2015年10月4日

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全学労連ニュース今号の内容

 「法案」通るも実態化を許すな!  8.30総がかり行動参加記

 第44回 全国学校事務労働者交流集会(全交流・福島)開催

 OPスタディツアー参加記  “原発被害は進行中”の現実があった

「法案」通るも実態化を許すな!

8.30総がかり行動参加記

 8月30日(日)、国会議事堂周辺で開催された「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8.30国会10万人・全国100万人大行動」に参加しました。全学労連からも、十数人が参加しましたが、福島から駆けつけた福事労組合員にその様子を報告していただきました。


 国会正門前の10車線道路が占拠された。

 8月30日1時45分、国会正門前歩道や公園にいた12万人の人々が車道に溢れてきた。これまでよりはるかに多くの人々が、安倍政権の戦争法案に反対し、強行採決を許さない行動に集まり始めていた。これまで行動は、国会を取り巻く歩道で行われていたが、8月30日、とうとう警察の規制線が決壊し、幅50メートルの車道が人々で埋め尽くされたのだ。子や孫が、友人の子や孫が、戦争で、殺し、殺されないために、ずっと闘います。(福事労・菅原 孝)


 戦後70年間戦争をしなかった日本が、自衛隊を海外へ派兵し、再び戦争ができる国になるかどうか、今私たちは、歴史の大きな分岐点に立っているといえます。

 そんな中で開催された今回の国会前行動は、12万人が集まっただけではなく、労働組合や政党等に動員されたこれまでの男性中心の運動ではなく、市民が自発的に参加し、女性や若者が目立つ新しい運動が始まったことを感じさせる感動的な行動でした。学生のラプ調のリズムでのかけ声に希望が見えました。(福事労・阿部靖彦)


 国会議事堂正門前の人達は、極々普通の人達にみえた。穏やかに 静かに 普通に暮らしたい人達。非暴力を貫き平和的にという開催趣旨に呼応した集会だった。脳裏にある安保闘争デモとは全く異なる風景。が、怒りは数に現われていた。「あの時反対したよ」と何年か後に言えるよう、雨の中私も声を出し続けた。私たち一人一人が主権者だから。(福事労・穴澤明子)


 もの凄い数の人々である。「廃案、廃案、安倍はやめろ、やめろ」のテンポの早い掛声が轟音のように国会議事堂を揺るがす。若者や家族連れが目立ち、戦争に繋がる法制には絶対反対と、多くの人が立ち上がっている。廃案になるまで諦めないぞという決意を新たにした。(福事労・長谷川百合子)

第44回 全国学校事務労働者交流集会(全交流・福島)開催

 今年の全交流・福島集会は、8月1日〜2日「いわき市 新舞子ハイツ」にて開催された。津波被害の復興途中、傍ではまだ作業車が行き交い、浜では防潮堤の建設が行なわれている中、「政令市費化」や「共同実施」「チーム学校」など学校事務の諸課題について議論した。一日目は福事労主体の交流集会で、二日目は全学労連加盟団体からのレポート報告・討論という全交流が行なわれた。また、恒例の夜の部「懇親会」、閉会後の講演会「原発震災から5年目の福島」、東電福島第一原発地域へのスタディツアーもあり、充実したものとなった。

 議長の基調報告の中では、「国会周辺の動きから読み取れること」から「学校事務の『共同実施』」、「給与費の政令市費化」と「評価制度強化と分限処分」、それらがどのような関連性をもっているのかという点が話された。個別報告では神奈川の分限処分撤回委闘争の現段階や、沖縄基地問題、大阪都構想の顛末、さらにレポート発表として東京の学校事務「共同実施」の課題が語られた

 学校事務労働者の権利・労働条件、教職員給与費の政令市費化問題、これからの運動課題、などが討論され、充実した交流集会となった。

 詳しくは、別添の「夏の記録」をご覧ください。

レポート・資料集の申し込み

  • 連絡事項:名前・送付先・電話番号・「全交流資料希望」
  • 代金;1,000円(2冊め以降は1冊500円 送料共)
    • 郵便振替;『全学労連』00160-6-34582
    • ファックス; 045-434-2114(全学労連事務所)
    • ・・・・支払いは後日送付の郵便振替用紙にて

OPスタディツアー参加記

“原発被害は進行中”の現実があった

 今夏の全交流開催地・福島を訪れる意義は、「3.11」後の一端を直に見とどけることである。

 見えたものは一部に過ぎないそれでも見えたことは貴重なものだった。これまでとは違う思いで福島の人々のために何が出来るかを考えていきたい。

その1:津波被害の傷あとも

 交流会の会場はいわき市の海岸沿いにある新舞子浜ハイツ。今はそれを感じさせないほど回復したが、津波は一階の天井部分まで押しよせたとのこと。

 その会場では、マスコミではあまり目にしない津波被害の状況を知ることができた。テーブルには写真集や資料が数多く展示され、また、開会前や休憩時間のDVD上映もあり、リアルに事実を理解できた。

 また、二日目の開会前の早朝には、車に乗り合わせて、10分ほどの所にある豊間町の海岸へ。そこは塩屋崎灯台=美空ひばりのヒット曲ゆかりの地((歌の記念碑もあった)。今交流会に参加していた方もここで被災されたという。津波に見舞われた鉄筋建ての中学校は解体されていた。同時に、更地の中のあちこちでは“復興住宅”などの建設が進みつつある。海岸線は海が見えないほどの高さの堤防が造られていく。

その2:今を知る人が語る真実

 交流会終了後に現地の復興に精力を傾ける市会議員から現地の事情などの話を聞き、より理解が深まった。講演を通して、政府―当該の町が帰還宣言をするが“復興”をアッピールしたい思惑が透けて見えた。帰還宣言をした楢葉町への帰還は、彼の予言どおり町民の一割に留まっているとのことである。

その3:目で見た原発被害

 この目玉は“弾丸ツアー”。最近解禁された福島第一原発所在町内の高速道路を走り通過する体験であった。起点は普通に生活している所にあるいわき市北部の四ツ倉PA。そこでの放射線量は0.1マイクロシーベルトと、さほど問題はないされる値。出発して15分ほどの双葉町の山間部は5.1マイクロシーベルトが表示され(写真1)一瞬緊張が走った。(なるほど、これでは「バイク走行は不可、車外に出ること不可」とされるのは当たり前だ。周りを見渡すと、草地や田んぼの空間には除染作業で出た廃棄物が詰められた黒い袋(フレコンパック)が山積みになっていた。(写真2)

 帰路は一般道路で。津波被害の地区は家や庭は放置状態、帰還不可の地区は家並みが整っているが宅地は進入禁止用のフェンスが設置されている。

 無人の街中を走ると作業服の人が動く。(写真3)一瞬ビックリしたがすぐに除染作業だと了解できた。  (神奈川・山田)



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