2011年8月11日

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全学労連ニュース今号の内容

 「人勧によらない賃金カット」を地方公務員労働者に押し付けるな!

 福事労への 3.11カンパ ありがとうございました・組合員からのメッセージ

 6.6全学労連文科省交渉報告

 第40回全国学校事務労働者交流集会(「全交流・神奈川」)案内

 「日の丸・君が代」を強制する大阪府条例の可決・強行に抗議する!

「人勧によらない賃金カット」を地方公務員労働者に押し付けるな!

人勧制度廃止、協約締結権の付与などあるが、改革は不十分

争議権を含む労働基本権を回復させよう!

 6月3日、政府は非現業国家公務員への協約締結権の付与など自律的(と言っているが、実は自律的ではない)労使関係制度を確立する「国家公務員制度改革関連4法案」と公務員連絡会との合意に基づいた「国家公務員の給与の臨時特例に関する法案」を閣議決定した。

 「一般職給与法適用対象者の給与減額支給措置要綱」によれば、次のような給与削減が行われるが、自衛隊については6ヶ月の猶予がある。

俸給月額  本省課室長相当職員以上  10%削減
本省課長補佐、係長 8%削減
係員 5%削減
管理職手当・期末勤勉手当 一律10%削減
期間 法律の公布の日の翌々月の初日から平成26年3月31日まで(約2年半)

 「4法案」の中味は@非現業国家公務員への労働協約締結権の付与A人事院勧告制度の廃止B労使交渉のための公務員庁の設置などであるが、労働三権(憲法第28条 団結権、団体交渉権(労働協約権を含む)、争議権)のうち争議権の付与については国家公務員労働関係法案の附則で「検討を行い、必要な措置を講ずる」と先送りにされている。交渉事項の範囲も「法律事項と政令事項の振り分け」として「検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」と曖昧にされている。一部では「1948年以降制約され続けてきた公務員労働者の労働基本権を自律的労使関係の確立に向け、新たな扉を開くものとして、計り知れない歴史的意義を持つものである」と評価する向きもあるが、本来「団結ということは、それ自体で充分の意義を持つものではなく、労働力の売りどめを中心とした争議行為と結合することによってのみ、真に団結たりうるのである。団結権と争議権や団体交渉権は不可分一体の権利である」(「労働法学」舟橋尚道著より)という説もある。ストライキ権のない団体交渉権(協約締結権)は、労使交渉の席上弱いものになる。もっとも現在のように「違法な」ストライキを背景に交渉を行うことになるかもしれないが、本来あるべきストライキ権が不当処分に直結する在り方は、一定程度秩序の中に位置付いているとは言え、極めて異常なのだ。労働側にしてみれば、足を踏まれたままで握手を強制されるみたいで、いつまでたってもこの国は後進国だ。私たちは日々欧米の公務員労働者のストライキやデモをテレビで見慣れてきている。公共の福祉論や比較衡量論、国民全体の共同利益論などからストライキ権の制約を提唱する最高裁判決は1948年のマッカーサー指令に基づく流れにあるものであり、早晩、変更を迫られていくべきものである。それが民主主義というものである。

地方公務員への波及は必至、理由なき賃金カットに反対しよう!

 地方公務員については、片山総務大臣が「国がやったから自治体も一律何%下げろなんて全く愚策」と批判している。東日本大震災に対処するための財源の捻出というのが理由なのだから、それとは関係ない自治体まで削減しようとする動きはおかしいし、許せないことだ。人勧によらない賃金カットには反対しよう!

 地方公務員については、今回は法令化されないが、総務省は6月2日に「地方公務員の労使関係制度に係る基本的な考え方」を示している。

 内容は

  1. 一般職の地方公務員に協約締結権を付与する(消防職員には団結権も付与されない)
  2. 人事委員会が廃止されるので都道府県労働委員会(地労委)に認証を受ける。それによって団体協約の締結、不当労働行為の救済申立て、あっせん、調停・仲裁手続への参加、職員の在籍専従等が可能となる。
  3. 認証の要件について「構成員の過半数が同一地方公共団体に属する職員であること」が述べられている。少数派労働組合の高齢化には少々頭の痛い問題だ。
  4. 「団体交渉を行い、団体協約を締結できる」事項が制限されている。給与・勤務時間等に関する事項、昇任・休職・免職・懲戒の基準に関する事項(懲戒そのものを交渉事項にはできないようだ)、保健・災害補償、その他の勤務条件、団交手続・労使関係などが列挙され、相も変わらず「管理及び運営に関する事項は引き続き団体交渉の対象とすることはできない」としている。これらの制限は現行の地公法と全く同じである。
  5. 不当労働行為は禁止される
  6. 現行地公法において規定されている勤務条件の決定原則(議会による条例化など)は引き続き法定する。
  7. 民間給与調査は行うが実施主体は未定G措置要求や不服申立てについては第三者機関(?)が所掌する、

などである。

 とどのつまり国公、地公の労働組合は、争議権を剥奪されたままで、労働委員会制度の中に投げ込まれるということになる。労働協約権についても、職員の4分の3以上を占める労働組合の協約が優先されるなど少数派組合の力をそぐことが危惧される。政府は公務員労働者に争議権をはじめとする労働三権を付与した上で、労使対等の原則に従って賃金・労働条件の交渉を行うべきである。私たちは政府に対して労働基本権の回復を訴える。1974年暮れの公労協による「スト権スト」から37年、隔世の感はあるが、「スト権奪還!人勧体制打破!」は息づいているのである。

(注)前回の記事中、労働三権を、スト権、団交権、協約締結権としていましたが、間違いです。労働三権はスト権、団結権、団交権で、協約締結権は団交権に含まれます。お詫びして訂正します。

全学労連カンパにご協力ください

 時期をだいぶ逸してしまいましたが、全学労連カンパにご協力ください。震災以降、復興に向けた法案成立や財政問題などが注目されていますが、今、公務員制度が大きく変わろうとしています。全学労連は、学校現場で働く労働者の権利を守るためこれからもがんばっていきます。

 

福事労への 3.11カンパ ありがとうございました

 福島支援カンパに多くの皆様からご協力をいただき、本当にありがとうございました。総計 140万 6千円に及んだカンパ・義援金は、全て福事労に送金しました。今号で福事労組合員からのメッセージを紹介させていただきます。

福事労組合員からのメッセージ

 3.11の地震の時は、下の子供と一緒に自宅にいました。家具が動いたり、倒れたりする音を聞きながら長い揺れに耐え、テレビの地震情報を確認しました。すぐ大津波瞥報、そして津波の映像が流れてきました。

 それはそれは慌てました。上の子供を預けている保育所が海の近くなのです。そして、その日はアクアマリンヘの遠足・・・。

 すぐ車で迎えに行きました。小名浜の街に向かうといつもと様子が違います。道路は大渋滞。危険を覚悟で湾岸道路へ向かうと、道路には車やポートが流されていて、それでもようやく6時に保育所へ到着しました。子供の元へ行くと、保育士さんと子供たちが寄り添いあっていました。

 アクアマリンで遊び、お昼にお弁当を食べ、保育所に帰ってお昼寝のときにあの地震が起きたのです。もっと早い時間だったら大惨事だったはずです。今でもアクアマリンを目にしたり、湾岸道路を運転するとゾッとします。

 夫のことも心配になりました。夫の職場は港の隣の化学工場です。「もしかしたら津波に襲われているかもしれない。」・・・電話は結局つながらず、不安いっぱいのまま8時半ごろ自宅に着くと、ちょうど夫も帰宅したところでした。聞けば、雪のちらつく中、会社の屋上に避難して難を逃れたそうです。

 「みんな無事でよかったぁ・・・。」

 個人的には4月の地震の方が怖かったです。

 ちょうど職員打合せが終わった時でした。地震ですぐ停電。学校が高台にあり、3月の時には避難所になったこともあって、津波の恐れから近隣の人たちが車でどんどん避難して来ました。校門を出た道路は3月の地震で地盤沈下して片側通行。私たち教職員は身動きが取れなくなってしまいました。

 「保育所に預けている子供たちをどうしよう・・・。」夫と電話がつながるものの、避難命令が出て、会社の近くの学校に避難しているとのこと。周りは真っ暗、雨がひどく降って、雷もなっている。

 「おんぶひもを持って、保育所まで歩いていくしかないか・・・。」すると、夫から「(港近くの駐車場にある)車が無事だったら子供を迎えに行く。○○小で合流しよう。」と電話があり、私はそちらに向かいました。

 夫が保育所に着いたのは7時過ぎ。私の子供たちだけが残っていて、真っ暗な部屋で保育士さんに抱かれて待っていたそうです。無事に合流し、乗り合わせて9時ごろ帰宅しました。

 3月末まで育児休業だったので、3月の地震の後はしばらく実家にいました。水道が出ないので、子供を義父母に預けて仕事に復帰したのです。家の水道が復旧して、原発事故で放射線が心配でしたが、家族で一緒に暮らせるようになったとたんの4月の地震でした。

 目に見えない放射線の恐怖・・・余震の度に抱きついてくる子供・・・

 もうこんな経験はしたくないです。(T.K)

 私の自宅は四倉です。津波被害の大きかったところです。3月の地震の日、帰宅するため学校からいつもの海沿いの道に向かってしまいました。新舞子の松林が見えるところまできたら、松林の様子が変なのに気がつきました。今となっては何がどう違っていたかは定かではないのですが、何か変だと感じたのです。それを見て初めて津波を実感しました。

 もちろん、海岸道路を通らず家に向かいました。四倉に近づくと、6号線の海側には車がプカプカ浮いているのです。自宅が津波に流されているのかが心配で、急いで行きたいのですが、道路は渋滞していて、なかなか着きません、あたりは薄暗くなってきました。

 自宅に近づくにつれ、津波に襲われた家が見えてきます。1階部分が水浸しになった家、ひっくり返った車がそこらじゅうにあります。ところが、我が家の一角だけが奇跡的に海水が入っていませんでした。

 家にいた夫とともに、すぐ高校の体育館に避難しました。たくさんの人が避難しています。全身ずぶぬれでガタガタ震えている若者、腰にタオルを巻いているだけの人。そのうち浴衣を着ている人が幾人も入って来ました。こんな状況で浴衣なんてと思っていたら、その人々は海岸の温泉入浴施設のお客さんだったのです。浴衣を着ていますが、裸足です。ずいぶん人が流されたそうです。

 その後、家が原発から32kmしか離れていないので、避難のためと、水道の復旧が遅いため、市内の南にアパートを借りました。何かあっても逃げやすいと思ったからです。

 ところが4月の地震は、市内南部が震源です。その夜のメールで「怖い」といってしまいましたが、ほんとに怖い夜でした。電気も水道も止まってしまって、一晩中グラグラする長い夜でした。

 水道のない生活がどれだけ大変だったか。なかなか水が復旧せず、食器を洗った水を一滴も捨てず、トイレにつかいました。それまで、どんだけ水と電気を無駄にしたのか思い知ったアパート生活でした。

 せっかく原発から離れて南に引っ越したのに、地震が追いかけてきたので、水道が出た四倉にもどりました。

 原発が怖いです。先日、息子と電話をしているとき、「子供たちの故郷がなくなってしまうのか。」と思うと、泣いてしまいました。息子はそれを心配して、いろんな人に連絡してくれたみたいで、励ましの言葉をたくさんもらいました。 (K.K)

 私の家は津波の被害が大きく、犠牲者もたくさん出た豊間にあります。自宅は1階部分を津波が突き抜け、めちゃくちゃになりました。まだまだ片付けも終わらず、住めない状況です。

 3月の地震の日、テレビで仙台の津波を映していましたが、自分の家に津波が来るとはこれっぽっちも思っていませんでした。これまでも津波警報が出ても来たことがなかったから。

 だから、家に向かう道路が封鎖されているのを見て、ただ事ではないことに気づかされました。北から南からと自宅に向かう道路に行きましたが、相当離れたところで封鎖されています。携帯電話もメールもつながりません。あたりは真っ暗です。車のライトが遠くの瓦礫に当たっていました。

 夜8時、電話がつながり、家の裏山のお寺に逃げていた家族全員の無事が確認できました。そのお寺に行こうと思いましたが、真っ暗な瓦礫の上を歩くのを断念し、その夜は実家に泊まりました。

 「食い物がない。明日の朝、おにぎりをたくさん持ってきて。」の連絡を受けていたので、あくる朝早く、おにぎりをたくさん待って、お寺に向かいました。

 南の高台に車を置き、そこから歩いてお寺に向かい、ようやく家族に会えました。無事なのは知っていましたが、会えたので本当にほっとしました。

 それから、自宅の様子を見に行きました。お寺から自宅まで数百メートルあります。山の上のお寺を降りると、広い道路までの間には水は入っていますが、瓦礫はそれほど無く、道路脇の田んぽにはセプンイレブンの商品が散乱しています。その道路からは瓦礫の山です。家が建っていたところも道路もすべて瓦礫で覆われています。たどり着いた我が家の−階は瓦礫に埋め尽くされていました。

 後で聞いた話ですが、私たちが越えてきた瓦礫の下には多くの遺体があったそうです。その時は知らずにいましたが、知っていたら歩けなかったでしょうね。

 今そのことをようやくロに出せるようになりました。親戚、知人、近所の方が大勢亡くなりました。3月12日の朝、私が瓦礫の上を歩いたとき、そこにいたのです。

 それからは転々としました。いちばん長くすんだのは3世帯集合の農家です。水道が出ない期間で、井戸水でやりくりしましたが、お風呂は10日間入れませんでした。4月半ばから子供たちとアパートで生活しています。

 元の家の周りは取壊しが進んでいます。人が戻ってきていません。街はどうなるんでしょうか。息子の通っていた中学校も津波の被害を受けました。元のところに再建することはできるのでしょうか。海にはあんなに来ていたサーファーが一人もいません。これから来る人いるかなあ。

 なんとなく落ち着いてきた、と思いたいのですが、これからを考えると、心の底の不安は消えません。家に戻らなきやと思う気持ちもあるのですが、津波の恐怖が消えません。

 いつものように「アハハ」と生きたいのです。でも、そうなるまではもう少し時間がかかるでしょう。

 それから、最後にお礼を言います。福事労の皆さん、全学労連の皆さん、全学労組の皆さん。支援カンパをありがとうございます。(A.O)

 この度は、義援金をいただきまして誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

 私の住まいは、福島第一原発から17k mの場所にあり、避難区域となりました。

 3月11日14時46分、その時は保育園を休んでいた息子(5才)と娘(2才)と一緒に家の中にいました。激しい揺れの中2人を抱え、早く揺れがおさまるのを祈るばかり・・。

 その時間はとても長く感じました。家の中は食器棚やテレビなどが倒れ、ひどい状態でしたが津波の被害はありませんでした。

 その時点では原発のことなど、全く考えもしませんでした。


 翌日、家の片付けをしていると、テレビのニュースよりも先に、近所の人が「原発が爆発したらしい」と知らせに来てくれました。とりあえず着の身着のまま、ほんの2、3日のつもりで郡山にある主人の実家に避難。郡山でも危険かもしれないと、4日後には知人の紹介で西会津のアパートに避難しました。

 全く知らない土地に移り住み、不安だらけの毎日。こどもの学校のことや将来のことなど考えるとどうしたらいいのか・・・。

 こども達も慣れない環境にホ初は戸惑っていましたが、風邪もひかず、明るく元気に過ごしています。


 主人の転勤が相馬に決まり、現在は宮城県角田市にアパートを借りて住んでいます。

 不安な気持ちでいっぱいでしたので、皆様からのお心遣い、たいへん助かり喜んでおります。また、元の生活に戻れるように、これから頑張っていきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 この度、全国の仲間の皆様から多額の義援金や励ましの言葉をいただき、本当にありがとうございました。身も心も弱っておりましたが、皆様の支援の力強さに再び希望と勇気を得ることができました。


 私の自宅は原発3キロ圏内のため、3月11日の地震時の避難から、立入ることができなくなってしまいました。終の棲家のはずでしたが、住めなくなりました。

 今は、学校が別の市に移転して、分校として開校したため、単身で市内に住んでおります。家族3人バラバラの生活になってしまいましたが、仕事で忙しい日中は寂しさを感じることはありません。仕事面でも沢山の仲間の協力をいただき、教育環境の整備に貢献することができました。


 公私ともに、物心両面から支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

 皆様からの思いを胸に、前向きに頑張って行きたいと思います。

6.6全学労連文科省交渉報告

 全学労連は6月6日、先に提出した5月13日付の要望書をもとに交渉を行った。

 今回はこれに加えて、福島から参加した福事労阿部委員長が下記の要求書を手交し、東日本大震災・原発事故後の現場に状況を訴えた。文科省へは事前にそのことを伝えていたため、学校安全教育課や原子力安全課など、震災後の児童・生徒の健康面の担当者や原発技術関連の担当者が出席したものの、以下のような歯切れの悪い回答であった。

文科省回答要旨

(震災関連に関し)4/19「暫定的考え方」の判断として、「20mSv/年」という数値を政府原子力災害対策本部の見解を踏まえて、留意事項を付してスタート段階のものとして出した。

 これは1〜20mSv/年の中で段階的にできるだけ線量を減らしていくことが前提での数字だった。時間にして3.8μSv/h、これ以下なら校庭で1時間程度の運動なら問題ない数値と聞いている。しかし、福島県内からの様々な意見を踏まえ、5月校庭土壌対策に関する線量低減策の事務連絡を通知した。5/27、原子力災害対策本部の「原子力被災者への対応に関する当面の取組方針」を踏まえ、当面1mSv/年以下を目指すとし、土壌対策費用負担の一環として、線量計を各校に配布した。現状は専門家にヒアリング等をしているところで、引き続き線量低下に向けて努力していく。

 学校給食に関しては、原子力安全委が食品の出荷制限しているため、現在市場に出回っているものは安全であると認識している。食品に関しての放射線暫定規制値に年齢区分がないため、学校給食だからといって、特に改めて検査等をするつもりはない。

 就学援助に関しては、不可欠かつ重要な事だと考えている。可能な限り弾力的な運用を通達しているところである。被災児童に対しては、特例交付金などにより支援していきたい。

 原子力教育に関しては、客観的なエネルギー資源に関するものの見方を育成させるためにも、必要だと考える。中学校で、水力・火力・原子力発電を習う。さらに新たなエネルギーとして太陽熱や地熱、バイオマスといったエネルギー資源を勉強するにあたり、発表や討論を繰り返し様々な意見があることを含めた教育が必要だと考えている。


 定数に関し、各都道府県は標準定数の範囲内で適正に判断していると考えている。


 共同実施については、教員事務負担軽減に有効だと考えている。各都道府県の判断で、事務処理体制の充実がはかられていると考えている。事務長制に関しては、中教審答申を受けて、政令化しているが事務処理体制の効率化に有効だと考えている。


 30人学級について、文科省としては少人数学級実現に向けて、予算編成に臨んでいく。昨年は小学校第1学年のみだったが、24年度以降も引き続き取り組んでいく。当面は2学年の35人学級実現だ。

 施設に関して、今回の地震では耐震工事の効果はあったと考えている。しかし、津波被害、非構造物(屋根など)の被害があったため、有識者会議を開き今後も取り組んでいく。

当事者意識のない文科省

 これを受けての主なやりとりは次のようであった。

 

全 「定数で、職種ごとに充足率の差があるけど、状況認識として適切と言えるか?」

文 「一部の県で若干下回るがほとんどがOKだと思う。差は数%である」

全 「都道府県ごとに見ると一部は随分と下回っているが・・・」

文 「東京の場合についてはよく調べてみます。ただし標準法は下限ではなく標準を示したものであるから、下回っているから即ダメとは言えない。ただし各都道府県に対する指導はやっていきます」

 

全 「35人学級は具体的にどうしていくのか」

文「協議会をつくり、その議論を踏まえて実現させていく」

全「時期やスケジュールは・・・」

文「概算要求前にとりまとめたいので、7月末から8月上旬だろう」

 

全「被災地の学校職員に関する支援はどうなっている」

文「職員を手当てする動きは行っている。財務省と協議し、4県へ加配した。福島については状況を含め流動的なのでまだ行っていないが、4/28、受け入れ県である岩手・宮城・茨城・新潟へ加配した。第二次の加配も予定している。従来の加配とは別に加配したので、現在の加配を受けている県から引きはがすことはしない」

 

 全学労連はこの交渉の中で、当たり前のことなのだけれど、全国的な放射能汚染が広がる中で、文部科学省は言われたことのみを伝え、またはそれさえも伝え切れていない現状を改善すべく、きちんとした正しい情報を出し、それにどう対処していくかと言った積極的な姿勢を求めた。さらに福島の子育てをどう考えていくのか、今後の汚染対策への対応、被災者の雇用の確保などを訴え、交渉を終えた。

「日の丸・君が代」を強制する大阪府条例の可決・強行に抗議する!

京極紀子(学校事務職員労働組合神奈川)

 ★6月3日、大阪府議会本会議において、「日の丸・君が代」強制条例案が可決・成立した。条例は、大阪府の施設に「日の丸」を常時掲揚(執務時間中)することと、府内のすべての公立学校教職員(事務職員にも!)に対して学校行事での「君が代」斉唱時の起立・斉唱を義務付ける。橋下徹府知事を代表に、先の統一地方選で府議会過半数を制した大阪維新の会が提出、強行採決した。憲法19条はすべての人々に対して思想・良心の自由を保障している。むろん教職員もその中に含まれるのであり、違憲の条例に根拠は無いのだ。

 日弁連、大阪弁護士会・・など法律家団体が相次いで反対声明を出し、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪が呼びかけた反対アピールへの賛同は800名、5月26日の緊急集会にも300名を超える市民が結集した。教育常任委員会(たった一日!)の審議では、教育長が「条例化の必要なし」と反対の意見表明をし、議会の中の多くの会派(公明・民主・自民・共産)が反対に回った。それらを一切無視しての可決強行は民主主義の勝手な解釈だと思う。かつて、ヒットラーも選挙で選ばれファシズムの社会が創られた。

 知事は「公務員なら職務命令に従え」「命令違反は首にする」として、不起立者の氏名の公表、9月議会での処分のルール化(不起立3回で懲戒免職など)も目論んでいる。ワタリの廃止・賃金引き下げや北摂2市3町への人事権委譲など、「地方行革」「教育改革」をトップダウンで進め、首長が教育行政に責任を持つべきと教育委員会廃止までを見据える。さらには大阪都構想を掲げ、秋の大阪市長選で自ら選挙に出る可能性もちらつかせる。6月議会では議員定数削減条例も強行可決した。自分こそが正しいと思い込み、違った意見を力ずくで排除するーポピュリズムの政治ともいえるものだ。

 ★1999年に成立した「国旗・国歌法」は、「日の丸」「君が代」をたんに国旗・国歌と定めたものにすぎない。政府も審議の過程で「強制しない」と言明した。しかし、学校現場を中心に「日の丸・君が代」は国旗国歌法以前から、そして以後は格段に重く強制され続け、ついに条例での義務づけという度し難い事態が作りだされた。

 大阪都構想で対立する大阪市の平松市長は「条例化の必要はない」という。しかし、昨年4月よりすでに学校での「日の丸」常時掲揚が強行されている大阪市は、今、強制の重点を「君が代」斉唱時のピアノ伴奏(あるいは吹奏楽伴奏)におく。昨春100校を超えた未実施の数が今春の卒業式では22校へと激減した。大阪だけでなく、公的機関への「日の丸」常時掲揚もどんどん広がっている。こうした「強制の日常化」の中に、府条例化の背景があるのだと言うことも忘れてはいけないと思う。

 教職員への強制をめぐっては多くの争いがある。3月10日、東京高裁は、東京都教委の卒業式・入学式等「君が代」斉唱時不起立に対しての処分の是非をめぐって、裁量権の逸脱であり不当との判断を下した。ホ高裁では、2007年ピアノ裁判での合憲判決後、4年を経て今年の5月30日以後、処分をめぐっての判決が矢継ぎ早に出されている。いずれも処分「合憲」の不当な判断で、個別ばらばらの案件―それぞれの人々の思いをバーゲンセールで一掃するかのような判決は、通り一遍の安っぽいものでしかないが、それでも「日の丸・君が代」が思想良心の問題であるということは、判決の中で共通の解釈がありゆるがない。しかも、判決の結論につけられた「『補足意見の花盛り』は結局のところ、多数意見本体の弱さ・動揺・迷いなどを示したメッセージではないか」(奥平康弘2011.6.28朝日夕刊)。「思想良心の自由」に関わる問題から「処分の是非」だけを切り離して結着しても、本質的な結着にならないということではないだろうか。

 大阪府の条例化の問題に立ち返れば、条例化することで、人の思想を押さえつけられると考えるのは傲慢な態度だ。多数を制する権力はその行使に当たってより抑制的でなければならない。条例は、行政権力による公教育への介入・統制であり、教職員の基本的人権を全否定し、橋下知事のロボットになれというもの。氏名公表は戦前のような「踏み絵」を教職員に踏ませるものであり、やがてはこどもや保護者、参加者にも強制の「踏み絵」を踏ませることにつながるだろう。

 大阪府教委は条例制定を受け、臨時校長会を開催―6月中旬からの「日の丸」常時掲揚を指示、「教育長通達」(職務命令としての性質を有する)を発出して「起立・斉唱」を徹底した。橋下知事は、予定通り9月府議会で「教職員処分条例」を提出し、「日の丸・君が代」問題を大阪市長・府知事のダブル選挙での争点に使うつもりのようだ。

 公務員には憲法遵守義務がある。憲法違反を続ける知事の辞職と条例の撤回を求めよう!免職条例提出に反対し、思想・良心の自由の尊重、基本的人権の保障、民主主義を求めて、大阪―全国の仲間とともに私たちも全力で闘っていこう!

 
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