2016年9月10日

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全学労連ニュース今号の内容

 第45回 全国学校事務労働者交流集会(全交流・沖縄)開催  仲間を踏み台にささやかな出世など望まず、当局が用意した組織にありもしない幻想を見ることなく…

 【全交流沖縄】共通番号問題  学校の中で事務職員としてこの問題に関わってどうだったのか、これからどうなのか

 【全交流沖縄】政令市費化問題  若年層ほど不利益に・・・不安な将来

 【全交流沖縄】人事評価問題  法律で決められて、ヒラメ職員を量産し、賃金カットを恣意的に行い、免職のツールにもなってしまう…

 【全交流沖縄】辺野古・高江行動  辺野古新基地建設・高江ヘリパッド建設強行を許さない!  現地に行かなければわからないことがある

 【全交流沖縄】集会宣言

 分限免職処分の不当性明らかに!  横浜新人学校事務職員免職処分取り消し裁判 証人尋問行われる

第45回 全国学校事務労働者交流集会(全交流・沖縄)開催

仲間を踏み台にささやかな出世など望まず、当局が用意した組織にありもしない幻想を見ることなく…

 7月30日、沖縄県、那覇市において全国学校事務労働者交流集会が開催された。沖縄での開催は2006年以来ちょうど10年ぶりとなった。辺野古に普天間飛行場の代替基地を2014年までに建設することで日米両政府が合意した年であった。

 冒頭の議長挨拶では、全国の注目が集まる沖縄の地に立つことが出来たことへの感謝を表明し、熱い議論と、基地建設反対行動への参加を期待することを表明して集会は始まった。

 次に全学労組から連帯の挨拶があった。挨拶の中で、大阪では給与削減が続いた結果、教員志望者が減り指導力の低下が懸念されていること、実態とかけ離れた英語教育の押しつけや、定員割れの高校を一方的に廃校にしようとしていることなど『維新』の政策によって現場が混乱していることが紹介された。

 続いて特別報告として、沖縄から新基地建設反対行動について、福島からは原発事故を受けてからの児童生徒数から見た学校現場の様子、神奈川からは学校事務職員の分限免職闘争について報告があった。沖縄の報告の後には議長から、翌日の新基地反対行動は時間に制約があり十分な行動が出来ない事から、現地で長期間のたたかいを強いられている仲間へカンパを届けようという提案がされ、参加者全員の賛成のもと、カンパが行われた。

 開会行事終了後、交流会に入り『個人番号問題』『政令市費化問題と共同実施』『人事評価制度』と3つのテーマでレポート発表と意見交換が行われた。どのテーマも私たちの働き方を大きく変えてしまう問題であり、また、目の前に迫っている緊急の課題であったこともあり活発な議論がされた。

 閉会行事では活発な総括討論が行われた。3つのレポートとそれに関わる、学校事務職員としての問題が山積みとなっていること、全国の現場に混乱が持ち込まれていることが感じられた。

 また、議長からの行動提起がなされ、このたたかいが秋の中央行動へ続いていくことが確認された。

 最後に沖縄の仲間の熱い想いが詰め込まれた集会宣言が満場一致で採択され、この日の交流会は大成功に終わった。

 今回は例年と日程を変更し、翌31日は辺野古と高江へ移動しての米軍基地建設反対行動に取り組んだ。『現地』にやってきたからこそ取り組める、全学労連らしい行動である。

 2日間にわたり、沖縄だから出来る交流会と行動を盛り込んだ全交流・沖縄は無事に終了した。

【全交流沖縄】共通番号問題

学校の中で事務職員としてこの問題に関わってどうだったのか、これからどうなのか

 今年の1月から共通番号(マイナンバー)制度が始まった。学校事務職員は所得税・社会保険の事務をその業務としていることから、番号に係る業務は避けられない状況だ。

 ここでは、番号の問題一般ではなくて「学校の中で事務職員としてこの問題に関わってどうだったのか、これからどうなのか」を議論することを目的としてこのパートは設定された。

 共通番号のポイントは次の点にある。

  1.  番号の提供は強制されるのか。番号法そのものには「ねばならない」規定はない。個別法の所得税法や国税通則法にあるのみ。この「ねばならない」にどれほどの強制性があるのかはいまだ確立していない。
  2.  情報連携は大丈夫なのか。これまでは番号を介して我々の情報がまとめられることはなかったが、これからは番号を介していろいろな情報を連携させていくことで、番号で、所得から健康情報から資産やらの機微情報を簡単に集めることができる。こういう仕組みがこの番号制度の肝だ。ただ、この情報連携(データマッチング)は憲法違反じゃないか、という問題もある。
  3.  とめどもない拡大。今のところ税と社会保障、そして災害対策の3領域でしか使わないことになっているが、保険証や国家公務員の職員証として使うことが閣議決定されている。さらに、2020年の東京オリンピックでさまざまな入場規制に使われ、カードを見せることによって「あなたは大丈夫」という使われ方も想定されている。こういう社会の在り方は本当にいいのか。

 学校事務における問題は、私たち学校事務職員が教職員に対して、収集者として立ち振るまう位置に置かれてしまったことの意味だ。番号を一括して集めるのか、それとも目的別に集めるのか。県費負担教職員制度の下では、所得税等、番号を必要とするのは都道府県だが、実際に集めるのは市町村で、異なる自治体間で番号を融通するのは許されるのか。集めた番号をいかにして安全に運ぶのか。集めた番号をいかにして保管するのか。こういうことが問われている。

 一方、本質的には、「やつらは、国民総背番号制を50年かけてやってきた」1970年代の反対運動があっても、やつらはあきらめずに、50年かけてじわじわ続けてきた。それを止める我々の運動の側が止めきれなかった。それを総括してから、今回の話をしていかないと、どうしても、個人情報がどうだとか、担当者がどうだとか、末端の問題に終始してしまって、本来の共通番号が持っている危険性のところまで議論が及ばない。という問題があることを反芻していかなくてはならない。

【全交流沖縄】政令市費化問題

若年層ほど不利益に・・・不安な将来

 政令市費化のレポートも3年目になり、移管まで8か月となった。

 全学労連は以下3つの理由で政令市費化に反対し、国と政令市との合意撤回を求めている。

  1.  義務教育における教育の機会均等を崩壊させ、地域間格差を広げる
  2.  各自治体で、外注化・アウトソーシングなど「教育の民営化」を加速させる
  3.  私たち学校事務職員は全市的合理化の対象になり、一般行政職との任用一本化や定数削減、「共同実施」による非正規化で学校事務職員制度は崩壊する

 横浜、川崎、相模原、名古屋、大阪(20市の内これだけだが)、各市の状況が見えてきた。教員については、現在の教育職給料表をそのまま市に持ってくるという形で一定の現状維持だが、事務職と栄養職については、ほとんどの市で、市行政職(一)給料表などへ移行する中で給与格付け・賃金水準の引き下げが起きてしまう。

 神奈川県のある市で試算した人がいた。特に採用から年数があまり経っていない30歳くらいの人が市に移行すると、多い人は月に18,000円、年間にすると30万円近くの減額で、生涯給与と退職金を考えると数百万〜1千万の不利益になるという

 政令市費化にならなければこれだけ違うというのは、たいへんな問題だ。

 今までは、不透明な実態はあったものの県の5級6級まで行けたが、政令市では市3級や4級止まりを提示されている。

 学校事務職員制度も来年は維持されたものの、きわめて不安定な深刻な状況だ。

 「チーム学校」が暗い影をおとしている。「教員の多忙化」を解消するため、今まで教員や管理職がやっていた業務を事務職員に押し付ける。事務職員は(給料は上がらないが)○×△×事務長などと名前が変わり仕事が増える。その業務を事務の「共同実施」でやらせ、非正規化を増やす合理化そのものだ。

 政令市移管を機に、学校事務職員制度を残したければ「職の拡大」が条件だとばかりに業務を押し付けてくるのは、一切、許さない。

 今、国はこのような情勢下で、学校事務職員の「共同実施」や「職務標準」の法制化を画策しているが、絶対に阻止しなくてはいけない。

 まだこれからも残された課題がある。「人事・給与システム」「庶務事務システム」など業務問題がある。ここで情報交換が大切だ。情報共有をして、より良いものにしてゆくしかない。

 学校事務の臨時的任用や再任用の労働条件確保にも取り組まなくてはいけない。神戸市で作られた「臨時的任用学校事務職員の勤務条件(案)」を使って交渉できる。

 政令市費化は少数でそれぞれの当局と交渉しなくてはいけない厳しい闘いだ。だからこそ、みんなの力が必要で情報共有が大切だ。

 当局の攻撃を遅らせているだけかもしれない。だが、コツコツやることの意義は大きい。ここに全学労連の役割を見出している。

【全交流沖縄】人事評価問題

法律で決められて、ヒラメ職員を量産し、 賃金カットを恣意的に行い、免職のツールにもなってしまう…

 地公法「改正」により、この4月からの評価を来年の給与に反映させるということが法律上決まった。学校事務業務を管理職がわかっているのか、正しい評価ができるのか疑問だ。

 業務の適正化「タスクフォース」。法制化されるとそれにしばられ、仕事しずらくなる。人事評価は、地教委・県教委・文科省が定めたことを遂行していく教職員を学校現場で作っていく。賃金抑制を恣意的に行うことが可能になる。免職のツールとしても使われてしまう。神奈川Sさんのように。

 埼玉では、総合評価の他に「チームワーク行動評価」が加わった。文科省が「チーム学校」と言い始めた直後に。総合評価とチームワーク評価を組み合わせて「貢献度」(ポイント)をもらえる。たまったポイントが上から30%になったら4号給昇給ところ5号給になる(その原資は55才以上昇給停止、年齢経年特昇廃止からもってくる)。勤勉手当も0.75月分以上から0.6月分になる。(県教委の計算だと、年収31.8万円の差になる)

福島:詳しく決まってないが、組合内でアンケートをした(「お茶入れが高評価か」の項目がある・・・ぜひ結果を知りたい)。

東京:10年連続6号昇給ずっと続いている主幹教諭がいる。主任教諭にならないと800万年収いかない。「私の給与ってこれだから働かない」・・・殺伐な現場になる。私の給与は非常に低い。任用一本化され、学校事務の給与ではない。だから賃金問題は組合の課題にしてない。他県と感覚がちょっと違う。

大阪(全学労組):1年間働いてきて「B!」なんやばかばかしい。若い先生は学年の先生に相談しないで、管理職に相談しに行く。あんた誰と仕事しているんか・・・。効果があがってるとは思えない。

大阪:数年前に昇給に反映させることはやめた。やる気をなくさせると・・・。

【全交流沖縄】辺野古・高江行動

辺野古新基地建設・高江ヘリパッド建設強行を許さない!

現地に行かなければわからないことがある

 今年の全交流は辺野古・高江闘争への参加・支援という意味も含めて沖縄で開催された。日本の米軍基地の74%が集中する沖縄。日本の民主主義の未来はこの沖縄の状況をどう解決していくのかにかかっていると言っても過言ではない。

 10年前に全交流が沖縄で開催されたとき、辺野古のテントを訪れた。その時の海と浜の美しさはいまだに私の脳裏から消えていくことがない。こんな場所に基地を作ろうとしている人間の愚かさを嘆いた記憶も消えていない。しかし残念ながら今回訪れるまで再訪することができなかった自分が恥ずかしい。

 全交流の全行程は8月30日で終了し、翌31日は沖学労が準備してくれたバスに乗り込み、午前中高江、午後は辺野古を訪れた。

 高江は那覇からバスで3時間かかる自然の宝庫だ。米軍北部訓練場の約半分を返還することから「負担軽減につながる」として日米政府がヘリパッド移設計画に合意。しかし移設先の東村高江の140人の村民には直前にしか伝えられず、現在でも村民は強く反対している。特にオスプレイも運用され、単なる移設ではなく新たな高機能の設備となる。

 参議院選挙が終わってすぐの7月11日に政府は中断していた移設作業を2年ぶりに突如再開した。あまりの政治的対応にはあきれるほかない。私たちの訪れた31日は日曜日で工事車両の搬入はなかった。反対派のテントの中で状況説明を受け、あたりを見て回った。最も驚いたのは、全国から警備に来ている警察の多さだ。カマボコは「練馬区」「多摩」などの警視庁からのもあった。その他気付いただけで愛知県警、福岡県警など若い機動隊員が駆り出されていた。

 最後にシュプレヒコールを警察部隊に突き付けた。私は特に「警視庁は東京に帰れ」と叫び、心底警視庁が高江の村民と支援者を弾圧していることを悲しく思った。

 その後、辺野古へ。3月に代執行訴訟の「和解」により工事は中断され、緊張感は少し緩和されていたが、全国から支援者がひっきりなしにテントを訪れていた。幸いなことに全学労連からも各単組が決意表明も含めて集会で発言もできた。その後浜のテントまで行き、防波堤の先まで一人で行ってみたが、辺野古近辺の自然の雄大さには圧倒されるばかりだった。こんなところに基地を建設したらそのしっぺ返しは安倍首相の生きている時代には現れないが、おそらくその後を沖縄で生きる人々に取り返しのつかないダメージをもたらすこととなるのだろう。その想像力の欠如を私たちは決して許してはならない。

 本部に泊まった全学労連の有志は翌日6時出発で再び高江に向かった。8月1日は月曜日で工事車両の搬入が8時から10時にかけて行われる。工事車両を少しでも止めようと前に出て妨害しようとしてもすぐに大量の機動隊員が排除にかかる。隙を見て若い女性が道路に寝転んだが、瞬時に手足を持たれて排除された。私も大量の機動隊員に胸を押されて埋め込んでいる心電計の部分が痛んだ。悔しかった。その後テントとゲート前を往復するたびに2人の機動隊員に付きまとわれた。「この自然を破壊する行為に加担して恥ずかしくないのか」と問いながら歩いた。返答はなかった。

 その後テントに入って集会に参加したが、スコールのような豪雨に見舞われた。山の天気は不安定だ。集会継続はままならず、その場を撤収した。

 今回高江・辺野古現地にいられた時間は多くはなかった。それでも現地に行かないとわからない現地の空気を肌で感じ、反対の想いを強くした。次回行けるときは是非とも高江の村民の方のお話も聞いてみたいものだ。幸いなことに全学労連は沖縄・福島など震災や基地問題などを抱えた県に組合を持つ。沖学労・福事労には常にその地の状況報告をしてもらい、できれば訪れ現地の闘いに合流する機会も持っていけたらと思う。

 最後にはなるが、こんなに素敵な全交流を準備してくれた沖学労の皆さん、言葉にはできない感謝の想いをこの紙面を借りて伝えたい。「にふぇーでーびる」

宮崎俊郎(学校事務ユニオン東京)

集会宣言

 「皆さんは戦争に行きたかったのですか」「澤山の若い人々は戦争で死んで行きますが、これ等の若い人々なくして、皆さんはこれからどうして暮らして行きますか」「此の戦争は皆さん方の戦争ですか、それとも皆さん方を何十年も治めてきた内地人の戦争と思いますか」これらは、沖縄戦当時米軍が撒いた「住民はこの戦争に対してどんな義務がありますか」と題するビラの文言だ。

 もちろんこれは、日本政府が沖縄県民を日本人に同化させることに成功しながらも、一段下の民族と位置づけていたことに対する倫理的批判を目的とするものではない。沖縄県民が置かれた状況を県民の投降を促すために利用し日本と沖縄の分断を図り、占領後の統治に役立てるためのものだ。

 この宣伝策は当時目立った効果をあげなかったが、日本と沖縄の亀裂は68年後に安倍政府主催による「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」として表面化する。この式典は、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を敗戦による米国の占領から脱し国の主権を取り戻した日として祝うものであった。

 講和条約の第三条は、沖縄、奄美、小笠原諸島を切り捨て米国の支配下に置くのだと言っている。さらにこの講和条約と同時に日本にある駐留米軍基地の排他的管理権を米国に与える日米安全保障条約が発効している。これにより沖縄が日本復帰するまでの27年の間、日本国憲法が適用されない県民の人権は蔑ろにされ、本土の米軍基地の多くが復帰直前に駆け込むように当時日本でなかった沖縄に移設された。沖縄県民にとって4月28日は、主権が奪われた「屈辱の日」でしかない。

 在日米軍基地の存在を根拠とする日本が得た「安全」と軍事基地を押しつけられた沖縄が被る「犠牲」の間にある亀裂から様々なものが現れる。少女の涙や死、先祖から引き継いだ土地を奪われる苦しみだ。自らが住む島を遠い地に住む人々に「悪魔の島」と呼ばれる不名誉も。

今年7月の参議院選挙は自民党が大勝する結果となり、憲法改「正」発議に必要な議員数を得た。安倍首相が望む「戦後レジュームからの脱却」戦前の政治体制への回帰実現の階段をひとつ登ってしまった。だからこそ今、戦中に播かれたビラが図らずも教えてくれる言葉「私は戦争を望まない。私は若い人々に戦争で死んでもらいたくない。この戦争は私の戦争ではない。私のことは私が決める」を胸に刻み抗い続けていこう。

 明るい展望を描き難いことでは、今、学校事務職員が置かれている状況も同じだ。

 たちの悪い雇用主がする雇い替えのように待遇を悪くされることを甘んじて受け入れよと言われる政令市費化。人員削減、閉塞感からの脱出や上昇志向の道具として利用される共同実施。公平、公正な評価など端から望むべくもない業績評価。校長の権限強化を前提に進む教職員の労働強化のお手伝いを事務職員が行うチーム学校など課題は山積みだ。

 それでも私たちは、仲間を踏み台にささやかな出世を望むことなどせず、当局が用意した組織にありもしない幻想を見ることなく、仲間の悩みを共有し共に解決の道を探す同志であり続けよう。

2016年7月30日   第45回 全国学校事務労働者交流集会 

【レポート・資料集の申し込み】

*連絡事項:名前・送付先住所・電話番号・「全交流資料希望」

*代金;1,000 円(2冊め以降は1 冊500 円送料共)

 ・郵便振替;『全学労連』00160-6-34582

 ・ファックス; 045-434-2114(全学労連事務所)

 ・メール(gakurou2006@yahoo.co.jp

 (fax/mail)・・・支払いは後日送付の郵便振替用紙にて

分限免職処分の不当性明らかに!

横浜新人学校事務職員免職処分取り消し裁判 証人尋問行われる

学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)

3年間の裁判闘争最大の山場

 Sさんが2012年4月に横浜市の学校事務職員として採用され、6カ月間の条件附き採用期間を延長された挙句、2013年3月に分限免職処分を受け解雇されてから3年余りが過ぎた。単数職場に配置した新採用者を、やれ仕事が遅い、間違いが多い、能力に問題があると責め立て、退職強要を行った上で首を切った異例の事件だ。同年9月に提訴し、まる3年間に亙り10数回の口頭弁論を重ねてきた裁判の最大の山場である証人尋問が、8月23日、30日横浜地裁で行われた。

 これまでの裁判でも毎回支援者で傍聴席が埋められてきたが、今回は両日ともさらに多くの傍聴者が駆け付け、裁判所職員が法廷前の廊下にカラーコーンを並べて順番待ちの整列。別の裁判関係者が「何か大きな事件みたいだね」とささやきあっている。48の傍聴席は溢れ、支援の皆さんには途中傍聴の交代をお願いすることに。23日は被告(横浜市)側3名の証人尋問が行われた。

不明朗な条件附き採用期間延長の経緯
Sさん処分に深く関わった当時の東部学校育事務所教職員係長

@ Sさんへの退職手当支給通知書の日付(処分の前日になっている)、職名(「教諭」に)が誤っていて後日差し替えた事実。人ひとりの首を切るのになんという杜撰なやり方。しかもSさんの「能力不足」の具体例に「誤字脱字が多い」ことをあげているのだからまるでマンガ!

A 校長が作成する新採用者の勤務状況報告書提出期限が8月13日になっていたのに、提出日は8月28日だった。同日付で条件附き採用期間延長理由書が提出されている。勤務状況報告書提出の際に条件附き採用期間延長方針が決まっていたことになる。このことは、一旦校長が提出した勤務状況報告書が正式採用OKの内容になっていたのに、条件附き採用期間延長のため、市教委とすり合わせて書き直したことを疑わせるのに十分だ。この点については裁判官も関心をもち質したが、曖昧な答えしかできなかった。

B 同じ8月13日提出期限の人事評価「観察指導記録」は何故か期限通りに提出されている。

C Sさんの条件附き採用期間延長を市教委のどの部署、誰が言い出したのか、「覚えていない」という。繰り返すが、人ひとりの首を切ることにつながる重要な判断なのだが。

D 処分理由ではSさんが採用された当初から就学援助事務に問題があったとされているが、具体的には7月の第1回認定の際不備で戻された申請書の扱いが適切でないとされたこと。十把一絡げ、何が何でも終始一貫Sさんが仕事ができなかった、と強弁する当局の姿勢は随所に。

E 校長が意見具申してSさんを複数配置校に異動させる話があったが、市教委は制度上できないとした。2014年度からは新採用学校事務職員は原則複数配置校に配属されるよう人事異動要綱が変更されている。証人も複数配置校配属にOJT効果があることを認めた。

F 2012年度新採用教員の中にもSさん同様の低い評価を受けた者が20名いたが、分限免職処分を受けた人はいなかった(自己都合退職者はあった)ことを、証人は「知らない」。

G 過去就学援助申請書を放置した事例や、予算執行率が著しく低い事例があるが、Sさん処分の際にはこうした事例と比較考量はしていない。

H 処分説明書に書かれている時間外勤務手当の「不正受給」(組合との交渉で事実無根であることが確認されている)は、懲戒処分基準では「戒告ないし減給」となっているが、この基準と照らし合わせることはしていない。

学校事務についてしどろもどろ・・・
Sさん配属校の当時の校長

@ 総じて校長の学校事務の内容についての無知・無理解が明らかになった。Sさんの落ち度とされた手当認定漏れ(独立行政法人からの帰任者と前年度から引き続き任用された臨時的任用職員の分。神奈川では臨任職員について同一校継続任用でも諸手当の認定をやり直さなければならない)や、校長専決権を超える金額の分割発注について、新採のSさんに助言指導するどころか、全く眼中になくSさん任せにしていた。予算事務処理について質問の意味が分らず、見かねた裁判官から説明されても、「専門的なことはよく分かりません」、とうなだれる。

A 当初条件附き採用期間に係る勤務状況報告書の2週間の提出遅れについては「多忙で期限を失念していた」、条件附き採用期間延長理由書は誰の指示で書いたのかも「分らない」、観察指導記録が期限通りに提出されているのは「主に副校長が記載するものだから」。

「支援」の実態について・・・
Sさんの「支援」に深く関わった当時の学事支援第二係長

 Sさんを分限免職処分に追い込んだ経過には2人の元学校事務職員が大きく関わっている。この係長と課員のA(この4月に学校現場に戻った)である。一時期仕事が停滞したSさん「支援」の名目でSさんの職場に入り込み、現場実態に即さない「適切な事務処理」を指示してSさんを翻弄した挙句、途中からは「支援」どころか退職強要を行い、免職処分のお膳立てに走った。

@ Sさん担当の支援員が説明なく5月以降支援に訪れなかったことについて、Sさんから要請がなかったからとした(支援要請は校長が行うもの)。実際はSさんが電話しても出なかったり、多忙を理由に切り、その後連絡もしてこなかった(本人尋問)。

A Sさんより回数多く支援員の訪問があった他の新採用者のケースは、校長が派遣要請したから。この新採用者は正式採用されている。

B 8月以降入れ代わり立ち代わり支援員をSさんの職場に派遣したり、年末の繁忙期に無意味な諸手当についての職員アンケートを取らせたのは課員Aであった。

C 東部学校育事務所教職員係長の陳述では、条件附き採用期間延長について8月に学事支援課から話があった、とされているが、延長を決めたのはどこの誰か「分らない」。

D 複数配置校への異動話について、学事支援課としてはそうした策もありと思う、と語った。

学校現場の実態と不適切な「支援」内容明らかに

 30日は原告側証人NさんとSさん本人尋問が行われた。Nさんは元学校事務職員で支援員もやっていた、2年前市教委により辞令1本で無理やり学校現場から引きはがされ、南部学校教育事務所に配置換えさせられた。当時Sさんの支援にも1度参加している。

 Nさんは自身の体験をもとに、学校現場では決まり通りの事務処理は極めて困難であることを丁寧に説明し、被告側が言う「不適切な事務処理」は大半の学校で日常的に行われている、これで処分されるなら殆どの事務職員が処分対象になるだろう、Sさん支援に行く際課員AからSさんは「仕事が遅い、できない、放っておくと電車に飛び込みかねない」と言われたが、実際に支援して意欲も感じられたし、他の支援員も「初任者としてはこんなものだろう」と言っていた、Aの指示した処理方法やアンケートは全く無意味である、と。被告側代理人の「予算関係事務処理は1日当たりにしたら1〜2件、適切に処理できるのではないか?」との質問に対しては、「事務職員の仕事は予算ばかりではない。そのような言い方は事務職員に対して無礼だ。」と気色ばむ場面もあった。

 本人尋問にSさんは終始落ち着いて答え、被告側代理人の追及にも臆さず、一所懸命仕事に励んでいたこと、初任者として至らなかった点は反省し、現場復帰したら経験を生かしてしっかり仕事をしたい旨淡々と語った。

 23日は閉廷後支援の皆さんと共に市教委への抗議のデモンストレーションと裁判勝利決起集会を行い、30日は街頭宣伝と報告集会を行った。最終弁論は12月15日。是非注目してください。



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