沖縄島、普天間基地に食い込むように建てられた佐喜真美術館に丸木夫妻の描いた「沖縄戦の図」がある。1945年4月、読谷村に上陸した米軍に追いやられ逃げ込んだガマの中で起こった、住民たちの「集団自決」の様子が描かれている。絵の中の「自決」した者には眼が無く、生き残った者にはうつろながらも眼が描かれている。その違いはなんだろう。

 明治以降に発明された日本という国家、日本人という民族が、成立するためには、同じ言葉を話し、同じ過去の記憶を持ち、同じ伝統のうえに育まれた文化を生きるという一体感が必要とされた。最後尾で日本に取り込まれた沖縄人は、それまでの独特な言語、文化、伝統を捨て去り日本へ同化することがより強く求められた。

 戦前、戦後沖縄の学校でなされた「方言札」による標準語励行教育。自らの言葉、文化の破棄は、27年間の米軍による占領、在日米軍基地の過重な負担と同様に、日本から沖縄に求められた同化のための必須粂件だった。

 ひと足先に、日本人になっていたヤマトの人も、戦後沖縄に生まれ育った沖縄の人も日本人でなければ生き辛い世の中で、日本人になることを選ばされ、日本人になったあとには、そのことそのものを忘れてしまっている。

 米軍再編、国民投票法、教育基本法改悪、共謀罪新設、これらに共通するのは、国にとって都合の良い国民を作り出すということだ。国家による教育の統制の手綱を残した義務教育費国庫負担制度の決着のあり方、職種内に分断と差別を呼び込む共同実施、物言わぬ労働者を作り出す一連の給与構造改革、業績評価制度の導入。すべては、私たちの眼に見えないところにいる誰かが求める日本人になるために。

 眼を無くすということは、自前の想像力を無くすということだ。考えることをやめ、自らの生死を他人がきめたルールにまかせるということ。そんな生き方はイヤだ。そう思う着たちが今ここに集っている。ひとりの労働者としての生き方を追い求め、仲間と手をつなぎ、自らの眼で見て、自らの頭で考える人として。その意気を語り合い、結んだ絆を確かめよう。ずっとむこうの南方の亜熱帯の赤道直下のあの近所の地から。

 

2006年7月30日

第35回全国学校事務労働者交流集会参加者一同


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