2011年9月17日

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全学労連ニュース今号の内容

 「大阪財務PCシステム」視察報告

 年度途中人事のはなし

 「我慢しろ!フクシマ」は断る

「大阪財務PCシステム」視察報告

がくろう神奈川 伊藤

 7月29日、全学労連学校行革対策部の呼びかけと阪学労の協力により、大阪市の学校を視察した。大阪市では2010年度から「新財務会計システム」が巨費を投じて導入され、学校財務のコンピュータ化が行われた。昨年の全交流でも報告を受けたが、あれから1年。学校現場はどういった形に、ある意味落ち着き、事実としては混乱が固定化したのだろうか。現場に来てみると、圧倒されるばかりの業務負担増と、複雑でまるで迷子になったかのような感覚を覚えるような、システムの現実を目の当たりにした。

大阪までの道のり

 私を含め神奈川の3人は当日午前0時、横浜駅近くで東京の組合員の車に拾ってもらった。途中で埼玉の5人が乗った別の車とも合流し、一路大阪へ。どうでもいいことだけど、世の中には「工場萌え」という人がいて、田園地帯で生まれ育った私もその生育環境の反動か、萌えまではしないにせよその類いの景色は好きな方だ。そんな私にとって朝方の伊勢湾岸自動車道名古屋港付近の景色は、たいへんに胸躍るものだった。もし近い嗜好のある方(いるのか?)はぜひ。

 9時頃に大阪に着いて、まずは温泉へ。東住吉区の天然温泉「ふれ愛温泉矢田」。前調べしていなかったにもかかわらず颯爽と見つけ出した埼玉・Nさんはさすがです。清潔で広々。露天もありで堪能。その後、車は宿舎に停めて視察先の学校へ。近所の定食屋で昼食を頂いてから、兵学労の方も合流し視察開始。

圧倒的な業務量と複雑な「システム」

 阪学労の方から、システムの全容と事務職員が行う業務の具体的な流れを示したペーパーが用意されていた。それに沿ってレクチャーを受ける。「新財務会計システム」と通称してきたが、導入されたのは公金会計や備品管理といった財務事務だけでなく、文書、旅費、生徒情報(学籍・転出入)、学校徴収金、就学援助と、ありとあらゆる業務を網羅した巨大な「校園ネットワーク業務システム」であった。私たちが日頃過ごしていると変わらぬ光景の学校現場のその場で、その全体を突きつけられると、否応無しに「自分なら…」と考えて足がすくむ思いだった。

 内容も煩雑。文書は多くが電子で来るのみならず、紙文書で来たものも電子化して保存管理する。また、調査等への回答も原則電子で、とされている。昔の備品の処分も一度システムを通してから。旅費は各職員が記入・提出した「出張命令簿」を、改めてシステムに入力する仕組み。生徒情報の管理も完全にシステム化され、保護者口座も登録され引き落としや就学援助費の振込もそこにあるデータに基づいてなされる…。あまりに重大かつ膨大な情報量に、アタマがクラクラしてくる。

 これだけ膨大な業務と複雑な操作を詰め込んだ本システム用の、配当パソコンは3台。校長、教頭、事務職員分だけ。許可があればもう1台可能とのことだが、いずれにせよ事務職員に業務を集中し過大な負担をかけるに充分な体制と言えよう。システム導入直前の09年度末に43名が退職。4月以降病気休職も多数出た。そして10年度末には、前年を上回る48名もが退職するに及んだという。

コンピュータ化の問題点

 私の働く神奈川・川崎市でも、公金会計などいくつかの業務がシステム化されている。1件の購入の始まりから終わりまで、やはりいくつもの画面を経て支出まで至る。採用されて1年ちょっとの私。若干の初任者研修を受け、あとはマニュアルと首っ引きになり、確かにこなすことはできるようになった。しかし、今打ち込んでいる画面は何の手続きに当たるのか、何のためのこの操作をしているのか。それを教える場はないし、マニュアルにも書いていない。

 これもひとつの重大な点だと思う。「これまでコンピュータと縁のなかった者がコンピュータ化に対応出来ない」という、ステレオタイプな問題とも違う問題だ。「パソコンやケータイを公使問わず使いこなしてきた若い事務職員は、コンピュータでも問題ない。むしろ楽」という構図や意識が、あらゆる場面にあるように私は思うのだが、そうした「使える人」も(むしろ「使える人」だからこそ)からめとられる問題。つまり、機械ならぬ人間が、自分がしていることを意識せず、する必要がなく、あるいは意識させないように誘導されているような、そんな問題。まだうまく言葉にできないが、そうした問題が、大阪の現場と自分の現場を映し合わせると思い浮かんだ。

出退勤務もPC管理

 なお、オプションとして「出退勤状況処理システム」も紹介された。新財務会計システムと同時に導入された電子タイムカードで、出勤時と退勤時に、ICチップが入った「職員証」をカードリーダーにかざすと、各職員の出勤・退勤時間がシステムに自動的に入力され保存されるという。

 学生時代にアルバイトでタイムカードは経験しているが、そこのタイムカードは結構、不具合やトラブルやミスリードが起きるものだった。そうした場合の処理は教頭業務らしいが、これまた事務職員にさせる動きがあるという。「システム」だらけに管理だらけに業務増。息苦しいと言うかなんと言うか…な学校の姿を目にすることとなった。


 学校視察後の交流会には、所用で関西に来ていた沖学労の方もさらに合流。一次会の後には美味しいお好み焼き屋にも連れて行っていただき、大いに語り交流した。

 参加された皆様、お疲れさまでした!阪学労の皆様、お世話になりました!今度は神奈川でお会いしましょう!


年度途中人事のはなし

福事労 穴澤明子

 2011年3月11日マグニチュード9.0という地震が発生、大津波が未曾有(今や、この言葉では足りないだろう…)の大災害をもたらした。後に東日本大震災と命名された。

 まさに今、その光景がテレビ画面から流れ続けた。荒れ狂った海が巨大津波となり、多くの命や建物・車を押し流し容赦なくのみこんでいく。

 あの映像が頭から離れない。とても現実とは思えない、CGではないのか。

 しかし、福島県にとってはこの後が本当の災害(…これから何年続くのか予測もつかない)だった。

 今更だが、福島県には東京電力の原子力発電所が2箇所ある。(あった)福島第一発原子力電所及び第二である。ここで作られた電気は張り巡らされた送電線網から関東に供給される。関東の需要のために40年前から稼動していた。原子力発電には大量の水を必要とする。従って日本列島海岸沿いに原発が建設されていることは知っていた。しかしそれが54基とは、迂闊にも知らなかった。


 3月11日は公立中学校の卒業式だった。

 異動の内示(3/7)は該当者に既にされており、時期をみながら異動準備を算段する頃だった。

 地震により機能を失った原発が暴走し、多くの人々が避難を強いられそして帰宅できないまま現在に至っている(最初は念のために避難と言っていた)。震災後、学校は長期の休校に入った。

 震災による校舎被害ではなく、原発事故のため浜通りの多くの学校が立ち入り禁止区域となった。

 人事異動は凍結、しかいその期間は明示されなかった。根拠のない予測として1学期終了までかなと個人的には感じていた。県職員は6月1日付けで実施。

 定年退職するはずだった管理職(校長・教頭)は任用を延長された。退職予定教職員は当初の予定どおり退職。新採用教職員は内示のとおり発令。期限付き教職員も4月1日赴任した。

 しかし、退職予定事務職員の中には後任者が見つからないなどと管理職に泣きつかれ4月以降勤務し続けた者もいる。現給を保証された管理職と異なり事務職員の賃金月額は半額ぐらいだったと聞いている。

 5月に入ると何回かに分けて兼務発令が出された。学校機能を失った浜通り勤務校在籍の教職員が県内に散らばっていった。3回も4回も避難を繰り返し、町機能の移転先に落ち着いたのにまた引越し。50`60`の遠距離通勤を余儀なくされている者多数。児童生徒の県外への転出で教員500人超が過員とされている。2012年度の義務制の教員・事務職員・栄養職員は採用試験が実施されなかった。

 福島県はこれからどうなるのだろう。


 凍結されていた人事異動は8月1日付けで実施、3月内示のとおり発令された。浜通り立ち入り禁止区域にある学校への内示を受けていた教職員はそのまま発令され、そこから兼務発令を受け、各地に赴任した。


 さて、私自身について…

 8月1日付けで市内の中学校に異動した。大規模校ではあるが、以前に比して生徒数も職員数も減。同一市内なので特に支障はないと思われたが・・・これが中々の曲者でした。

 エアコンがない…から暑い、暑くて考えられない(笑)

 夏季休業中で人がいない…から教職員の名前も顔もよくわからない

 学校が、公務が動いていない…から仕事が見えず、進まず。

 正に右往左往ということばがぴったり。長い事務職員生活にこんなサプライズが待ち受けていたなんて。

 人生やっぱり塞翁が馬なんですね。


「我慢しろ!フクシマ」は断る

2011/8/21〜22全国学校労働者交流集会特別報告より

全学労連 議長 菅原

3.11地震・津波そして原発震災

 当日、福島県内の中学校は卒業式午後の「卒業式第二段」も終わり、お茶を飲んでいた。事務室の相方の携帯が緊急地震速報をわめき出したとたん揺れ始めた。

 何かにつかまっていないと立っていられない。プールの水が飛び跳ねる。揺れが収まってきたところで、また大きく揺れだす。「もうやめてくれ」ここから始まった。

原発震災

 すでにフクシマの大地は汚染され、人々はヒバクシャ。人々を不安が覆う。

 県民の健康調査を行うというが、ホールボディカウンターはガンマ線を計るだけ。ストロンチウム90が骨に蓄積されていても見えない。3月に何処で、何を食べ、何を飲んだかを調査する、と言う。

 それで被曝量が決まるのかと、より不安。

 反原発、被曝からの安全を求める運動が県内各地で始まっている。

脱出する子供たち

 福島県中通り地方(福島市・郡山市など)から子供たちが脱出している。すでに1万人の児童・生徒が福島を離れた。夏休み中に転校する子供もふえるだろう。

 「がんばろう福島」のスローガンがそこかしこにある。これは「福島でがんばれ」と聞こえる。

 「汚染された土地から離れるな」の圧力でもある。しかし、最近は「脱出への閾値」が下がったように思える「我慢しない福島」から出て行く子供たちを歓迎してほしい。

まだまだ混乱は続く、学校はどうなるのか

 私の職場は生徒数770名の中学校。場所はいわき市南部、福島第一原発から50km。3,12から3,15のベントと水蒸気爆発の間に雨が降らなかった。南に向かった放射能雲は頭上を通り過ぎ、首都圏に向かったのだろう。4月上旬のガンマ線量は校庭で、0.7μSv/h。現在は0.2μSv/h。

 4月1日までに、新2,3年は10名以上転出。原発地元の双葉各町村からの転入生は、各学年10名程度。8月に入っても転入生がいる。職場の近くに220戸の仮設住宅(富岡町の要請)が着工した。完成すれば転入生が増えるだろう。

 5月1日、双葉郡内の中学校に勤務している(といっても現実には学校はないが)教員が2名兼務辞令でやってきた。双葉地区の小中学校、6校はバーチャルなものになっている。そこの職員は全員が兼務辞令で各地に散らばっている。原発の収束がない以上この異常事態は続く。



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