教委の役割は多岐にわたる。拠点校への職員の適正配置、研修の実施等の他、ネットワークシステム構築、施設や物品の整備等、財政負担まで押し付けられる。その一方で、県教委は規則やグループ制実施案作成等の条件整備、周知、研修、協議の場設定等、後方支援に徹するとしている。また青森県が2010年から5年間実施する新行財政改革大綱の素案には、現在の6教育事務所を3教育事務所へ統合する方針が示されている。県教委の合理化策で生じる負担を、市町村教委やグループ制を利用して学校事務職員に押し付けようとする意図が伺える。

 このほか、学校事務職員には通常業務に加えてグループ制運営のため大きな負担を負わされる。さらに、学校現場を度々留守にする、業務軽減に直結しないシステムのため教員との間で軋轢が生じる等、肉体的、精神的にも大きな負担を抱え込むことになる。

 青森県での学校事務の共同実施は、今回の検討委員会の最終報告書により、今後の方向性が示されたことから、グループ制へと移行していくことになる。青学労は、これまで学校事務の共同実施は学校事務労働を変質させ、学校事務職員自身の合理化につながるものして反対してきた。今回の最終報告書は、青学労の指摘がそのまま現実化する可能性を秘めた内容であると言わざるを得ない。

 幸いにして、グループ制に関しては「市町村教委がそれぞれの実情に応じて判断する」との文言が明記されている。こうしたことから県教委交渉での学校事務の共同実施廃止要求は勿論のこと、市町村教委へグループ制を実施させないための取組を強化し、全県でのグループ制導入阻止を目指した取組を強化していく。

   

東京都中央区の派遣社員問題のその後

更なる民間派遣の拡大を許すな!

学校事務ユニオン東京 宮崎俊郎

 全学労連ニュースの311号で中央区の欠員校への派遣社員導入について記事を載せたところ、思いのほか反響が大きかった。学校の民営化を考える時、今回の派遣社員導入は具体的に「目に見える民営化」として実感できるからだろう。

1.中央区教委の対応

 中央区教育委員会指導室から事情を聞いた。当該学校が4月1日の段階で欠員校となり、都教委に対して対応を要請しに教職員係長が出向いたが、都教委はこれまでの欠員校対応である臨時職員の配置しか示さなかった。教職員係長は「それでは困る」とかなり激昂したようだ。臨時職員のみの事務室では立ち行かないと考えた中央区教委は苦肉の策として派遣会社からの社員派遣を選択した。しかし、その選択を決してよいとは考えておらず、「正規職員を配置してくれるのであれば、すぐにでも止めたい。」と私たちに語った。さらに当該学校には派遣社員も学校経験がないため、他区で学校事務臨時職員経験のある方を臨時職員として雇用していることも判明した。

 最後に教職員係長は「皆さんも組合ならば、都教委にきちんとした配置を行うよう強く要請してください。」と言われ、立場が逆転してしまった。しかし、派遣そのものについては今後拡大しないよう釘を刺しておいた。

2.都や特別区における派遣社員の拡大

 東京都は09年組織定数方針において病休などの欠員時に人材派遣を積極活用していく方針を示した。またその受け皿として(財)東京都福利厚生事業団は都の退職者等の派遣事業を検討している。

 特別区においても派遣社員の導入は進められている。豊島区では08年度に対して30名程度の派遣社員導入が提案された。最終的に15名程度に半減して@限定的・一時的な活用であることA職員定数削減を目的とはせず、欠員の穴埋め対策であることB予め3年の活用ではなく1年ごととさせたことC派遣期間終了後に正規を含む派遣以外の職員配置があり得ることD今後も派遣活用の規模および活用職場について労使交渉事項にすることを確認して豊島区職労は妥結している。

 このように学校事務以外の公務労働においても派遣は蔓延しつつある。定数削減ではなく欠員の穴埋めであるというのはあくまで方便であり、欠員の恒常化はイコール定数削減として現象している以上、安易に認めることはできまい。

3.派遣の拡大を許すな!

 10月22日に私たちは都教委と定数・欠員・再任用問題で協議の場を持った。その最後に中央区の派遣問題に対する追及を行ったが、都教委は詳細を把握していなかった。苦し紛れに「欠員解消に民間派遣社員を活用することをよいとは考えていないし、今後広がっていくものではない。市区町村の判断による導入に対して口出しはできない。」と私たちに回答した。今回の元凶は都教委の大量欠員の放置にあり、まずはその解消に努めるよう要請した。

 確かに今回の派遣社員の人件費は本人取り分が時給1,400円で派遣会社との契約は1,900円で表面上は800〜900円の臨時職員より高い。しかし、直接雇用でないことによる様々な経費(労災掛金や賃金支払いに伴う経費など)が表れていない。しかも現場に労使の関係が成立しないことによる圧倒的な労働者側の不利益は大きく、職場に問題があっても労使解決がありえない構造になっている。直接的な「解雇」が表面化せず、「人の入替」にしかすぎないことになってしまう。官製ワーキングプアの問題は単に賃金の劣悪さにとどまらず、労働者としての主体性をも剥奪する問題として捉えなければならない。

 派遣社員の活用は、その業務そのものの民間委託への道を開くものである。学校で言えば「教育の民営化」の第一歩とも言える。社会的に蔓延している派遣・請負・委託などの労働形態の問題性を民間労働も含めて告発していく中で、教育の民営化を考えていきたい。

   

議長 菅原 かみぶろぐ

 福島県出身の田母神空幕僚長は、自衛隊に18ランクある階級のトップだった。それが恐ろしい。あんないい加減な作文(稚拙すぎる内容、皇国史観だけ)の書き手が、自衛隊のトップなのだから。戦前の旧日本軍の行為を「良いことをやった。」とする田母神は、5.15や2.26を経て、軍隊が日本政府を握っていく過程を「正しいこと」と言うのだろうか。彼の部下たちも同じ思想を持っているのか。確かめるのが恐ろしい。「文民統制」を「そんなの関係ねえ」と嘯き、まさに「クーデター」の目論見だ。

 麻生が「100年に一度のみぞゆうな危機」と言う。そして「年金テロ」が続き、それに田母神「クーデター」を並べると、時代が一気にひっくり返る。

 今から、わずか80年前の出来事だ。けっして大昔ではない。政治的にも経済的にも現在とほぼ同じ時代の出来事だ。80年前は「自由放任資本主義」が世界をぶち壊し、世界戦争へと、そして今は「新自由主義」の市場経済が世界をぶち壊し、戦争へと。

 現実の経済的混乱はまだまだ続く。自家用ジェットを手放さない資本家は、そのつけをますます貧しい人々に押し付けるだろう。これから、現実のひとつの音、ひとつの光から目を離さず、もう一度歴史を確認し、未来を想像しよう。そして、諦めず、悔いを残さず、立ち向かいたい。

教育の民営化反対

 世界的金融危機が深まり、「新自由主義」批判の声が聞こえるようになってきた。しかし新自由主職の考え方(市場原理主義)は、金融や製造業部門だけではない。公的部門にも導入され、民営化(privatization)も進んだ。医療、社会保障も学校、教育も例外はない。「選択の自由」「自由競争」「自己責任」の思想は相当根深く入ってしまった。

 学校選択制が導入され、「学校間競争」を煽っている。民営化された全国学力テストの成績公開が新自由主義首長たちの手で行われようとしている。さまざまな教育的課題が無視され、学力向上競争(それも学力テストの成績)に収斂させられようとしている。学力テストの成績と地域社会の経済状況に相関があるのは多くの資料(失業率、生活保護受給率、世帯収入額との相関)が明らかにしている。にもかかわらず、教育の本質問題を隠し、教育予算削減のために、声高に「学力テスト」を使っているとしか、思えない。

 

 「学校マネジメント」「PDCA」などのあやしい用語を使っている学校事務職員がいる。新自由主義の「民間企業経営改善の優れた手法」の導入らしいが、そこには、いやな言葉が並ぶ。「資源」が、「物的資源」と「人的資源」と並んで出てくる。労働者の労働が、その他の材料と並ぶ感覚なのだ。

 「SWOT分析」にも嫌なのが出てくる。「内部環境、外部環境、阻害的要件」など。労働基準法は「外的阻害要件」とでも言うのか。

 ここで登場する用語は、なにか客観的、ニュートラルな雰囲気を示しながらも、実は労働者が勝ち取ってきた根本的権利を無視して成立する。つまり、「資源」を効率的に使うために「派遣労働者」を拡大し、外的阻害要件を回避し、法を無視して「偽装請負」をやる思想の元なのだ。

 

 今、全国の公立小中学校で職員の10%以上が期限付雇用教職員や非常勤教職員として働いている。文科省の義務教育費国庫負担制度1/3と総額裁量制、そして加配職員による定数改善は、非正規雇用学校労働者を格段に増カロさせた。これも新自由主義政策の一環であろう。効率的な「資源」の活用と嘯き低賃金を強要、労働者の権利は無頓着で憚らない。

 さまざまな評価制度も一段と強化され、学校労働者の賃金格差も拡大し、「自由競争」への従属思想が蔓延している。

 「学校組織マネジメント」「校長マネジメント」「マネジメント機能強化」などが、文科省の肝いりで拡大している。これらの「科学的手法」は、学校で働く者の権利を前提としない。親や子供たちの社会的条件は、「外部環境」として一枚の紙に書き留めるだけだ。

 これらに立ち向かうために、私たちは、自らの原則を確認し、自らの言葉で対峙しよう。労働組合は、自らと職場の仲間のことから考え始める。それが、「規制緩和」「市場主義」のなんとかかんとかマネジメントに対抗する武器ではなかろうか。

 
top> ニュース> 313号


無料 WEB-page スペースを利用しているため、広告が表示されますが、全学労連とは無関係です。



inserted by FC2 system