2018年2月24日

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全学労連ニュース今号の内容

 来年度予算案の教職員定数  学校現場を救わない「働き方改革」  我々が求めているのは大幅な人員増と業務の軽減だ

 学校における働き方改革  「定数増より業務改善を」の欺瞞とタイムカードの問題

 ナニガナンダカワカラナイ  バーチャルな存在の「共同学校事務室」  「つかさどる」ってバージョンアップするんだってさ・・・

来年度予算案の教職員定数

学校現場を救わない「働き方改革」

我々が求めているのは大幅な人員増と業務の軽減だ

 何のための予算か?

 「学校における働き方改革」の議論が中教審で進められている。現在国会で審議されている来年度予算案にどのように反映されているのか見てみよう。

 右に文科省の来年度予算資料の中から教職員定数に関する部分を示した。冒頭の「新学習指導要領の円滑な実施と学校における働き方改革のための指導・運営体制の構築」とは大仰な表現であるが、学校の多忙化が解消して健康でゆとりを持って働けるようになるならばとりあえず良しとしよう。

 それに続く枠で囲われた部分、判りづらい文章であるが、「新学習指導要領」「学校における働き方改革」「指導・運営体制の強化・充実」「チーム学校」等のメニューを実施したり、目指したり、図ったり、実現したりするらしい。個々のメニューの内容もよく判らないが、それぞれの関連も不明なので並列的に並べられるとより混乱する。結果、内容が明確な「新学習指導要領の実施」と並んで、文科省が言うと胡散臭く感じてしまう「指導・運営体制の強化」への強い決意が前面に出てくる。こうなるともう「円滑な」とか「効果的な」とかの修飾語はどうでもよくなる。早い話、ノルマは増やされ管理は強化される。学校現場の喫緊の課題であるべき負担軽減・多忙化解消は、遥か彼方の夢の世界へ遠ざかる。

 目的が目的だけに手段がどうあれ期待はできないが、それでも気を取り直して、その後に続いて「教職員定数の改善、専門スタッフや外部人材の配置拡充、業務の適正化などを一体的に推進」と言っているので、もう少し中身に踏み込んでみる。

 減少分の内訳は?

 教職員定数の改善数は1,595人の増。だが自然減等△4,456人があり、改善があっても教職員数が増えているわけではない。これはここ数年同じである。△4,456人の内訳は文科省の資料にはないが、財務省の資料によると、少子化の進展による自然減(△3,000 人)学校統廃合の更なる進展による定数減(△1,050 人)少子化等に伴う既存定数の見直し(△406 人)である。文科省は昨年8月末の概算要求では自然減(△3,000 人)しか計上していないが、予算編成過程で(おそらく財務省の査定により) △4,000人台にまでされている。これもここ数年同じだ。そのせいかどうかわからないが、文科省の資料には減少分の内訳は載らない。単に財務省が減らすのが好きだから詳しく載せているだけかもしれないが…。

「改善」数へのコメント

 改善の内訳と総数は資料にあるとおりだが、何点かコメントしておく、

@ 学校事務職員の扱い

 文科省資料だと「学校運営体制の強化」の中の「共同学校事務体制の強化」で40人加配となっており、昨年「つかさどる」と職務の位置付けが変わって「新たな役割」が与えられたと期待しそうだが、昨年度と今年度の予算上はそれぞれ50人ずつの追加加配でありそれよりも減らされている。また次のページの表にあるように、事務職員加配は概算要求の10%しか予算案に計上されていない。更に財務省資料によると、「学校事務職員・養護教諭・栄養教諭の充実 60人」とあり、文科省資料では別項目の扱いであった護教諭・栄養教諭と一緒にまとめられている。

 こうしたことを冷静に考えると、自称「期待」や「新たな役割」は、あまり予算に反映されているわけではなく、過度な期待に煽られるべきではない。

A 「改善」数は増えたが…

 来年度の教職員定数の改善数は1,595人。この数を最近の予算上の改善数と比較してみる。2015年度900人、2016年度525人、2017年度868人であることからすると来年度は大幅に改善数が増えているということになる。やはり国を挙げての「働き方改革」の影響で学校の定数改善が進むのか?と思いたいところだが、1,595人の内訳をもう少し分析する必要がある。

 定数改善の項目ごとの人数を概算要求の人数と比較して予算化率を計算してみたのが次の表である。

項  目(予算案の表記による) 概算要求 予算案 予算化率
@新学習指導要領の円滑な実施と学校における働き方改革 3200人 1090人 34.10%
 ◇学校における指導体制の効果的な強化・充実

・ 小学校英語教育の早期化・教科化に伴う、一定の英語力を有し、質の高い英語教育を行う専科指導教員の充実

2200人 1000人 45.50%

・ 中学校における生徒指導体制の強化に必要な教員の充実

500人 50人 10.00%
 ◇学校総務・財務業務の軽減による学校運営体制の強化

・ 共同学校事務体制の強化(事務職員)

400人 40人 10.00%

・ 主幹教諭の配置充実による学校マネジメント機能強化

100人 0人 0%
A複雑化・困難化する教育課題への対応関連【再掲を除く】 600人 505人 84.20%

・ 教育課題への対応のための基礎定数化

385人 385人 100.00%

・ いじめ・不登校等の未然防止・早期対応等の強化【再掲】

(500人) (50人) (10.0%)

・ 貧困等に起因する学力課題の解消

100人 50人 50.00%

・ 「チーム学校」の実現に向けた学校の指導体制の基盤整備(養護教諭、栄養教諭等)

40人 20人 50.00%

・ 統合校・小規模校への支援

75人 50人 66.70%
合  計【再掲を除く】 3800人 1595人 42.00%

 「教育課題への対応のための基礎定数化 385人」が予算化率100%であるのは当然である。客観的な数字に基づき配置されることが法的に定められた基礎定数がそれだけ安定した制度であることは、全学労連がかねてより指摘していたとおりである。だが改善数を大幅に増やしているのはこれではなく、「小学校英語教育の早期化・教科化に伴う、一定の英語力を有し、質の高い英語教育を行う専科指導教員の充実 1,000人」である。

 概算要求の段階から他の項目と桁違いであり、予算案でも改善数全体の2/3に近い数となっている。何年か前のアクティブラーニングに関する定数改善は惨敗しているのに、なぜか?といえば、冒頭の話に戻るが、小学校の英語教育を含む「新学習指導要領の実施」に文科省が並々ならぬ決意を示し、財務省もそれを追認したということだろう。

学校現場を救わない「学校における働き方改革」

 予算案では「定数の改善」のほかに「専門スタッフや外部人材の配置拡充」、「業務の適正化」も「一体的に推進」と言っている。詳しくは資料を参照してほしいが、その額はあまりに少なくとても学校現場の問題の解消を期待できるものではない。それどころか「外部人材の導入」は、非正規職員の増加により新たな雇用問題を引き起こし、「業務の適正化」は新たな多忙化と管理強化を招きかねない。

 文科省は、仕事を増やすが人も金も増やさずという方針で一貫しているようだ。そもそも「働き方改革」という言い方自体が、働いている側に責任を押し付ける言い方で、働かせている側に責任は無く反省もしないぞという姿勢が鮮明である。

 我々が求めるものは、学校現場の大幅な人員増と業務の軽減である。



学校における働き方改革

「定数増より業務改善を」の欺瞞とタイムカードの問題

「学校における働き方改革」をめぐっては、昨年12月に中教審より「中間まとめ」が発表され、文科省はそれを受け「緊急対策」を大臣決定した。その概要と批判は前号のとおりだが、その後の動きとしては2月9日、文科事務次官名で都道府県・指定都市教育長宛に「学校における働き方改革に関する緊急対策の策定並びに学校における業務改善及び勤務時間管理等に係る取組の徹底について」が通知された。内容は基本的に「中間まとめ」や「緊急対策」と同様で、それに沿った取り組みを教育委員会並びに現場レベルで実施するよう求めるものとなっている。


 今回は、前号で触れられなかったふたつのポイントについて述べたい。

 まずひとつは、≪業務の改善・精選の努力をせずに「定数増を」というのは通用しない≫という意見が、ここにきて徐々に、だが声高に唱えられてきていることだ。中教審の特別部会においても、ある時期からしきりにこの点を訴える委員が現れている。

 この見解にもっとも賛意を示すのは財務省であろう。もっといえば、そもそもの発信源はそこなのではとも疑われる。その疑念はともかく、全学労連が12月に行なった要請行動でも財務省の担当者は同様の趣旨のことを述べており、定数増を避けたい財務省の立場に合致した見解であることは間違いないだろう。

 そして、この見解はそれ単独で見れば確かに一理あろう。「学校の仕事が多過ぎる」「業務自体の精選を」「なくせる仕事はなくそう」という素朴な方向性について、私たちも否定しない。それを通して、現定数で十分まかなえる程度まで業務量を減らせるというのなら、定数増も必要なくなるかもしれない。

 しかし、ものには経緯というものがあるのであって、この素朴な見解はそれを無視した欺瞞にほかならない。

 業務改善・精選による課題解決を実現するにあたっては、そもそもなぜ学校が、学校職員がこんなに多忙になってしまったのかという、過去から現在にわたる原因究明を行い、要因をひとつひとつ取り除いていく必要がある。それを誰が責任をもって実行していくのか、いけるのか。その答えは示されていない。

 学校の多忙の原因は、多分に政治と行政の責任が大きい。学校現場の業務執行を顧みない文教政策や教育行政という政策的な面から、事実に反する学校批判・教員批判・公務員批判で人気取りを図る政治家や首長のあり方といった面まで、それらが総合的に学校をすりつぶしてきた。

 これが変わらなければ、よしんば多少の業務改善・精選が進んだとしても効果は限定的であろうし、その効果さえ数年ののちには元の木阿弥に帰することだろう。


 もうひとつ。学校職員の長時間労働解消に向けた方策として、タイムカードの導入が挙げられている。

 労働者の労働時間を適正に管理・記録することは使用者の責務であることは、言うに及ばない。しかし、だからタイムカードなのだというのは強引な論理だ。

 そもそも一般に、労働時間の管理・記録はそれ自体が長時間労働を抑制するものではない。実際に抑制する機能は、時間外割増賃金の支払いを義務付けた労働基準法37条がそれを担っている。長時間労働を抑制し、労働者の命と健康と生活を守るために時間外割増賃金の規定があり、それを適正に支払う上での必要から労働時間の管理・記録が必要なのだ。

 ところが、教員については給特法の定めにより労基法37条は適用除外とされている。割増はおろか超過勤務分の賃金さえ支払われていない。長時間労働抑制のための、基本的な枠組みから外されてしまっているのだ。学校においてタイムカードの導入がこれまで進まなかったのも、この点が要因にあろう。必要のないところに手段は付いてこないという、当たり前の話だ。

 長時間労働を抑制する機能は、あれこれと考えるまでもなく労基法にしかと定められている。であれば、今からでもこれを適用するのが当たり前の考えだと思うのだが、中教審・文科省の論議はそうではない。≪時間外手当の支給はともかく、労働時間の管理・記録により長時間労働を抑制する≫という、改善策とそのための手段をあべこべにした考え方がここまで進められている。

 手段に過ぎないタイムカード導入は、長時間労働を規制する役割は果たし得ない。≪長時間労働の実態が可視化されることで改善が進む≫とはいかにも官僚が言い出しそうなことであるが、長時間労働の可視化は既に調査により明らかになっており、だからこそ解消が必要だというのが「学校における働き方改革」の出発点のはず。話が矛盾する。必要なのは、可視化された後にいかに抑制の機能を働かせるかという点である。

 その上で、ちょっとした交通渋滞や列車遅延、家庭や健康上の事情等により1分2分始業に遅れた程度であっても、機械的に「遅刻」と断じるのがタイムカードである。タイムカードは本質的に、超過勤務は規制しないが、時間内へのわずかな食い込みも容認しない。労働時間の記録は必要であるにせよ、その手段がタイムカードでいいのか、新たな管理強化の導入なのではないかという点は慎重に考えられるべきではないか。


 労基法が想定している職場は、時間外労働があれば時間外割増賃金が発生し、使用者はその支払い負担を抑制するため個々の労働者の業務負担を精選し、時間内に業務が終了する職場環境を確保する、という構造だ。無反省な「業務改善・業務精選」の大号令とタイムカード導入程度で、長時間労働解消が実現できるとは思えない。



(「WEB愛学労20180218」より転載)

ナニガナンダカワカラナイ

バーチャルな存在の「共同学校事務室」
「つかさどる」ってバージョンアップするんだってさ・・・

 2017年4月1日より施行された「共同学校事務室」、事務職員の「つかさどる」規定だが、1年を経過しようとするこの時期に、ジワジワと影響が出てきつつある。

 県教委は、12月にはこれまで行われてきた「学校事務の共同実施」を「共同学校事務室」にすること求める通知を、1月には「校務運営参画の推進」を進めるための通知を市町村教育委員会に発した。

 6級昇格のための「共同実施」

 もともと愛知県は共同実施については、事務職員の年齢構成や役職の構成など様々な課題があるとして、「冷たい」反応のところだった。

 しかし、給与構造改革や給与の総合的見直しを経る中で「一職一級」が徹底され、昇格に関する様々な運用が剥奪されてきた。特に6級昇格について、これまで事務長昇任後、5級に2年在給した後に6級昇格していたところ、市町村立学校事務職員は各学校一人の単数配置であることから2011年以降は昇格の道が閉ざされていた。そこで編み出されたのが「ブロック事務組織(共同処理組織)の事務ブロック長の職務」だ。

ア 担当する職員の指導育成を行うこと

イ 担当する職員の事務の割り振り、胆務に関する事務を処理すること

ウ 担当する職員の事務の繁閑を平準化し、効率的な業務運営を図ること

エ 担当する職員間の協力を促し、連携を図るため、ミーティングを定期的に実施し、職員間の情報共有に努めること

 市町村が共同実施組織を作り、その共同実施のグループリーダーが上記の「ア〜エ」の職務を担っていることが書類上分かれば6級昇格。・・・ということで2014年共同実施組織が愛知県下ほとんどの市町村で行われることになった(その区域内に小学校・中学校1校ずつという小さな自治体には作られなかった)。

 いいように(県に)使われるブロックリーダー

 このように共同実施は6級昇格のためのもので、その設置や運営はあくまで市町村が行うべきもの、県は関わらない、ということになっていた。ただ、共同実施を行うことによって諸手当認定事務や給与・旅費支給が適切に行われることを期待する、というスタンスだった(はず)。

 もっとも、現場(事務所)段階では、設置者である市町村の意向とはかかわりなく、様々な調査ものの取りまとめをブロックリーダーにさせたり、事務説明を全体会ではなく、ブロックリーダー会でお茶を濁したりと(県が持っていた)趣旨から逸脱した「共同実施組織の乱用」もあった。

 共同学校事務室法が施行されて以降、愛知県はこういう「いい加減な」共同実施でも「共同学校事務室」の名称で呼んでもいいのかを文科省に問い合わせ、OKの回答を得て、共同学校事務室通知に至った。もっとも、愛知県ではハード面での「事務室」のある学校はごく少数で、この「共同学校事務室」も名称だけ。実際に部屋がどこかにあるわけではないバーチャルな存在だ。

 6級昇格、確かに昇格メリットがあるし、退職手当の調整額もそれなりにあるが、厄介な仕事を押し付けられ、教員室の片隅でその厄介な仕事をしなければならない、さほどのインセンティブがあるとも思えない。

 愛知県の事務職員は昔から主事でも「つかさどって」きた

 学校教育法上の事務職員の職務規定が2017年4月より「従事する」から「つかさどる」に改定された。いろいろなところでその意義を説明されるのだが、よく分からない。要するに、「チーム学校」とか「学校における働き方改革」で事務職員にこれまで教員が担ってきた業務のいくつかを肩代わりさせるための方便ではないのか。

 しかし、愛知県では学校教育法の職務規定が「従事する」だったころから、その職務(もっともベースとなる主事の)は「つかさどる」だった。学校教育法とはかかわりなく「つかさどる」だったのであり、何を今さらと思うのだが。

 このことに関する組合の質問に対して、県教委は「これまでは『仕事を自らの責任に基づいて処理する』という意味合いで使ってきたが、これに加えて『校務運営参画を含める』ということになる。文科省の通知により、意味合いが被さったというように理解してほしい」と説明。

 何をさせようというのか

 通知文の「校務運営参画」の具体は次のようになっている。


学校事務職員の校務運営への参画の推進について

1 学校事務職員の強み

〇 学校における唯一の行政職であり、総務、財務事務や法規に関する知識が豊富であること。

〇 業務を通じて学校内外の様々な情報が集まりやすい立場にあること。

〇 学校全体を俯瞰的に見ることができ、公平な判断をし得る立場にあること。

〇 授業がある教員よりも、勤務時間中に学校内外の連絡調整や交渉役を担うことができること。

〇 他校の事務職員などとの横のつながりが豊富であること。

2 学校事務職員の強みを生かし、校務運営への参画を進めるための取組例

@ 学校事務職員に関する職務規定や職務権限等の整理

A 事務の共同実施など学校事務の組織体制の充実

B 学校事務の諸活動に対する管理職の理解・支援の促進

C 学校事務の諸活動、教員の教育活動に対する事務職員と教員の相互理解の促進

D 教員が担当している既存の分掌事務のうち、事務職員が担ったほうが効果的である事務の移譲

E 校内の諸会議への出席による事務職員の意見聴取及び校内の情報共有

F 起案等校内の意思決定過程における学校事務職員の関与

G 管理職等が行う校内巡回への同行

H 学校事務に関する諸活動の学校内外への情報発信

I 予算の編成や執行に関する教員との連携

J 学校行事への事務職員の関与・参加

K 保護者や地域との連携事業への事務職員の関与・参加


(上記「2具体例」の丸付き数字は記事の都合で組合がつけたもの。原本は「○」で表示されている)

 「1強み」に係れていることは一般的に語ることができることなのか。一つ目の○は、学校事務職員のあるべき姿を示しているのか、現状認識を示しているのか。二つ目以降の○は、事務職員ばかりでなく(よりは)校長・教頭・教務主任・校務主任にも当てはまることではないのか。「強み」にあげられていることは、一般的に語られることではなく、市町村によって、学校種別によって、個々の学校によって、また、事務職員の経験年数によって、千差万別なことだ。

 「2取り組み例」の@〜Cについては市町村教委が不断に考えるべきこと。職場での具体例はD以降のことになるが、そのうちのいくつか(EFIJ)はすでに日常的に行っていることで、それらが「(校務運営参画という)意味合いが被さった」というほどのものでもない。一方、Dのような「教員の仕事の押し付け」まがいのことや、Gのような管理職の校内巡回に付き従わせて何をさせたいの?、Kのような「保護者や地域との連携事業」のようにウィングを広げすぎることが学校の多忙化を招いているのではないか、というような「余計なお世話」な項目もある。

 各項目の出典はどこなのかという組合の質問に対して、県教委は「文科省の通知が出典ではない。他県の取り組みを参考にしている。学校事務職員の職務内容は都道府県によってそれほど変わるものではない」と。

実情を検討することのない「つかさどる」って軽くなったものだ

 事務職員の仕事は、職場によっても、市町村によっても、都道府県によっても異なる。それは、ハード面としての事務室があるのか否か、校務主任という他県にはない教員もいる。一般的には「学校事務職員の職務内容は都道府県によってそれほど変わるものではない」かもしれないが、他県とは大きく異なることがある以上、安易な横引きは無責任としか言いようがない。

校務主任
1967年に設置された教員の職制。当時は事務職員は全校配置されていなかったので、庶務・経理・管財といった業務は校務主任の業務とされていた(ようだ)。1974年に事務職員が全校配置されたが、その前年の1973年に「(事務職員の)職の設置の基準」が県教委から出され「校務主任の職務と事務職員の職務とが競合しているとの声もあるが・・・校務分掌を定める場合は7・・・校務主任と事務職員の相互の機能分担が明確となるよう配慮すべき」とされた。その後半世紀が過ぎてある学校の学校運営機構(校務分掌)をみると、帳簿・備品・防災設備・校舎施設・営繕・学年会計・学校会計・・・は校務部に位置づけられている。

 もっとも、このような組合の指摘に対して「組合が言うように『強み』となる事柄は、市町村によって、学校種別によって、事務職員の経験によって異なることはその通り。したがって、通知にある事柄のすべてをやれというものではない。文科省が『かぶせたもの』を個々の実情に応じて主体的にやっていくきっかけになればいいというのが県教委の立場。教育事務所にもそのように通知してほしいということは言っている」と市町村に丸投げ。

 「2取組例」のうちのいくつかは、最近の「学校における働き方改革」で取り上げられているもののように見受けられる。しかし、12月26日の緊急対策で文科省は「学校や教師・事務職員等の標準職務を明確化し,各教育委員会の学校管理規則に適切に位置づけられるようモデル案を作成し,提示」と、今後行うこととして掲げている。このような中でのこの通知は「先走り」というだけではなく、的を外した余計な価値観を与えるものでしかない。

 一体、何をしたいのか、させたいのか、訳が分からない。



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