2015年3月9日

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全学労連ニュース今号の内容

 関東事務研究大会 全事研セミナー アピール行動

 インクルーシブ教育に関する文科省の回答への批判と私達の課題

 育児・介護を理由とする時差勤務、4月から導入

関東事務研究大会 全事研セミナー アピール行動

関ブロ参加者へ

 全学労連は、2月5日、東京・文京区で開催された「関東地区学校事務研究大会・東京都公立小学校事務職員会研究大会」の開会に合わせて、“給与費の政令指定都市への移譲に伴う県費負担教職員制度解体へ反対”のビラまき行動を行った。

 会場である「文京シビックホール」入り口付近でビラを配っていると、建物の警備員から配布許可を取っているのか確認された。ビルを管理している、建物内にいる区の担当者へ赴きし確認してもらうと、特に問題ないとのこと。その後300枚あまりのビラを配った。

 学校事務制度解体へと推し進めている政令市移譲問題を見過ごすわけにはいかない。今回の関東地区事務研で参加者へこれらの危険性をアピールする取り組みは重要だったと思う。

全事研セミナー参加者へ

 また、2月13日、神奈川県川崎市で行われた「全事研セミナー」参加者に向けて、全学労連の東京と神奈川の仲間でビラまき・情宣活動を行った。

 「共同実施」を事務職員の立場から推進する全事研は、昨年8月に公表した「第2期学校事務のグランドデザイン」でも「学校事務の組織化」を基本的方向性と位置づけている。しかし、その具体については、「共同実施」の本質であるところの人員合理化の進行という現実を前に迷走を続けている。目下のところは「地域」に活路を求め、「地域学校経営の事務局機能を持った地区学校事務室」を唱えているが、これも早晩破綻することは明らかだろう。

 そうした提唱の一方で、文部科学省の打ち出した「チーム学校」にも節操なく飛びついてみたり、教職員給与費の政令市費化をテコに「生き残り策」らしきものとして業務取り込みや「新たな役割」という主張を推し進めてみたりと、様々な動きを見せている。しかし、「チーム学校」は早々につまずき、「新たな役割」も他ならぬ全事研が推し進めた実践の中で現実からの遊離がより明白になっている。

 しかしそれでも、学校事務職員最大の組織であることに変わりはなく、事務職員に与える影響力は軽視できるものではない。そうしたことから、主に「共同実施」反対を訴えて、昨年に続き情宣を行った。

 今年は天候に恵まれ、参加者にどんどんビラが吸い込まれる。東京の「共同実施」の実態についてマイクでアピールし、横断幕にも注目が集まる。用意した400枚のビラは中途で残らずなくなった。来年はさらなる枚数を準備して、望んでいきたい。

インクルーシブ教育に関する
  文科省の回答への批判と私達の課題

 全学労連は、文科省に対してインクルーシブ教育に関する質問書(2014.6.30付)を提出し、回答を得た(2014.7.30)。以下、質問の要旨及び回答について報告する。併せて文科省の回答への批判と私たちの課題について書き留めておきたいと思う。

≪質問の要旨と文科省の回答≫

質問の要旨文科省の回答
(1) 別学分離教育をインクルーシブ教育に転換していくために、すべての子どもの学籍を校区(居住区)の普通学級に置くことを原則とし、例外的に本人(と保護者)が希望する場合特別支援学級或は特別支援学校に就学するという法制度が必要だと考える。このことについての文科省の見解及び今後の具体的対処を示してほしい。  すべての子どもの学籍を校区(居住区)の普通学級に置くというのは、現段階では、本人・保護者への強制になるのではないか。実質的には本人・保護者と市町村教委が十分話し合って、就労も視野に入れた就学先を決定していくというのが妥当であると考える。その際、障害者権利条約のインクルーシブ教育の理念及び改正された障害者基本法にある「可能な限り共に」、「可能な限り本人・保護者の希望に沿う」という観点が基本となる。
(2) 就学先の最終的な決定は、教育委員会ではなく本人(と保護者)に委ねられるべきである。このことについて文科省の考えを明らかにしてほしい。 (1)で述べたことを前提にして、受け入れていく学校の状況を踏まえた決定をしていきたい。
(3) インクルーシブ教育を実現していくためには少人数学級政策を実行していく必要がある。当面35人以下学級を全学年に拡大し、併せて障害を持った子どもたちが普通学級で学ぶための「合理的配慮」を担保する教職員配置の客観的基準が必要である。このことについて法令改正を含めどのように対処していこうと考えているか明らかにしてほしい。 2013年9月の学校教育法施行令の改正通知に基づき、教員の加配及び支援員の配置を行っていきたい。「合理的配慮」にかんしては「インクルーシブ教育システム構築支援機構」で様々な実践例をデータベース化し、学校現場で生かしてもらう試みを始めている。

※上記の回答に対して、全学労連としては以下のように要望した。

 2013.10.4付の「障害のある児童生徒等に対する早期からの一貫した支援について(通知)」をみると、「地域の学校で共に学ぶ」ことを考えつかない本人・保護者に仕立て上げていく仕組みが作られていることを危惧する。その点を意識したインクルーシブ教育への取り組みを進めてほしい。

≪文科省の回答に対する批判と私たちの課題≫

(1)すべての子どもの学籍を校区(居住区)の普通学級に置くことの意味

 2014年1月、日本政府は障害者権利条約を批准した。その障害者権利条約の教育条項(第24条)においては、障害のある人が、生活する地域社会においてインクルーシブ教育を受けられ、フルインクルージョンという目標に即して支援措置がとられるという原則が述べられている。この原則からすれば、「就学基準に該当する障害のある子どもは特別支援学校に、原則就学するという従来の就学先決定の仕組みを改め、障害の状態、本人の教育的ニーズ、本人・保護者の意見、教育学、医学、心理学等専門的見地からの意見、学校や地域の状況等を踏まえた総合的な観点から就学先を決定する仕組みとする」(「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」2012年7月〜以下「報告」)という立場は、条約の基本理念を曖昧にした極めて不十分なものと言わざるを得ない。障害者権利条約の基本理念からすれば、障害の有無にかかわらずすべての子どもは校区(居住地域)の普通学級に就学する権利があるという原則がまず、確認されなければならない。この原則に照らせば、すべての子どもの学籍は校区(居住区)の普通学級に置くということは当然のことである。「本人・保護者への強制になる」(文科省回答)というもっともらしい理由をこじつけ「総合的な観点から就学先を決定」(「報告」)するとしたことは権利としてではなく条件付きでインクルーシブ教育を認める(恩恵として与える)ということだ。これは、インクルーシブ教育に転換していく起点、言い換えれば経験の積み重ねによってしか生まれないインクルーシブ教育の出発を促す土台をつくらなかったということにほかならない。

(2)就学先決定の主体とインクルーシブ教育への道筋

 「報告」に基づいて「(就学先は)最終的には市町村教育委員会が決定する」(「学校教育法施行令の一部改正について(通知)」2013年9月〜以下「改正令通知」)とされた。これはしかし、権利としてのインクルーシブ教育という考え方からすれば就学先決定の主体は、あくまで子ども(とその保護者)であるという当然の原則を逸脱するものであり、厳しく批判されなければならない。養護学校義務制度化以後別学分離教育の体制は既に35年を経過している(その新たな段階として2007年度から特別支援教育が導入された)。鈴木文治さんは、「特別支援教育は子どもたちを結果的に特別支援学級や特別支援学校に追いやっているのではないか」と述べている(鈴木『排除する学校−特別支援学校の児童生徒の急増が意味するもの』2010年4月明石書店刊)。別学分離教育を当たり前のこととして教育を受けてきた人たちが自分たちの子どもを就学させる世代になっている。保護者自身もまた早期からの振り分けシステムのなかで地域の普通学級ではなく特別支援学校(学級)を希望していく(させられていく)厳しい現実がよこたわっている。その意味では別学分離教育をインクルーシブ教育に転換しインクルーシブな社会を実現していく道筋は大きな困難を孕んでいる。当事者の意思や選択を大切にしつつ時間をかけて人々の合意を形成していく必要がある。そのためには、すべての子どもの学籍を校区(居住区)の普通学級に置くことを起点としつつ、例外的に、本人(と保護者)が希望する場合、特別支援学級或は特別支援学校に就学するという、原則とその原則を実現していく過程における例外をともに認めていく原則統合への転換が是非とも必要だ。このことと最終的な就学先の決定を本人(と保護者)とすることは密接不可分なことだと言わねばならない。

(3)少人数学級とインクルーシブ教育

 2015年度予算編成に向けた動きのなかで財務省(財政審)は「(いじめなどの減少につながっていないなど)35人学級の成果が見られないので40人学級に戻せ」と主張した。一方で全国学力学習状況調査等に見られるようにいじめを必然化するような競争主義教育を徹底しながら、他方で別学分離教育を継続強化していこうとしているこの国の能力主義に貫かれた教育の在り方・構造自体が問われなければならない。障害を持った子どもたちが普通学級で学ぶための「合理的配慮」(障害者権利条約)を担保する教職員配置の客観的基準を考えていくうえで少人数学級政策を推進していく根拠を問い直すことがまず必要なのだと思う。財務省(財政審)の皮相な成果主義をその核心において批判することが重要だ(それは私たち労働者自身の強いられている状況への批判とまっすぐにつながっている)。非正規雇用を前提とせざるを得ないような教員の加配や支援員の配置ではなく少人数学級を基本とした正規雇用教職員の充実こそが多様性を保障したインクルーシブ教育を可能にしていくと考える。

≪終わりに≫

 戦後、「能力」を社会的にどう位置づけるかという議論を棚上げしたまま「経済成長」政策と結びついた能力主義教育が推し進められてきた。その結果が「個人モデル」の特別支援教育だったのではないだろうか。だとすれば、文科省の別学分離教育への反省と特別支援教育の問い直しを欠いた「インクルーシブ教育システム」は、ますます別学分離教育を強化していく危険性が大きいといわねばならない。「インクルージョン」を教育技術としてだけ受け止めていく発想は乗り越えられねばならない。「インクルージョン」とは様々の不平等や差別とたたかい、差別のない社会の実現をめざすひとつの社会思想、人権思想の現代的ありようを示す、社会や制度の変革を目的とする思想のひとつなのだと思う。このような視点に立って初めて私たちは私たち自身のそして他の被差別の人々のかかえている問題に少し敏感に反応することができるのではないか。

育児・介護を理由とする時差勤務、4月から導入

 1月9日、都教委は教育関係組合に対して2015年4月より育児・介護を理由とする時差勤務の導入を提案した。国は2005年から7:00〜22:00の範囲で時差勤務を既に導入しており、翌2006年には子は小学生まで拡大している。地方自治体においても例えば栃木県日光市は始業を7:30、8:30、9:30、10:30、11:30と5パターン設定している。

 東京都は都庁では時差勤務が行われていたが、都教委管轄では初めての導入となる。そもそも労働者の生活事情に合わせた勤務時間の多様性が認められることそのものはよいことだと私たちは考える。

 しかし、今回の都教委の提案内容はあまりにもお粗末であるとしか言いようがない。その内容を以下に紹介する。

 

 まず対象職員を教育職員とそれ以外に分けて、教育職員は正規の勤務時間から±30分が基本。±60分については学校単位での選択となる。つまり、A学校の正規の勤務時間が8:30開始だとすると7:30、8:00、9:00かまたは8:00、9:00、9:30の2パターンのうちどちらかの選択となる。±60分を例外的適用ととらえて+か−のいずれかを学校単位で選択させる極めて狭いものと言わざるをえない。

 非教育職員は基本が±60分となり例外が±30分と逆転した構造となる。


○モデル勤務時間 8:30〜17:00

@教育職員Aパターン 7:30〜16:00 8:00〜16:30 9:00〜17:30
 Bパターン 8:00〜16:30 9:00〜17:30 9:30〜18:00
A非教育職員Aパターン 7:30〜16:00 8:00〜16:30 9:30〜18:00
 Bパターン 7:30〜16:00 9:00〜17:30 9:30〜18:00

 非教育職員の方が振り幅が大きいことになる。教育職員については授業等への配慮という意味から振り幅を小さくしたのだろうが、この程度の差に意味があるのだろうか。私たちとしては、選択の多様性の確保という観点から職種に関わらず7:30、8:00、9:00、9:30の4パターンを自由に選択できるよう対置要求した。しかし残念ながら私たちの要求は受け入れられなかった。制度的改善を今後とも追求していきたい。

 なお、育児は小学生までだが、学童クラブ等の施設にその子を送迎することを条件としている。介護は配偶者又は2親等以内の親族で疾病、負傷又は老齢により2週間以上にわたり、日常生活を営むことに支障があるものを介護するという条件がある。さらなる条件緩和を追求していきたい。

(学校事務ユニオン東京 JIM-UNION No.246号より)



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