2008年9月8日

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全学労連ニュース今号の内容

 08.7.24全学労連文科省交渉報告 

 第37回全国学校事務労働者交流集会

 原則主義者だった岡村達雄さんの死を悼む

 

08.7.24全学労連文科省交渉報告

 7月24日、全学労連は5月12日提出の要望書(本誌No.306参照)をもとに交渉を行った。交渉当日は限られた時間のため、全ての項目で細かく詰められないのだが、その時の重点項目の回答をまず報告する。

1.B標準法を遵守し学校事務職員に欠員を生じさせないよう各都道府県教育委員会を指導すること。

・事務職に限らず定数を埋めるように今後も各県に伝えていく。

1.D「学校事務・業務の共同実施」を推進しないこと。又、学校事務職員の兼務発令を出させないこと。

・現在、教員負担の軽減が大きな目的になっている。学校の事務の効率化が求められている中、文科省から各県教委、そして学校への調査数を減らすなど適切な態勢が取れるよう文科省も努力はしている。

1.E「事務の共同実施」に関する調査研究を行わないこと。又、2006〜2007年度の「研究内容」及びその結果を明らかにすること。

・公表の予定はない。が、各県・自治体には紹介したい。教員の負担軽減、事務職員の事務効率化など、教員の事務を減らすことで子どもと向き合う時間の拡充を目指し、大事なポイントを押さえ対応していく。

2.@加配方式による定数改善をやめ、学級数や児童生徒数(要保護・準要保護数を含む)を基準とした抜本的な定数改善を行うこと。@)30人学級を実現すること。A)事務職員については複数配置基準の引き下げによる改善を行うこと。

・加配は、「複数配置基準の引き下げ」が明確でないと、財政がつかない。また、学級・児童数による加配だと、少子化により定数が減っていくことが予測されている。財務省からは「加配方式をやめて児童生徒数による配置を・・・」といわれている。

・30人学級や少人数指導へという意見もあるが、費用対効果から、個に応じた指導と少人数がどの程度ならばという具体的な数字が見えていない。

 

このほか、事前の折衝では以下のような回答を得ている。

 

1.C政令指定都市への教職員給与負担移管及び市区町村への人事権の移譲問題では・・・「『県費負担教職員の人事権等の在り方に関する協議会』が、'08.4.16に発足した。検討はまだこれからである。」との回答であった。

2.AB)これ以上の臨時教員(非正規雇用)を導入しないこと。又、学校給食等の現業や外国人講師などを含む非正規雇用職員の労働条件を改善する要望では、「学校現場に限られた問題ではなく文科省が所管することではない。地方公務員全体に関わる問題であり、まずは総務省がやることだと考えている。いずれにしても各市町村が、中・長期的視野にたって任用していることであり、文科省がとやかく言えることではない。」文科省の当事者性を回避しようとする発言に終始しており、極めて問題だ。教育振興基本計画についても何ら具体的な予算の裏付けを得られない中で、またまた「非常勤講師の増員でしのぎ・・・」(新聞資料)といった方向性が出されている。有益無害としかいいようのない政策を総花的に打ち上げ、現場の労働者の負担増を招くという文科省の手法のお粗末さを厳しく追及していく必要がある。特に、加配方式については財務省にすら批判されていることをどう考えているのか問い質していかなければならない。

 

3.のうち「全国学力・学習状況調査」については、「当面今後も毎年実施する。『障害』児を排除するものであってはいけない。足立区のようなことは不適切」といった発言に終始した。なお、8.に掲げた特別支援教育支援体制と学力テストとの関係(いずれも2007年度からスタート)を問うたところ、「全く別のことだという認識だ」と回答。引き続き批判していく。教職員の階層化政策については、主幹教諭の配置から、様々な臨時労働者を雇用していくことの全体が問題であることを指摘。

 

4.@休憩室については「多忙化」を言うなら少しでも条件整備をと要求したが「’07年度に改定された指針に休憩室が入っていないが当分はこのままだ」との回答。

 

7.@根津さんの処分については以下のような説明であった。「処分については文科省でどうこういうことではない。ただ基本的な立場としては『立たない、歌わない』のは、刑事上の責任を問われるということではないにしても職務命令違反である。生徒が立たないのは生徒の思想の自由であり、処分はできない(指導はするとしても)。東京のように停職にするかどうかは各教委の問題だ。又、神奈川の高校で不起立者の氏名を収集したことについては、職務命令違反の不起立を校長・教育委員会が把握することは何ら問題ないと考えている。」およそ基本的見解が違うとしか言いようがないと伝えた。

 

7.B「『愛国心』の押しつけをさらに強めるという認識はない。指導するのだから当然歌えるように指導するということで、それをはっきり書いただけだ。改正教基法に則ってやっている。」新しい学習指導要領告示に至る経過については「中教審の答申とパブリックコメントを踏まえた文科省の判断・決定である。」

 

 これらを踏まえて、回答の後のやりとりを報告する。全):全学労連 文):文科省

全)概算要求から残った「主幹教諭」の配置状況は・・・

文)職の設置が12都府県。その他の県も順次導入されていく方向だと考えている。7000人の外部人材の活用も申請が7000人程度挙がってきている。予算の配分はしているが、各県の給与制度が間に合っていないので、そこが整備されれば来年はもっと増えるであろう。現在、申請があった県には要望通りに配分している。年度途中であっても配分はする。

全)学校現場では非常勤や講師が圧倒的に増えてきているが・・・

文)現在、大量退職をむかえている中で、大量採用をしないという、いわゆる「買い控え」を各県はしているのではないかと思われる。

全)その臨時的任用や講師の労働条件や年収が各県バラバラである。

文)県が状況を見て、教育の質の観点からも考えていってもらいたい。

全)学校統合については・・・

文)検討委員会が設置されている。内容は小規模化しすぎ、通学距離の問題、教員配置の問題など様々であるが、望ましい教育とはといった中味で議論していきたい。

全)「事務長制」については・・・

文)中教審答申を受けて検討中であるが、文科省内部でも慎重論があり、まだ先が見えていない。

 

 その他、「神奈川では2000人の欠員が生じている。これは加配による定数改善がネックになっている。加配による配置で、いつ定数が切られるか分からない不安定な状況が非正規雇用の増大や大量欠員を生んでいる」と伝えた。また、「総額裁量制によって教員数は増加、事務職員数は減少という状況が全国で見られている。そんな中、秋田の共同実施では多数の教員業務の下請けを少ない事務職員が行っている。個別に職種ごとの標準定数法を守らせる歯止めがほしい。」など、文科省施策により学校現場が混乱し、様々な問題が起こっていることを指摘した。

 文科省からは「市区町村費の職員がいると聞いているが・・・」という質問があった。引き上げやパート化で多くの自治体には県費以外の事務職員がいない状況も知らないことが明らかになった。

 学校現場の状況を見ずに、一部の財界人や学者を集めて、審議会やら検討委員会などででてきた意見を鵜呑みにし、アドバルーンを上げる文科省。「詰め込み」だの「ゆとり」だのと振り回され、学校組織、学校職員はバラバラになっていくかもしれない。現在の病休者や休職者の増加は、個人の資質の問題だけではないはずだ。

 全学労連は、学校事務、さらには学校を取り巻く様々な問題に全力で取り組んでいく。

 

第37回全国学校事務労働者交流集会

 7月20〜21日の2日間、福島県猪苗代町で開催された今集会は、教育の「民営化」や行政合理化の進行、公務員給与の構造改革など、学校で働く者に対する逆風が吹く状況を受けて、今後に立ち向かう姿勢を考えるための意見交換が、熱く和やかに繰り広げられた。

一日目・全体会

 初めに、全学労連からの基調報告を受け5本のレポートによる報告・問題提起がなされ、若干の質疑と意見交換が行われた。

基調報告【新自由主義幻想を突破する 労働組合の存在意義】

《学校・教育「民営化」のキーワード》

〈効率化〉

 経済成長の終焉とそれから始まった新自由主義政策は、「才能を発揮した者、努力した者は、そうしなかった者より、得るものが多い」の掛け声で、「結果は自己責任」と格差拡大を当然視してきた。その結果、世界中で格差が拡大し、貧困の相続が続いた。そして今や、それが社会問題の根底にあることが明白になった。

 新自由主義の理論は、「市場がなければ創ってしまえ。」だから、教育だってどしどし民営化にして、様々な手法が試されてきた。そのとき使われるのが「効率化」ということば。学校事務職員の世界では大流行の言葉で、「共同実施で効率化な業務を」「教員の事務軽減のために効率的な学校事務を」などなど。

 民営化とは、「その事業から利益を上げる」、「利益を上げる体制にする」ということだから「効率化」とは同じことを意味する。当面公教育の一挙の民営化は進まないであろう。しかし、その思想は現場を当たり前の顔をして浸食してくる。そのひとつ「学校規模適正化」が財務省を中心に声高になってきた。公教育で最も多額の経費は人件費。その人件費の節約に最も寄与するのが、学校統合である。学校振興基本計画の結末は、統合圧力を強めるはずである。学校事務の「共同実施」がもたらす効率化も、勿論この人件費抑制である。ほとんど学校一人の事務職員、標準定数法割れが常態になっている今、更なる人件費抑制力は非正規雇用学校事務職員の拡大につながるだろう。

〈評価(出来高)〉

 もうひとつ、「評価」を考える。

 「評価」とは、「同じ労働時間で、出来高(成果)が多いか少ないか、調べる」ということだろう。だから出来高に関係しない金持ちは、評価が存在しない。しかし、多くの働くものは評価にすがりつく。

 学校事務職員にとっては、教員中心主義の学校で、「評価の外」に放置され続けていたから、一部の「評価されたい事務職員」は、評価制度を自らの野心に結びつくものとして歓迎している。ここに省令「事務長」が登場してきた。全学労連事務局の折衝で、文科省担当者は「年度内に文科省令に事務長を入れたい」と発言した。全事研・日教組事務職員部の悲願「事務長」を文科省が認めようというのだ。

 しかし、どんな言い訳しても、現在予想される「事務長」は、多くの仲間を犠牲にすることを前提にする。それぞれの学校で、全事務職員が「事務長」という名前になるならいざ知らず、一部のものだけが「事務長」になるのだろう。そのためには個々の事務職員を「評価」して、「順番」をつける必要がある。ところが、学校事務はそれぞれの学校で、特色ある学校事務をやっているわけだから、原理的に事務職員間に順番をつけることができない。となると、順番をつけられる場所が必要となる。それが「共同実施」の登場の真相なのだ。

《新自由主義を突破する労働運動》

 6月福事労定期大会で、「福事労効果」を話題に、組合員に話し合ってもらった。その中で幾人かが「弱い私がここまで働いてこられたのは、福事労のおかげ」「職場で一人。孤独だったが、福事労に出会って、居場所を見つけられた。」などの発言があった。この言葉には、「福事労、やっててよかった。」がある。

 労働組合の存在意義はここにある。新自由主義の幻想「公平なルール(競争」と「自己責任(責任を負わされる強い個人の想定)を強要される労働者が、押しつぶす力に抵抗できる場所が労働組合だ。圧倒的な強権と支配的な思想を前に、弱いと自覚せざるを得ない労働者が、生き延びるために必要であり、その効果を発揮できるのが労働組合であることを再確認しよう。

 学校事務職員の当面の課題も、新自由主義との対決の場面になる。「学校適正規模」と「共同実施」は「効率化」を掲げて、人件費抑制に拍車をかける。働く場所が奪われることや非正規労働者の導入につながる。「評価制度」や「事務長」と「共同実施」は、学校事務職員間の格差拡大、大半の労働者の賃金抑制に働く。このような場面で、大半の学校事務を働く労働者にとって、「安心して長く働き続ける」ことが奪われることになる。私たちは、「勝ち組」にならない、なれない人々の居場所としての労働組合を維持していこう。

特別報告:福事労
【福島の学校統廃合の現状とこれからの福事労運動】

1 福島の統廃合の今

(1)消えた学校

 福島県内において、2000年度以降これまでに消えた学校が小中学校併せて50校以上ある。児童生徒数減少による統廃合が原因であり、大部分は3学級未満の小規模校で、事務職員定数上は30人減にとどまっている。しかし、福島県における小中学校の3分の2は小規模校のため、今後も児童生徒数が減少し続ければ統廃合も加速していくことが予想される。

(2)市町村合併の余波

 2005年度以降は、市町村合併に伴う統廃合も進んできている。県内の市町村は98から60まで減っている。合併前にはその地区にある小中学校は小さくてもなくしてはいけないという考えが多くの地域住民の意識としてあったが、合併により意識が薄まり、子どものためには統廃合も仕方ないという雰囲気が広がりつつあるように感じる。

 自治体も厳しい財政状況を背景に維持管理費用削減のため、統廃合を進めてきており、今後も予定している学校は50校程度ある。また、統廃合していない市では小中一貫校として統廃合が進められている事例もある。

(3)事務職員配置への影響

 学校数の減少は当然、我々事務職員の配置にも影響してくる。既に県内の会津地区では地区内過員で他地区への異動をさせられており、今後数年も統廃合によりその状況が続く。これまでの転出者数は一昨年4人、昨年は5人いる。仮に統廃合が終わったとしても、地区内過員が解決できなければ調整のためこの扱いは続けられることが予想できる。当初は若い人や独身者をと考えていたようだが、昨年は地区外経験のない人も動かしてきている。結果、遠い人では70qを高速通勤しているという事例もある。県教委はその場しのぎの対応を繰り返すばかりで抜本的な対策を示せないままとなっている。

 また、今後一番統廃合が進むことが予想される田村(県中)地区では、2000年に50校あった学校数を半分程度まで減らす方向で検討が進められており、県内全体ではなく市町村合併をした特定の地域において著しいものがあり、人事異動への影響は今後続く。

(4)市町村合併や学校統廃合になると

 まずは市町村長や議会議員を中心に合併協議会が設置され、その中で学校に関連することも協議される。しかし、当事者である学校は蚊帳の外で、すべてが行政主導で決められていき、すべて決まった時点でこうなりましたとの説明がなされる。そのため財務についてはA町のシステムを、文書についてはB町のものをとなり、結果としてすべての事務に精通している人間がおらず混乱することになる。先に合併した市町村にならってという場面はなく、事務研などで進捗状況を聞いたり、要望したりしたことは全然生かされなかったという状況にある。

2 福事労運動のこれから

 研究団体と労働組合、どちらも学校事務職員に関わる団体であるが全くの別ものである。研究活動に熱心な事務職員も多いが、いざというときに自分を守ってくれるものは労働組合でしかない。

 福事労の今後を考えるとき、その場に集う人たちの職業観・年齢・環境等それぞれの違いがあるが、そこを互いに認め合いながら、さらに魅力があり生き生きと活動できる運動作りが課題となっている。そこをどう乗り切るかの議論も始めてきている。

 学校統廃合に伴う問題もその方向を見失うことなく考えていきたい。

レポート1:がくろう神奈川
【成績主義に抗して―パワハラ的『評価・査定』への対抗の試み】

校長が事務職員の評価など出来ないとの認識を基本として、恣意的なマイナス(CD)評価をつけさせない取り組み

 仮につけられてしまった場合、まず、その撤回を要求して校長と話し合う。それでも変更にならない時には裁判に訴え、損害賠償を請求する。

 実際はこのようなことは、好んでやるものでなく、避けたいのは当然である。ただ、他にその抑止力としての手段が見当たらない現時点では、裁判の準備をして、校長に警鐘を鳴らす。

不当な格差を解消させる取り組み

 マイナス評価をいたずらにつけさせない取り組みをするものの、現実に様々な評価がなされ、職員間の格差が拡がっていく。それを少しでも是正していくために、評価の実態や、それに伴う格差の拡大状況を、職種間・職場内で、お互い見せ合い、把握して、その疑問や批判を校長に示していく。

レポート2:阪学労
【大阪3つの人事評価裁判闘争】

 大阪では人事評価制度をめぐって3つの裁判闘争が闘われている。104名の原告団を組織した「新勤評反対訴訟」は新人事評価制度を教基法で認められた「教授の自由」を侵害する「不当な支配」であるという点を最大の争点としている。阪学労組合員を含め47名の原告団による「人事査定を問う・自己申告書不提出訴訟」は、自己申告票不提出により自動的に賃下げされることの不当性・違法性を訴えている。「教職員エコ評価訴訟」は原告団7名、校長の「エコひいき評価」を許さない訴訟の略称、校長交渉で一律評価を求める職場闘争と連携して差別評価を無化させようとするもので、校長を被告としている点に特徴がある。

 C評価者1300名中自己申告票不提出者が800名にのぼる、48,800人中の800名は決して少数ではない。成果主義との闘いを「切り刻まれた労働者の絆を再び縫い合わせていく営み」として継続していきたい、職場では評価―賃金格差への恨みつらみが蓄積されていく、このマイナス状況をプラスに転化していくのが組合の力だ、大阪の負の状況を全国に波及させないためにも頑張る。

 他ならぬ現在の裁判官自身が過酷な成績システムの下で判決を書いており、最高裁が示したマニュアルや判例に沿って、いかに短期間に多くの事案をこなすかが成績になる、という、笑えない実情もわかった。

レポート3:全学労連学校行革対策部
【コンピュータ化・ネットワーク化全国調査】

 10年前よりは格段にPCの数も増え、ネットワーク化も進み、それによって我々の労働も大きく変わってきている。しかし電子自治体化による学校現場の囲い込みがうまく機能しているとは言い難い。末端の学校にまでネットワークがいきわたらず、中途半端なOA化が進み、かえって現場の労働は厳しくなっている。

 PCやシステムを導入させない闘いは大変困難だが、推進サイドもうまくいっていない。それ故に現場に矛盾が集中するし、その矛盾を突く取り組みをしていくが、それがかえって『よりよい』システムを求めていくことにつながってしまう。システムを補完しない闘い方はあるのか。

 『使わざるを得ないが使われない』使い方を追求するにはどうしたらよいのか。現在、学校現場をシステムに取り込もうという段階にあるが、それは学校現場を配慮したものではなく、全庁的なものであるために現場にとって使い勝手がよいものではない。それをたてにとってシステムを導入させない取り組みも有効だろうし、導入するとしても学校現場に合わせたものにする取り組みも必要だ。

 すでにトータルなシステム化が行われたところを現場の視点から検証し、労働者の個別対応が柔軟にできるような現場における取り組みが必要だ。

レポート4:全学労連学校行革対策部
【共同実施と学校事務の再編合理化を問う】

 '98年中教審答申において「学校事務・業務の共同実施」が打ち出されてから10年が経過した。学校事務職員の加配開始から9年になる。義務制諸学校に関する限り現在の法的制約が学校を離れた完全センター化の歯止めにはなっている。しかし、「共同実施」はその制約を骨抜きにしつつ進行を加速させている。

 文科省は「教員の子どもと向き合う時間の拡充」のためと称して’08年度に入って「教員の勤務負担軽減に関する調査研究」を11府県市教委に委託した。文科省の教員多忙化強調の狙いは、その解消が「学力向上」につながるという触れ込みで世論の支持を取り付け、少子化・学校の統廃合による学校数減を根拠とした定数や給与費(国庫負担金)削減の圧力をかわすことであり、人確法を守り第8次定数改善計画への道筋を付けることにある。学校事務職員はそのための手段として利用されようとしているのだ。

 文科省のいう「共同実施」は秋田の学校事務センターの現実を見るまでもなく教員業務の下請化と一体のものだ。安易に「共同実施」に飛びついた全事研、日教組事務職員部を批判しつつ、「共同実施」の矛盾に満ちた実態を暴露し当局に突きつけていかなければならない。

懇親会

 夕方からは、各地の近況を語り合う懇親会。猪苗代の食事に舌鼓を打ち、各県自慢の名酒を味わいながら、明日への英気を養うのだった。

二日目・分科会

第1分科会:「管理強化」に抗する分科会

 この分科会のテーマは、勤評制度に替わる新たな人事評価制度導入と、その賃金へのリンク(査定昇給、勤勉手当成績率)にどう対抗していくかである。全体会で発表された神奈川からの「成績主義に抗して」と、大阪からの「人事評価制度に抗して」の2本のレポートをもとに議論が展開された。

 昨年の全交流で、自己申告票不提出を理由としてSABCD5段階評価のC評価に自動的に位置づけられ、勤勉手当支給額が大幅にダウンした生々しい報告と、「人事査定を問う・自己申告書不提出訴訟」提起の闘争宣言で参加者の注目を集めた大阪、今回は進行中の裁判の中間報告が行われた。自己申告票不提出2年目の今回勤勉手当では、自動的にD評価とされ、さらに支給額が削減されたという…。神奈川の場合は自己観察書不記入乃至不提出でも自動的にマイナス評価にはならない、制度の微妙な相違も小さからぬ結果の相違をもたらす。

 大阪のレポートを受けて、各県の状況の報告と意見交換がなされた。この数年で新人事評価制度が試行され、本格実施されたところが多く、細かい点では各県様々だ。

埼玉: 07年度本格実施、自己申告票不提出者には職務命令が発せられ、拒否する者には処分が出される、ABCD4段階評価でD評価は定昇させない。

青森: 今年度から本格実施だが賃金へのリンクはない。沖縄は06年度本格実施、知事部局では賃金へのリンクが検討中だが教育関係ではまだ、教職員の間では煩わしい自己申告をコピーで済ます人が多い、校長は自分の成績に影響するので申告書を出させようとする。

愛知: 今年度から試行開始、教員が先行導入されているが、事務職員が加わったのにマニュアルは全く同じ、実に杜撰なやり方だ。

北海道: 北海道は今年度本格実施、査定昇給も導入され、北教組は1時間ストライキを打った。財政逼迫のあおりで7.5%の賃金カットが行われていて、これが続いている間は査定昇給は凍結されている。

福島: 導入3年目だが賃金とはリンクしていない。

東京: いち早く1986年に導入、自己申告票提出していない事務職員は全都2000人中10人くらい、ある組合は同一記述で提出の方法をとっている。

大阪: 現給保障の対象とならない若年層職員では将来的に大きな賃金格差が生じることから、昇給について当局は2年Aが続いたら3年目はB,2年Bが続いたら3年目はAというローテーション方式を考えている、しかし、橋下知事の賃金10%カットが出てきてこちらの方が喫緊の課題になってしまった。

神奈川: 人事評価が賃金にリンクされるようになって、「不良職員」あぶり出しの実態も出てきている。「頑張っている職員を評価する」との名目で導入しながら現実に勤勉手当でC評価をつけられた職員がでた、市教委は「どうしようもない人がいるんですよ、分るでしょ」という言い方をする、処分も受けていないのに賃金格差をつけ職場にいたたまれなくさせる遣り口だ。私たちはどちらかと言えば声が大きいし、闘っているが、そうでない人たちを排除しようという動きに注意しなくてはならない。

大阪: 新自由主義政策の下で進められている非正規職員の大量導入、本工−臨時工の構造的格差がつくられている状況を視野においてこの問題を考える必要があるとの提起もあった。横浜では給与事務所職員の半数ぐらいは非常勤職員になっている、彼らが私たちの給与明細書を学校別に切り分け、棚入れしている。正規職員に人事評価で賃金格差をつけつつ、一方で大量の低賃金・劣悪な労働条件の非正規労働者を導入している構造(神奈川)、臨時労働者の首切り反対ストライキの支援に行って、「なんで自分がB評価なのか」と不平をかこつレベルの意識では、いわば特権階層としての正規公務員の域を脱し得ない、非正規労働者の存在を常に頭において闘うことが必要と痛感した。

 民間企業ではあまりに強い副作用を無視できず見直しの動きが進んでいるが、学校現場には全国的にこれから本格導入されてくる成績主義。これに抗する方策として、職員の団結をもとにした対管理職の職場闘争、現実化する弊害をアピールして制度撤回を粘り強く求める、不当な評価に対し即裁判に訴えると校長を牽制する訴状の雛形作り等、幾つかの模索が提起された。

第2分科会: 変わる職場、忙しい仕事を語る

 前日の全学労連学校行革対策部の全国調査分析と今後の取り組みについての報告を再度受け、財務会計システム、文書管理システム、PCネットワーク・個人情報、各県人事・給与システムの四つの視点から、それらに基づく課題をもとに議論が展開された。

 コンピュータ化・ネットワーク化は全国的にも、同一県内でも市町村間でばらつきがあり一様に語ることはできないが、次のような参加者からの補足報告により、「無駄な」多忙化の実態が浮き彫りにされた。

・ 本庁は一人一台PCで、学校もそのようになっていると思い込み、勝手に送ってくるが、端末は事務か教頭のみしかなく、その取扱いに四苦八苦している。

・ 文書の誤りも多く、再送、再再送が頻発し、どれが正しいものかわからない。

・ 財務について、システム化されてはいるが、スキャナーで読んでプリントし、決済は紙でまわす。その後、電子データを送る、というやり方。紙は必ず残るので簡素化にはなっていない。

・ 県と市の両方のメールチェックを一日に数回しなくてはならず、またFAXもある。入り口がいくつもあり文書受付が煩雑になっている。

司会: コンピュータ化が日常業務をどのように変えるのか、報告にあったように、一気にコンピュータ化するところは少なく、システムが導入されても旧来のものと混在する。そうした導入が多忙化を招いているが、それでは混在化ではなくすべてコンピュータ化すればいいのか。このあたりについてはどうか。

神奈川: 横浜は、財務は電子情報に一本化しているので、それはそれで慣れてしまった(慣れなければ仕事にならない)。当初は触ったこともない人がいたし、習熟が遅れれば現在も支払いが遅れたりとかはあるだろう。

福島: 郡山市財務システムの導入当初は代行入力というのもあり、財務課職員が学校に出向いて入力をしてくれていたが、ずっとそういうわけにはいかず、現在は無理やりついていっているという状態。

東京: 大田区の財務システムはパッケージソフトで安く上げ、自治体のやり方にカスタマイズすることない。そのために工程を複数経なければならない。また、区によってシステムが異なるのでついていけない人も多い。職場は一人校化しているので行き詰ってしまい、その果ては病気になってしまう。自治体は安上がりだが、現場は困っている。

神奈川: 横浜も当初は使いづらく、ここを変えろというのも含めて要求を出したが、「全庁的な問題でだめ」という反応だった。しかし、2年たつと少しずつ変わり改善されてきている。こういうことは現場の問題としても必要なことだ。

司会: 情報管理の問題についてはどうか。

愛知: 全学労連ニュースにも載せたが、総務省給与実態調査のデータチェックで、一部の市町ではその市内の全員のデータを全校にインターネットメールを通じて送りつけるということがおきた。組合はすぐに抗議して削除をさせたが、問題はメールという電子媒体で情報をやり取りする便利さにどっぷりつかってしまうと個人情報だろうと何だろうと感覚が麻痺し、ルールよりも便利さという実態が先を進んでしまうところにある。

東京: 全都的な給与システムについてネットでつなぐということだと個人情報保護審査会に通るのだろうか。東京では人事考課が給与に反映されている。給与は個人情報だが、人事考課はもっと大きな個人情報だ。それをネットでつなぐのは外部提供になる。当局は、管理運営事項ということから人事考課データの取扱いについては明かさないが、個人情報保護ということから攻めることはできる。当局は効率化から給与と人事を結び付けようとするので、今後そういうことはより必要になってくる。

司会: 働き方が変わる、その対抗軸は何か、ということからこの分科会を持った。しかし、コンピュータ化は地域差があって(学校だけかもしれないが)過渡的というのが実態だ。しかし、電子自治体という国策からすべての自治体に入っていくだろうし、すでに入っているところの取り組み状況を見ながら学校の中のことを検証していくことが必要だ。情報交換をしながら早めに手を打つことが肝要だ。

    システムの問題、その背景にある法律の問題を突いていく。また個人情報保護審査会など当局側の装置を使うことも必要だ。

    そのために、各地の資料、情報、困り事を寄せてほしい。それらを元に一緒に闘いを組んでいきたい。

第3分科会: 学校の再編を問う

 第3分科会では「共同実施」「学校事務再編」に関する各地からの報告と提起をもとに議論した。

@ 青森の「共同実施」―これまで青森県では学校の統廃合などによって生じた過員を「共同実施」の加配で埋めてきた。しかし県教委は「そろそろかたちを見せないと文科省に説明できない」として来年度から加配なしでも全県で「共同実施」をやろうと動き出した。明らかに負担増を招くだけのものであり、見過ごすことはできない。強く反対していく。

A 群馬の「共同実施」―「共同実施」が3年目に入って様々な問題点が見えてきた。高校事務室のような職務分担制を無理に適用しようとするあまり給与データをあえて「共同実施」の中心校で一括送受信するシステムを導入しつつある。「共同実施」は事務職員の仕事を歪め、人間関係を歪めている。システム返上に取り組んでいる。

B 神奈川の「高校事務室民営化問題」―県教委は強い反対運動に直面して事務室の民営化については断念したものの教育事務所再編を視野に入れた学校事務センター開設に向けた試行を本年度から開始している。文科省が京都府教委に「学校事務の外部委託」の研究を委託しているが(’08年度事業)、「共同実施」→事務センター化の動きがはっきりしてきた。「働こう運動」「教育幻想」へ溶解していくのではなく、どのような論理を持って教育・学校事務の民営化に反対していくかが問われている。

・ 状況をややこしくしているのは文科省が推し進めようとしている「共同実施」に全事研、日教組事務職員部がそれぞれの思惑を持って絡んでいる点だ。「共同実施」の究極の図は神奈川の高校事務室問題が示している。そのことをしっかり見据えた運動が必要だ。

・ (桐生市・羽生市合同の「共同実施」に関する学校事務職員研修会―分科会資料―に関連して)「助かり時間」「助かり費用」という言葉で時間と経費の削減に一生懸命になっている様子は笑って済ませられない。「とにかく効率化できればいい」という言い方が気になる。「あなたは学校のために何ができるか」と脅迫的な迫られ方に事務職員がさらされていくのがこわい。

・ (同じく桐生・羽生の資料について)事務職員の意識の根底には、特に若い事務職員には「事務職員制度はどうなっていくんだろう」という不安感がある。学校で働くことを大事にしつつ、その不安感にどのように応答していくか、新たな運動(不安感のよってきたるものとの対抗軸)が求められていると思う。

まとめの会

 初めに3つの分科会での交流の様子が報告され、総括討論が行われ、さらに共通理解が深まった。

 全学労連からは、今回もまた終始集中した意見交換がなされたとても良い集会だったと集会の総括がなされた。さらに、この間の教育「民営化」や学校事務の共同実施の動きに対して、年末の予算編成時期にあわせた取り組みをしよう、との提起を受け、最後に、特別アッピールと集会宣言が採択された。

 そして、来年の再会を約束して交流で得た元気を持って各地に戻っていった。


 

 2008年7月8日、岡村達雄さんが亡くなられました。

 戦後公教育体制を考えるにあたり、氏の研究が個人、労働運動、さらに社会へ与えた影響は多大で推し量れません。ここに哀悼の意を表すと共に、氏へのメッセージを記します。

原則主義者だった岡村達雄さんの死を悼む

宮崎俊郎(学校事務ユニオン東京)

 私と岡村さんとの出会いはかなり古い。学生時代、自主講座「大学論」という運動に関わり、83年の自主講座に岡村さんを招いた。黒いワイシャツに黒いスラックスで現れた岡村さんの第一印象は「凛々しい」という一言に尽きた。

 当時の私のテーマは「80年代大学再編といかに闘うか」だった。教育全体では、ちょうど臨教審路線をいかにとらえるかが議論されていた。私たち学生の間でも、「岡村さんが次に何を書くか」がよく話題に上ったし、彼の主著である「現代公教育論」の読書会を開いたりしたことを記憶している。それだけ当時から彼の影響力は大きかったのだ。

 85年に私は学校事務職員になったが、学校事務労働論より大学問題を引きずっていたため、94年から2000年まで5巻シリーズで「変貌する大学」(社会評論社刊)という本を不遜ながら岡村さんと共同編集させていただいた。ほとんど毎回の合宿形式(編集者は4人が関西で私1人が関東)での編集会議にも参加され、激論を交した。最終巻の座談会で私が司会だったが、その一節を紹介することで彼の原則的なスタンスも分かっていただけるかもしれない。

司会「やっぱり『日の丸・君が代』そのものに対して反対しない人達の割合があれだけ高いというのは、戦後の歴史教育がどういうふうになされてきたのかが問われている。」

岡村「でもそうすると教育に期待するという話になってしまう。学校教育のやり方が問題だったというのではなくて、社会意識として、我々としてそういう意識が確立できなかったという問題でしょう。学校教育はその一部であって、学校教育にその責任の在りかを求めていくのはおかしいと僕は思う。当然それはありますよ。しかし、その後は教育は力だという話になりますから。教育主義でない歴史認識の方法の確立をどういうふうに考えるかということが問われている。今回も学校における強制の問題に『日の丸・君が代』の問題が収斂しているけれども、社会全体の問題としてどう立てるかということによって新しい問題が提起できたはずだ。」

 岡村さんの「公教育批判」は一貫していてぶれることがなかった。最後にお会いしたのは確か「日の丸・君が代」の強制に反対する神奈川の会が主催した教育基本法改悪に反対する集会に北村小夜さんと講師として招かれた時だったように記憶している。その際にも彼が強調していたことは、教育基本法の原理的な近代主義的性格(教基法第3条 「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会・・」に見られる能力主義)に対する批判を経ずに「教基法を守れ」というスローガンは成り立たないというスタンスだった。

 晩年の岡村さんは清原正義らの門下生が彼と袂を分かっていったことを嘆いておられた。学校事務論における清原さんらの議論をよく私に聞いてきた。確かに教育学における研究者としては「孤高の人」だったのかもしれない。しかし運動における「岡村学派」は随所に息づいていると私は思う。大学における反グローバリズムを90年代から提起していた岡村理論はこれから様々な場面で開花していくであろう。

 
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